恋人の練習なのでという理由で清楚で優しい後輩が寝かしつけてくる。~天使な後輩は辛そうな先輩を癒したい~
じゅうぜん
第1話 後輩とお詫び
「――先輩、寝てますか?」
その声で、うたた寝から目覚めた。
◇
その日は就活からの帰り道、ふらっとサークルの会室へ寄っていた。
就活はうまく行っていない。今日の面接もだめだった。色々な質問を想定して、答えを考えてから向かっているのに、いざ面接の場に立つとすべて頭から抜け落ちてしまう。
疲れる。
都内から電車で帰りながらそう思った。
物事は思うようにうまくいかない。
もし運よく採用してくれる所があったとして、その中で自分が上手くできるとも思えない。
暗い考えが栓も無く溢れてくる。
(会室……誰かいるかな)
家に帰ろうかと思ったが、ふと、サークルの会室に寄ろうかという気持ちになった。
会室に行けば、もしかすると誰かいるかもしれない。
家に一人でいると、暗い気持ちばかりが募ってしまう。
僕は大学で映画研究会に所属している。映画好きで集まっては映画を見たり、それについて話したり、たまには自分たちで映画を撮ったりするサークルだ。
誰かとどうでもいい映画の話で盛り上がりたい。あるいは同じ境遇の奴と、就活の大変さを言いあって嘆いていたい。
そう思って会室に寄った。
……誰もいない。
「……いないか」
時刻は夕方だ。お昼時とかならもっと人も集まるのだろうが、この時間は人もまばらだ。何人かいる時もあれば、誰もいない時もある。今日は後者のようだ。
どっと疲れが襲ってきて、会室のソファにどかりと座った。革が所々剥がれてきている年季の入ったソファだ。
もうここで眠ってしまおうか。どうせ誰も来ないし、別にいいだろう。
誰か来ても、先輩が一人寝ているくらい日常だ。会室の椅子はこのソファだけではないのだし、いくらでも座っていられる。
そう思って、僕は寝る準備を始めた。
と言っても、特に大げさなものはない。スーツを脱いで、イヤホンを付ける。
スマートフォンから気に入っている配信者の動画を選んで、流した。
――『みなさん、お疲れ様です。今日も見に来てくれてありがとうございます』
静かで、透明感のある女性の囁きが耳元に届く。
睡眠導入用の音声を流す動画だった。いわゆるASMRだ。いつも眠る時はこういう音声を流していた。何もないと、暗い事ばかり考えて眠れなくなってしまうから。
――『うん、うん。よしよし。頑張ったね。辛い事は忘れて、ゆっくり眠りましょうね』
聞いてるうちに、意識が徐々に沈んでいく。辛い事は忘れたい。耳元で忘れてと囁いてくれると、自分の中から辛さが薄れていくのがわかる。誰か見も知らぬ人の優しい声が、わずかに安らぎをもたらしてくれる。
ただうまく寝付けない。最近はずっとこうだ。やっぱりここじゃ眠れないだろうか。
その時、会室のドアががちゃりと開けられた。
「――先輩、寝てますか?」
涼やかな声がして、思わず目蓋を開いた。
サークルの後輩、
「あ……ごめんなさい。起こしちゃいましたね」
春見は綺麗な女の子だ。さらりと降りる長い髪。細い体。ふわりとした可愛い顔立ち。学年は僕の一つ下。
大人しい雰囲気の優しい子で、サークルのメンバーからは人気があった。というより、色々な所で人気があるようだ。噂で聞いたくらいだが、彼女は一部で『天使』と呼ばれているらしい。それくらい目を惹く容姿の綺麗な子だ。
サークルでも特に女性陣は彼女を大切に囲っていた。曰く、こんないい子を男子に近づけられない! との事だ。顔には出さなかったが、男性陣はみんなしょんぼりしていた。
だから僕も春見と話した事はあんまりない。だいたい彼女の傍には他の女子がいて、その子と喋っている。
一回だけ。彼女が初めてサークルの見学をしに来た時に、ちょうど僕がいて説明をした。たぶんその時が一番長く喋ったタイミングだと思う。
「……忘れ物?」
「その、誰かいるかなと思って」
僕がここへ来たのと同じ理由だ。彼女の方はもう少し、気楽な気持ちで来ているんだろうけど。
「僕も同じ理由で来たんだけど、誰もいないみたいだ。今日は帰った方がいいかもね」
「でも先輩に会えましたね」
急に……距離の近いような事を言われて顔を見上げた。
目が合う。春見は悪戯っぽく微笑むと、僕がテーブルに置いたままにしていたスマートフォンの画面を覗いた。
あ。
「先輩、これは?」
「あー、その……睡眠導入の音声動画みたいな。寝る前に聞くとよく眠れる、ってやつなんだけど……」
「ふーん、そうなんですね……」
ちょっとそういう物を見ている事に恥ずかしさを覚えて、しどろもどろになりながら説明した。春見は特に軽蔑したような様子は無い。大丈夫だろうか。こういうのは、敬遠されがちなイメージがある。
「色々と優しい声をかけてくれるんですね」
「……うん」
「えらい、とか、お疲れ様、とか」
「……うん」
「先輩はこれを聞いて眠ろうとしていたんですね」
「…………はい」
なんだか尋問されているような気分になった。声は詰めてくるようなものではなく、あくまで静かだけど。
「これが無いと眠れないんですか?」
「……まあ、最近はそうだね。寝る前に色々考えちゃうから、そういう適度な雑音があった方がいいんだ」
「それって、私じゃ代わりになれないですか?」
「え?」
急に耳を疑うような事を言われて目を見張った。
春見はどこか照れの見える表情で、小さく笑顔を浮かべていた。
「さっき先輩を起こしてしまったので、お詫びです」
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