日没と夜明け



 あの後、俺は看板を屋上前へと置き、そのまま屋上内へと入り込んでいた。

確かに屋上は近々業者による点検が入るらしく老朽化したフェンス等が撤去され新しいフェンスが設置されたりする為だったのか鍵が開いており、道具が運び込まれていたり工事のブルーシートで辺りが覆われていたりした。


息が荒く、心臓が破れそうで、思わず壁に凭れ掛かった。


フラッシュバックする記憶が、今現在の出来事と混ざり合い脳内に映し出される映像が虚実となっていく。


胸に伸びる手が過去の自分となっていく、そんな事は無い筈なのに過去の自分が自らの欲望に従ったかのようになっていく目の前にいる相手が後輩だった筈なのに彼女になっていく。


過去の彼女の姿は朧気で、なのに今の彼女の姿になって聞こえる筈のない幻聴が脳を揺らす。



『ねぇ、そんなに私のおっぱいを触りたかったの?』



黙れ、解釈違いだ彼女はそんな事言わない。


蹲って頭を抱える。


何処か可笑しそうにクスクスと笑うような口調で蠱惑的な様子すら醸しながら聞こえるその台詞に、胃がせりあがってくるのを感じながらただ耐える。



『ほんとーにやってなかったの?』



やっていない



『なら何でわたしはちかんです、っていったの?』



・・・勘違いしてしまっただけだろう



『背中に肘が当たった程度で勘違いしちゃうような子だと思ってるんだぁ?』



・・・



『ねぇ?』



・・・なにを



『わかってるんでしょぉ?』



眼を見開いた。


目の前に見える筈のない幻覚が見えているのを自覚する、した上で覚めない悪夢に思わず胃からせりあがってきたものを吐き出した。


は余りにも馬鹿げていた。


何処か後輩の様な雰囲気が混ざり俺の目には神の様にも悪魔の様にも見える。


そうしてソレは俺の心の一番触れてほしくはない弱い部分へと手を伸ばしてくる。



『こーぉやってぇ・・・手を胸に伸ばしてぇ・・・』



心臓が握られる様な感覚に怖気と言いようのない不快感がこみ上げる。


震えが止まらず、汗が止まらず、目の前のバケモノは自分を殺そうとしているように錯覚する。



『ざーこぉ♡哀れな人ぉ♡』


『ずーっとぉ信じてきたものに裏切られる気持ちってぇなぁーにぃ♡』



まるで精神を汚染する呪いを孕んだ言葉は俺に正常な判断を失わせるかのように一個一個俺を構成する全てを砕いて捨てさせていく。


俺は段々と目の前のバケモノが本当に彼女の様に思えてきてそうして眼前の光景が信じられず、口からぶつぶつと呪詛の様に嘘だ嘘だと譫言の様に現実を逃避する言葉が漏れていく。



『わたしは あ な た が嫌いなのぉ♡』


『あなたみたいなぁ何時か頑張れば報われるってぇ勘違いしてる男がきらいぃ』


『心の中を知らないから他人の評価なんてぇ価値がないってぇ、他の人は見る目がないとかぁ♡そーやってぇ♡自分をせーとーかしてる時点でぇゴミ屑だしぃ』


『いっつも貧乏くじを引いてやってるんだとかぁ、人の目を気にする所だとかぁもぉ最悪でぇ・・・自分が正しいとかぜーんぜんそんな事ないしぃ♡』


『お前なんかよりぃこの世に良い人は沢山いるんだからぁ♡自分なんかが近づいて言い訳がないってぇ♡もっとはやく気づけよばーーーーっか』


『中学、高校ってぇ・・・追いかけてきたのももう最悪すぎて吐いちゃいそうだしぃ♡釣り合いが取れないってぇ♡身の程ってものが分かんないのぉ?』


『読モやっててぇ声は綺麗で可愛くてぇ天使か神様かの生まれ変わりで優しくてぇそんな奴がお前なんかすきになるかクソ雑魚♡童貞♡気持ち悪っ♡』


『痴漢で少年院にでも行ってりゃ良かったんだ掃除サボって遊んでた身分drおはやぃうrhく、し、んbkllおね。』


『しihね』


『し、ね』


『し ね』


『しーね♡』


『死んで』


『死んじゃえ♡』


『死ねよ』


『飛び降りて♡』


『そう、上手いよ』


『じょーず♡』


『死ぬしかないよ』


『後一歩♡』


『やぁ、後ろみないでぇ♡コツンって、ぶつかっちゃうぅ♡ダメ、んぅ、そこがいいのぉ♡周りきにしないでぇ♡やぁ♡私だけを見てぇ♡』


『初めてでも大丈夫だからぁ♡』


『後の事なんて気にしないでぇ♡無責任にぃ♡やっちゃお♡』


『ひとつになろぉ・・・?』



ドロリ、と溶け墜ちた視界の中で世界が逆さになっていく――――。



「だ、めえええぇぇぇぇぇ!!!!!」



幻覚と、幻聴に導かれるままに、いやそれすら分からぬほどに朦朧とした意識の中で、夕焼けが屋上を照らして全てが真っ赤に燃える中、その場所で最も明るい蒼い光が全ての幻想現実を眩く照らした。


その蒼は、何処までも優しく、何処までも鮮やかに、屋上から飛び降りようとしていた俺を抱きとめていた。


気付けば、幻覚も幻聴も消えていた。



もう、俺には彼女しか目に映っていなかった。

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