第2話 後輩と添い寝

「代わりに……ならない事はないと思うけど」

「先輩、さっき眠そうでしたよね。起こしてしまったので申し訳ないなと思って」

「いや、結局眠れなさそうだったし、わざわざ春見がしなくても」

「いえ、やらせてください。面白そうですし」


 そう言う春見に圧されて、睡眠導入の代わりをやってもらう事になった。


 電車に揺られながら、どういう顔をすればいいのか悩む。


「……わざわざ、うちまで来なくても」

「寝るなら自宅が一番ですから」


 隣に座る春見が言う。会話はあまり無い。

 春見は時折、深呼吸したり、よし、とか呟いている。


 たぶん春見は、ASMRみたいな動画にはそんなに詳しくない。

 さっきの動画を見て、何をイメージしているんだろう。

 何か高尚なものをイメージしているのだろうか。


 考えている間に家に着いた。シンプルな一人暮らしの部屋だ。軽く部屋を掃除してから、春見を中にあげた。


「わ……ここが先輩のお部屋なんですね」

「うん、まあ……そういう事になっている」


 自分の家に異性がいる事が見慣れなくて、なんとなく変な言い回しをしてしまった。

 一応サークルのメンバーで集まって飲もうとなった時に、ここを場所として提供する時はある。でもその時は同期の女子も男子も一緒で複数人だった。


 異性を一人だけ家に招くというのは初めてだ。

 自分の家に女の子がいて、興味深そうに部屋を眺めているのを見ると不思議な気持ちになる。


「その辺、適当に座ってて」

「わかりました。……あ、いえ、違います。それじゃだめです」

「だめ?」

「先輩が私に気を使わなくていいんです。今日は私が先輩を寝かしつけるために来たんですから」


 春見は気合を入れるみたいに胸の前で両手の拳を握っていた。


「先輩、寝る前にシャワーとか浴びますか?」

「え、まあ」

「では浴びちゃってください。私、ベッドを整えています」


 ぐいぐいと背中を押されて、強引にシャワーを浴びさせられた。

 結構押しが強いんだなと思う。


 着替えて戻ると、布団が綺麗に敷かれていた。布団の隣で、正座の春見が歓迎するみたいに両手を広げている。


「お布団を用意しておきました。さあ先輩、ごろんしてください」

「ごろんはいいんだけど……本当にやるの?」

「本当にやります」


 まったく引く様子の無い春見を見て、ここまで来て今更という感じではあるけど、躊躇いが出てくる。このままやらせていいのか。


「春見、もし無理をしているようだったら……」

「無理なんてしてませんよ。本当は、学校で先輩を見るたびに、何かしてあげたいなって思ってました」

「……そうなの?」


 ……あんまり納得はしきれなかった。僕なんかに。本当にそんな事を思うものだろうか。


「もし他に理由が必要なら、恋人の練習という事にしてください」

「練習?」

「はい、練習です。恋人なら、そういう事をしても……変じゃないですよね?」


 薄く微笑んで、春見が窺うみたいに見つめてくる。


 ……恋人同士なら別に寝かしつけとか、自由にすればいいと思う。

 でも当然だが、僕たちは恋人同士ではない。練習とか、そんな理屈が通るのか?


「先輩、眉間に皺が寄ってますよ。おねむが足りないかもです」

「え」

「ごろんしましょうね。難しい事ばかり考えてると、皺がついたままになっちゃいますから」


 腕を引かれる。

 そのままなし崩し的に寝かされた。仰向けになって、枕に頭を乗せる。

 春見は思っていたより強引だ。いいんだろうか、恋人とか、そうじゃないとか、曖昧なままで。


 部屋がなんとなく違って見える。いつも寝ている布団。いつも見ている天井。サークルでたまに見かけるだけの優しくて可愛い女の子。


「私は隣にいますね」


 春見は隣で床に寝転がった。腕を枕にして、僕の顔を眺めている。


「目……閉じてもらえますか。見つめられると、ちょっと恥ずかしいです」

「ご、ごめん」


 反射的に目を閉じた。布団を被って、目をつむっている。

 意図的にか、そうでないのか、これで僕が寝る時の姿勢ができてしまった。


「それじゃあ……寝かしつけをしますから。体の力を抜いてくださいね」

「……ああ」


 もうここまで来て断ろうとは思わなかった。なるようになれ。ある程度経った後で、やっぱり難しいね、とか言って帰したらいいだろう。


 急に寝かしつけをされて、不眠が解消するわけがないのだ。

 まさか即興の寝かしつけで眠れるなんて、そんなわけ……。


「はい……先輩。声は出さなくていいですからね」


 さっき目を閉じてから、意識が音に向いている。春見がかすかに動く音とか、息遣いとか。そういう細かい音を拾おうとしている。


「先輩。体とか、触ってもいいですか。軽くなので」


 囁くように言われる。

 返事をしようとして、声は出さなくていいと言われた事を思い出して、小さく頷く。


「いつも先輩は体に力が入ってますよね。今から力が入っていそうな所を触るので、触られたら先輩はそこから力を抜いてください」


 催眠みたいだなと思う。そういうタイプのASMRもある。普段、そういうものはあんまり入り込めずに聞かない。たぶん今もそれで眠るのは難しいんじゃないだろうか。


「まず、肩からです」


 とんと布団の上から手が置かれる。たしかに強張っているような気がする。力を緩める。


「次に、お腹……」


 春見がとん、とん、と色々な所に手を置いていく。言われるがままにその箇所から力を抜いていく。そうすると幾らか楽になったと感じる。いつの間にか、そういう所に力が入ってしまっているのか。


「お顔も失礼しますね……。おでこと眉間です。まだ少し、皺が寄ってるので」


 顔は特に力が入ってしまう。そうしているつもりは無いが、考え込むといつの間にか皺が寄っていたり、表情が硬くなっていたりする。


「最後に……目蓋も」


 指先で触れられて、そこから吸い込まれるように力が抜けていく。いつの間にか、全身がほぐれたような感覚がある。


「よしよし……。先輩はえらいですよ。……私はいつも見てますから……」


 髪を撫でられながら、春見の穏やかな声が耳をくすぐる。

 童心に帰ったような気分だった。これだけ誰かに体を許したのはいつぶりだろう。


「ゆっくり眠ってくださいね。難しい事は忘れましょう……」


 自分でも驚くほど早くに眠気が降りてきて、そのまま一気に眠りに引き込まれた。



 ◇



「先輩……?」

「寝ちゃいましたか?」

「…………」

「せんぱーい?」

「…………」

「……」

「だいすき、です」

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