太陽が隠れた日
子供の頃のたった一つの嘘だった。
始まりはどうしようもない罪悪感からだった。
軽い気持ちで私はどうしようもなく好きだった男の子を傷つけたのだと彼の熱の籠った灼熱の瞳を見るたびにそう思う事になる。
「貴方の事がずっと好きでした」
この一言だけは私は彼に伝えるわけにはいかなかった。
嘘ではない。
ずっと好きだった。
それこそ小学生の頃からずっと、気付けば目で追ってた。
切っ掛けは何気ない会話だった。
彼はきっと覚えていないだろうけれど、私が先生にクラスの出し物の書類をホチキスで留める様に先生にお願いされていた時だった。
彼は活発で、常に動き回る様な人で、クラスの男子達と一緒に鬼ごっこをしてたのだ
「おーにさーんこーちら!ってーのなーるほーへーーっ!!」
煩わしい声が耳に入り、ガタガタと机が揺らされた。
私は気弱で、男子達からこういった嫌がらせを受ける事が偶にあった。
けれども虐めまではいかない。
暴力を振るわれたことはないし特別何か物を隠されたこともない、けれどちょっと嫌だなと思う程度の軽い嫌がらせ。
か細く、心の底で思っていたことが思わず声に出た。
「―――――――――――っ。」
その時、彼がパッと机を片手で抑えてもう一つの手をずい、と突き出してその男児に向かって言った。
「グラウンドで遊ぼう!」
その手にはサッカーボールが握られていて、彼は弾ける様な笑顔で多くの男児達を連れてでていったのだ。
その後彼は休み時間が終わり戻って来た時にこういったのだ。
「教室は静かだった?」
っと―――。
「教室が静かになればいいのにっ。」
彼は私の言葉を拾ってくれた。
心の欠片を丁寧に拾って綺麗にしてまた私の心に戻してしまったのだ。
ただ一つその心の欠片に太陽の様な色を付けて。
ぽわり。
胸があつくなった。
その太陽が見えなくなったのは何気ない日常の中だった。
その日は全体清掃の日で私は体育館に彼と一緒に自分のクラスから当番としてきていて用具準備室で掃除をしていた時だった。
彼は途中で飽きたのか手早く軽めに掃除を終わらせてマットが積みあげられた上で数人の他クラスの男児達と遊んでいた。
私は二人で出来ればお掃除をしてお喋りをしていたかったなと、内心少しばかり落ち込んでいた。
彼には当番で折角二人一緒になったのだからもう少しその太陽の瞳をこっちに向けて欲しかったのだ。
そんな時彼がマットからずり落ちてきて私に若干手がぶつかって来たのだ。
彼は背中を打ってコミカルな感じに這いずりながら唸っていた。
上を見上げると幾人かの男児達がニヤニヤとこっちを見ていた。
彼を落としたのだろうか?
そう思っていると、唐突に大声でその男児達が痴漢だーーっと叫び思わず私は驚いてしまった。
直ぐに数人の同じ当番だった女子の子達が私を取り囲んで慰めてきた。
何が何やら分からずにおどおどとしっぱなしだった私はそこでようやく事態をある程度飲み込むことが出来たのだ。
どうやら私は何かの片棒を担がされたのだ、と。
曰く、彼は私に痴漢をする為にわざとマットから押されて落ちていきその手を胸に当てたのだと。
私は発育が他の子達よりもほんの少し進んでお胸が少し膨らんでいたというのが誰の目に見ても分かっていたから、おまけにこの性格だったから付け入られたのだろう、とそうやって庇われたのだ。
けれど、彼はそんな人じゃない。
違うよ、やめて。
そう声をだそうとしたけれど、声が出ていない事に気づく。
周りの人に囲まれて、大勢の人が事の仔細を聞いてくる。
声は心の欠片にしかならなくて、ソレを拾い上げてくれる人は何が起きたのか分からず気が動転した様子で自分の潔白を叫んでいる。
唐突に肩に二つ、底冷えするように冷たい手が置かれた。
一つはそのまま通り過ぎ、彼の元へと向かった。
先ほど突き落とした男児であり、いつの間にかサボって彼と一緒に遊んでいたいつの日か私の机を揺らしたり、授業中にちょっかいを良くかけてきていた男児だった。
もう一つは凍える様な、ぞっとする程の冷たさを孕んだどこか狂気的なものさえ感じる瞳と手をした知らない女の子だった。
全く温かさを感じない声音でその言葉だけはまるで人を心配するような言葉を紡ぐ彼女をただ違うと首を振るうも顔を隠すように怖かったのね、と抑え込まれた。
そうして、周りにこう言い放ったのだ。
「彼が掃除をサボって遊んでいたのは本当でしょ!大体ここまで彼女が痴漢だって言って人を集めたのよ!彼女が嘘をついたっていうの!?」
思わず喉の奥がヒュッと音を立てて締まったのをよく覚えている。
そもそも私は痴漢だなんて言っていない、彼は遊んでいたのは事実だけど、痴漢はしてないのは本当。
彼女の言葉は、彼を良く知っていて、私を知っている人にこそ効果があった。
彼はお調子者ではあったがそんなことはしないと訝しんでいたものの顔にほんの少しだけ疑いと失望の色が混ざったのを見た。
そしてその顔は私の方へと向いたのだ。
・・・私はその場を覆す事は出来なかった怖くて恐ろしくて、何とかしようとしたけれど、騒ぎが大きくなればなるほど、彼の無実を私が訴えれば、私が嘘をついてここまで彼を追い詰めようとしたことになってしまう。
逆にこのまま流れに乗って彼を痴漢だと言えば、もしかしたら彼は全てを分かってくれるんじゃないかって・・・けれどそれは彼を酷く傷つける事で・・・私は震える唇で耳元で囁かれる声をそのまま声に出した。
「――ちかん、です」
彼の顔が青白くそして彼から温かさが消えたのはその日からだった。
その後彼はクラスの帰りの会でクラス中から糾弾された。
彼は見るからに顔色が悪くなっていて私の方を見て必死に訴えていた。
恐らくは誤解だと思ったのだろう、自分がマットから落ちた時に当たった手が偶然ふれてしまったのを私が痴漢と勘違いをしてしまったものだと思い必死にその誤解を解こうとしていた。
クラスの皆からは犯罪者扱いだし、グレーゾーンだった掃除のサボりを指摘されてはますます彼は狼狽して、その度に私の方を息荒く許しを請い、そうして私は彼を傷つけている罪悪感とこの誤解を解けばそのまま糾弾されるのは私という事実に体が震え涙が出て自己嫌悪で死にたくなった。
無理やり和解という形に持って行った先生は神か何かに違いがなかった。
だけれど、彼からは前の様なあの太陽の様な温かさは消え去った。笑顔はなくなり人を助ける事はなく、ただ只管に自らの研鑽に励むようになったのだ。
私の罪は消える事がないだろう。
何時か許されるその時を時間の経過という余りにも希望的願望で他人依存な独善的浅ましさに満ちたどうしようもなく醜い私をあの人は許さないだろう。
だから何時か私は彼によって裁かれようと決めた。
彼の為にこの罪を濯ぐ為にこの身を犠牲にするとしよう。
許される為には贖罪の塔を積み上げるしかないのだから。
それから私は女としてその身を磨き上げた。
容姿はより美しく、全ての食生活に気を使い、美容に力を注ぎこみ勉学も運動も彼に劣ることなく、ついていけるように磨いた。
彼から優しさを奪い、心を拾い上げる事を奪ってしまった馬鹿な女は、彼の為に何時か手折られる花でいようと決めたのだ。
ふとした時に感じる恨みの籠った熱が宿る視線が私の罪の重さを否応なく自覚させる、彼とはそれから一度も話せていないけれど、そんな資格は私には存在してはいないけれど。
彼と一緒の空間に居られれば嬉しい彼と同じ空気を吸える事が幸福だ。
一緒の中学、一緒の高校、彼と同じところへと向かった。
全ては彼の心を満たす為に。
今では誰もが欲しがり羨む美貌を手に入れ彼の心を満たす為にお金だってモデルのお仕事で稼いでる、一生貢ぐことだって覚悟の上だ。
女の子は馬鹿の方が可愛いとはいうけれどその馬鹿さによって彼は心に傷を負ったのだから頭を良くする為に勉学だって励んだ。
もうそろそろ彼の為に手折られる花は完成するだろう。
彼の為に全てを捧げよう。
私を酷く踏みにじってそうして破って捨てて、彼が太陽の様な暖かさを取り戻してくれる事を願っています。
――今になって思えば、だけれど。
あの時の冷たい手の彼女は当番でもなかったのに、あの場に居なかったはずなのに、どうして彼が遊んでいたのは本当って言ったんだろう?
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