梅雨
エナツユーキ
第1話 梅雨と僕
「ザーーーーーーーーーー」
「ポタッ――ポタッ――」
雨の音で朝、目を覚ます。
「ピピピッ ピピピッ ピピピッ」
外では不規則に色々な音が流れている中、部屋の中はスマホのアラームという規則的な電子音に包まれる。
「早く起きろ!」
家中に響く親の声。
ふらつく足取りで、二階の自分の部屋から一階の洗面所へと足を運ぶ。顔を洗い、やっと目が覚めたところでため息を一つ。
「今日も雨か」
平日ということもありすぐさま学校のことを考えてしまう。
自分は学校という場所が嫌いだ。狭い空間に対して不釣り合いな人数の多さ。居場所なんて、もはや無い。
朝食を飲み込むようにして食べ、最寄駅へと向かう。そして仕方なく、いつもと同じ時間の電車に乗る。電車の中の空気も澱んで見える。実際、電車内の湿度は、晴れの日の数十倍にもなるため、自分の感じる不快さは、あながち科学的にも間違いではない。しかし、心なしか車内の全員が本調子ではないように見える。
濡れた制服やバッグ、水を弾くことを忘れて水を吸い始める使い古した折り畳み傘、靴下の中まで水の入り込んだローファー。人だけでなく、物ですら
「梅雨は嫌だ」
そう自分に語りかけてくるように見える。
そんなくだらないことを思っているとすぐに学校の最寄駅に着いていた。ここからは自転車で行かなくてはならない。雨を凌ぐためのカッパを着る。もう、この時点で、蒸し暑さと、憂鬱さが、どっと押し寄せてくる。
「せめて暑さだけでも和らいだらな――」
そんな叶いもしない願いを呟く。
ふと、自分の自転車を見ると、雨の水分のせいでチェーンが錆びていた。その錆が自転車のギヤと擦れ、粉状になってフレームを汚している。
自転車ですら
「梅雨は嫌いだ」
と自分に訴えかけているようだった。
「もうしばらくは我慢してくれ」
励ましになるか分からない言葉を愛車に伝え、降り頻る雨を切り裂くようにしてペダルを漕ぎ始める。
自転車に乗ること自体は、嫌いなことではない。しかし、この蒸し暑い状況となると話は別だ。学校まではおよそ十五分、ペダルを漕ぎ続けなくてはならない。晴れている日であれば短く感じるこの十五分。ただ、梅雨のこの時期だけは、この十五分がまるで無限に続く苦痛のように思えてしまう。そんなくだらないことをブツブツ考えながら、やっとの思いで学校に到着をする。校門をくぐり校舎に隣接する駐輪場へと向かう。
その時の私の表情といったら、まるで雨の降り頻るサハラ砂漠を、横断して帰ってきたような表情だった。ようやくの思いで身に纏っていたカッパを脱ぎ捨てる。空気の通り道を久しぶりに得た肌は、ここぞとばかりに忙しなく呼吸をしているようだった。
それに対して、暑さのせいで汗だらけとなったワイシャツは、洗濯機で洗われ、天日干しされた後の生き生きとしたハリがなく、まるで古着屋に並ぶ使い古された布切れのような表情をしている。
自分の周りの、ありとあらゆるものがグッタリとしているためか、自分も不意にため息が漏れてしまう。そんな冴えない気持ちで居場所のない教室へと足を運ぶ。
教室へ入っても、誰からも挨拶されず、ただ無心で自分の席へ着く。そう、話し相手すら僕にはいない。
入学してからの学校嫌いが災いして、周りから距離をとってきた自分。
そのせいか、今となっては誰からも嫌われている。
「――誰からも……」
無意識のうちに自分と梅雨を重ねてしまった。
「梅雨」
梅の実が熟す頃に訪れる、一ヶ月から一ヶ月半にも及ぶ雨季。万物から嫌われてもおかしくないこの存在。だが、本当に「万物」から嫌われているのだろうか?
自分はそうとは思わない。
想像してみてほしい。
皆さんは「紫陽花」という花をご存知だろうか。梅雨の時期に花開く、青やピンクの花をつける可愛らしい植物。この「紫陽花」が雨に濡れている様子を見た事は有るだろうか?
「美しく儚い」
これこそが初めて自分が水に濡れた「紫陽花」を見て思った事だった。花自体の可愛らしさと、それを誇張するかのような雨の滴の一つ一つ。葉っぱに非力ながらも精一杯の力で乗っているカタツムリも一緒にいた日には、まるでただの植物のはずの「紫陽花」が、一種の小世界のように見えてしまう。
しかし、梅雨が過ぎ、夏が来ると「紫陽花」は一気に活力を失い萎れていく。その萎れ方といったら、不気味なもの意外何者でもない。梅雨の間だけ咲く「紫陽花」。それと、短命な花の美しさを倍増させる雨の存在。まるでお互いがお互いを求め合っているようにも見える。ここから思うに、梅雨は万物からは嫌われてないのではないかと思う。
他の例を見ていこう。梅雨というのは、少し肌寒く、生物に芽吹きを与えるやさしさの春と、エネルギッシュに生き物たちに活力を与える夏との間に梅雨は存在する。もしこの梅雨がなかったとするならば、この二つの季節の関係はどうなっていたであろうか。僕が思うに、人間は印象の強い方向へ流される性質があると考える。つまり、この法則に従えば、人間は春よりも夏の方に流されていくと思う。しかし、日本人はそうではない。夏の風物詩は沢山あるが、春の風物詩も夏に負けを取らないくらい多く存在する。これは、二つの季節を挟む嫌われ者が存在することによって、両者を際立たせているのではないかと思う。この嫌われ者の存在?それこそが
「梅雨」
である。
今、自分のクラスは、自分を除く全てのクラスメイトが上手くやっている。これはもしかしたら、多くの個性を持つたくさんのクラスメイトの間に、自分という嫌われ者が存在する事によって、クラス内の個性の干渉が防がれ、クラスの平衡を保っているのではないかと勝手に推測している。
こんなことを考えていた次の日、梅雨が明けた。そして夏がやってきた。
自分は、
「心の友よ、もう、今年は会えないのか」
と空に向かって呟く。
「また来年」
梅雨の方も新たな心の友を見つけたのか嬉しそうな声がどこからか聞こえてきた。
梅雨 エナツユーキ @YuukiEnatsu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます