第3話 後輩と耳かき

 ぐっすり寝た。本当に。

 どうせ眠れないだろう、とか思っていた自分がちょっと恥ずかしいくらいすごい寝た。


 気づいたら夜になっていて、優しい表情の春見に見降ろされていた。


「起きましたか?」


 状況を思い出せずに固まっていたら、春見がくすりと笑って、ゆっくりと立ち上がった。


「遅い時間なので、名残惜しいですけど、私はそろそろ帰りますね。……先輩、鍵は閉めてもらっていいですか?」

「……あ、うん」

「ではよろしくお願いしますね。お邪魔しました」


 春見が立ち去った後、ようやく何があったか思い出した。


 僕は春見に寝かしつけられたのだ。

 そして熟睡した。


 ……こんなにすっきり眠れるなんて。


 翌日。

 報告とお礼のメッセージを春見に送った。


 一応、春見に寝かしつけてもらって、寝不足を解消できたのだから、お礼くらいはしておくべきだ。ちなみに夜もしっかり眠れた。


『ありがとう。これで一日元気に過ごせるよ』

『よかったです。それで先輩、今日は何をしましょうか?』


 え。


 想定外の返事で、指が固まる。


 あれきりで終わりかと思っていた。

 

『練習ですから』


 練習。そうか。そういえば、そんな事も言っていた。恋人の練習。

 何をするんだろう。というか、練習でも相手は僕でいいのか……?



 ◇



「――お邪魔します、先輩」


 などと考えている内に春見が家にやってきてしまった。


 今日は休日だ。何をする予定も無かったから、暇が埋まるのは別にいい。ただ、二日連続で女の子を家にあげるというのが嘘っぽくて、目の前の春見の存在を疑ってしまう。


「……どうしたんですか。じっと見つめて」

「いや……なんでも」


 そんな幻覚なんて見るわけない。昨日だってしっかり寝たのだ。

 でも家に春見がいるのは少し違和感のある光景だ。


「先輩、今日は……もしよかったら、耳かきをしてもいいですか?」

「耳かき?」

「はい。先輩の見ていた動画、私も調べてみたんです。そうしたら、耳かきの動画がたくさんあったので、私もやってあげたくなりました」


 耳かきの動画は確かに多い。それがスタンダードと言ってもいいと思う。

 春見がわくわくと目を輝かせている。


「どうでしょうか?」

「うん……お願いするよ」


 今日は素直に頷いた。ここまであげて断るのもどうかと思ったのもあるし、もし春見が本当に善意でやってくれているとしたら、躊躇いを見せるのも悪い気がした。

 頷く僕を見て、春見が嬉しそうに笑う。


「はい。心を込めて、やらせてもらいますね。……では、ここに頭を乗せてください」


 正座の春見が、自分の太ももを叩いた。


「…………」

「どうしました? 遠慮しなくていいですよ」


 動画で膝枕をするシチュエーションはよくあって、聞いていて癒される感覚もあった。

 けど、実際に自分がやるとなると流石に固まってしまう。


「でも」

「だめですよ、逃げたら。ごろんしてください」


 引っ張られて、その弱い力に抗えずに体を倒してしまう。

 春見の膝枕に頭を乗せてしまった。


「力を抜いて。頭を預けてください。……先輩にはリラックスしていてほしいです」


 お願いされると断りづらい。

 頷いて、昨日みたいに力を抜いてみる。


「はい。じゃあ、始めますね」


 持ってきたらしい竹の耳かきで、耳を触られる。くすぐったいようなむずがゆさを覚える。


「私、おばあちゃんによく耳かきをしてもらってたんです」


 独り言を呟くような感じだった。そういえば、春見の事を僕はよく知らない。


「うちは両親が共働きで、よくおばあちゃんに面倒を見てもらってて。こういう風に耳かきとかしてもらうのも結構好きで、よくせがんだりしてました」


 春見の声は明るさもあって、落ち着いていて、聞いていて心地が良い。


「……おばあちゃんっ子なの?」

「はい、おばあちゃんっ子ですね」


 そういえば、春見はサークルでたまに渋い和菓子をお土産として持ってくる事があった。おばあちゃんからの影響だったりするんだろうか。


「先輩には、私がおばあちゃんに昔やってもらって、気持ち良かったなって事をやってたりもします」


 話しながらも、ゆっくりと耳かきをされている。

 段々慣れてきて、くすぐったさが気持ち良さに変わってくる。僕自身も春見に慣れてきたように感じる。春見が自然体でいてくれるからかもしれない。


「先輩も私の事、おばあちゃんみたいに思ってくれていいですよ」

「おばあちゃんでは無いな……」


 おばあちゃんと思うのはちょっと無理がある。後輩だし。年下だし。


「そうですか? うーん……もっとおばあちゃんっぽいことをした方がいいでしょうか……」


 春見は考えるように手を止めて、それから僕の頭をぎゅっと両腕で抱え込むようにした。



「ぎゅー……。よしよし、いい子だねー。安心してね……いつも見てるからね……」

「…………」

「って、これはおばあちゃんっぽくないでしょうか?」


 ……その通りだ。どちらかというとお母さんっぽい。


「でも先輩、今ので少し力が抜けましたね」


 嬉しそうに言われる。

 たしかに。そうかもしれない。意外だ。これだけ接近されたら、緊張しそうなものだけど。

 

「緊張しないで、体を預けてくださいね。よしよしもしてあげますから……」


 春見に優しい声をかけられたり、髪を撫でられたりするたび、また体から緊張がほぐれていく。

 意識より体が先に春見の言う事に素直になってきている気がする。


 そうして結局また眠るまで耳かきをしてもらうのだった。



 ◇



「せんぱーい」

「先輩、寝てますか」

「寝てますよね……?」

「…………」

「起きてない……ですよね?」

「すき」

「先輩……すき……」

「……えへへ」

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