第2話

「ふぅ~~~」


 俺は湯船に肩まで浸かると大きく息を吐いた。


「いい湯だなぁ~~~」

 いい湯だなぁ~……

 いい湯だなぁ……


 浴場内に響き渡る俺一人の声。リッチなことに(“リッチ”という言い方自体が悲しい一般ピープルだよなぁ、俺)、男湯は俺の貸し切り状態なのだった。


 ……うう、いい湯なんだが、何だか、ちょっと寂しい(モーのやつに一緒に入ろうと言ったら、「え~~。おいら、ねーちゃんたちと一緒がいいも~ん♪」とすげなく断られたのだ)。

 

 いいなぁ、子供って(う、いかん。ホンネが)


 ああ、言えなかったさ! 「俺も一緒に入ろっかなぁ~」などとは!?


 かこぉ~ん。


 隣の女湯から、湯桶を置く音が聞こえてくる。


 ざばぁ~~。


 隣の女湯から、身体にお湯をかける音が聞こえてくる。


 ざば~~。


 隣の女湯から、湯船からお湯があふれ出す音が(しつこい?)


 ざっばぁ~~ん!


 ……モーのやつだな、この音は(湯船に飛び込むなっつーの)


「ぷぁ~~。気持ちいいね~~♪」


 ほんとに気持ちよさそうなモーの声が聞こえてくる。


「そうじゃのぅ」


 フローさんのリラックスした声が答える。


「温泉なんて久しぶりですね~~」


 ネ子のまるで緊張感のない声が反響する。


 うう、うらやましい……。ちっ、違ったっっ!


「あんまり、気を抜くなよ! まだ、迷宮の中なんだからな!」


 俺は、一応の用心のために持ち込んだ、鞘に入れたままの愛剣の場所を確認しつつ隣に怒鳴った。


 そう。実はまだ迷宮の中なのだ(さっきまでとは違って、松明とかいらないほど明るいが)(古代の技術なんだろーな、これも)


 安全な場所まで逃げた後(かなり走ったが、さすがに通路の分岐点までは戻らずに済んだ。ネ子によると二百三十一歩分戻ったのだそうだ。なんで、そーいうことは分かるんだか)、下がった天井が元に戻るのを待って(実際には、みんな息が上がっていたため動けなかったというのが正しいが。あ、例外はモーのやつで、汗もかかずに、けろっとしてやがった。いったい、どーいうスタミナしてやがんだが)、もう一度行き止まりまで戻ってみると、“壁”が無くなり新しい通路が開けていた。


 そして、用心しつつ先に進んだ俺たちの前に姿を現したのが、この大浴場(?)を含む、古代のレクリエーション・センター(仮)だったというわけだ(何故、(仮)なのかと言えば、「これに似たような施設を文献で見たことがあるのじゃ」というフローさんの言葉だけが判断材料だからだ)。


 あ、実は、レクリエーション・センター(仮)の施設全てを確認したわけじゃない。最初にたまたま入った部屋がここで、「入浴は、全部の部屋を確認してからにしよう」という至極当然な俺の意見が、「え~! 汗かいちゃったから温泉入りたい~!」、「うむ。わしもモーと同意見じゃ」、「わ、わたしも、お風呂入りたいです……」という圧倒的多数の意見で却下されたからだ。落とし穴やら吊り天井やらが仕掛けてあるレクリエーション・センター(仮)なんて、何があるか分からなくて、風呂に入るような気分にはならないけどなぁ、俺は。 


 ……そーいや、この冒険のネタを拾ってきたのは、フローさんだったなぁ。何か、俺たちに隠してるんじゃないよなぁ……?


「はっはっはっ、分かっておるわ。まったく、心配症な男じゃのぅ、お主は」

「すっ、すみませんねっ! 心配症で!」


 疑惑の渦中の人(?)にあっさり言われて、ややムッとした俺は、不機嫌な声で言い返してしまった。


「あれ~~? にーちゃ~~ん。ひとりでさびしいの~~?」


「なっ……」


 モーの言葉に、俺は思わず絶句する。


「そっ、そんなことねーよっっ!」(聞くなよ、そんなことっ!)

「ふむ。では、コウもこっちにくるか?」

「えええっ!?」


 フローさんの言葉に、……ネ子のやつに先に驚かれてしまった(苦笑)


「はっはっはっ。冗談に決まっておるじゃろ?」

「な~んだぁ。ばーちゃんのことだから、本気かと思っちゃった♪」


 思えなかったよ、俺。残念ながら(からかわれ慣れてきてるなぁ)(トホホ~)


 ……そーいや、モーのやつ、フローさんのことを「ばーちゃん」って呼ぶんだよなぁ。何でだろ?(俺が言ったら、雷が飛んできそうだけど)(雷と言っても、《雷 撃(ライトニング・ボルト)》、つまり、《魔法》だから、「落ちる」んじゃなく、「飛んで」くるんだよなー、これが)


「私も、びっくりしました~~」

「はっはっはっ。コウにわしのないすばでぃを拝ませるなど、百年はやいわ」

「残念だったね、にーちゃん♪」


 ……何だか、ここにいるの苦痛になってきた。


「俺は、もう上がります。まだ、探索の途中なんですから、ほどほどにして上がってくださいよ? 長湯すると身体だるくなっちゃいますから」

「はい~~」

「本当に心配症じゃのう、お主は」

「は~い♪」


 一応の返事を確認して、俺は湯船から上がった(もちろん、剣も忘れずに持った)


「それにしても~、」


 脱衣場へと向かう俺の耳にモーのやつの声が届いてくる。


「ねーちゃん、胸おっきいねぇ~♪」


「ぶっ!」


 危うくコケそーになってしまいましたのことよ、ワタクシ!?(謎の口調の人物になってるよ、俺)


「や、やだ、モーちゃんたら~~」

「うむ。わしには少し劣るが、ネ子もないすばでぃじゃのう」

「やだ~、フローさんまで~」


 な、なんつーこと喋ってるんだよっ!? 妙齢の男性がすぐ近くにいますのことよ!?


「えいっ♪」

「きゃっ」

「うわ~~。やっぱり、おおきい~~♪」

「やだぁ、止めてぇ、モーちゃん! くすぐったいぃ~~!」

「よいではないか♪ よいではないか♪」

「はっはっはっはっ。仲良きことは美しきかな、じゃ」


 ……いや、俺は、殺意すら芽生えてきてるんですけど、モーのやつに。マジで。


「ばーちゃんも、えいっ♪」

「はっはっはっ、こやつぅ」

「モーちゃん、お肌きれい~」

「いえいえ、お代官様には♪」

「油断大敵じゃ、それっ!」

「うわ~、くすぐったいよ~♪」


 い、いたたまれねぇ(少しは恥じらいというものをもっておくれよ、女性陣&モー……)。

 とっとと着替えて外で待ってよ……。


「わっ?」

「きゃあっ!」

「何じゃ、こやつらっ!?」


 何だ!? 女湯の様子がおかしいぞ?


「おいっ! どうしたっ?」

「! こやつら、まとわりついてっ!」

「いや、離して~~!」

「おいらの打撃が効かない!?」


 ちっ! こうしていても埒が明かない!


 俺は脱衣場で下着とズボンを素早く身に着け、剣と盾を持つと、女湯へと踏み込んだ。



「俺だ! いいか、入るぞっ!」

 緊急事態だとはいえ、そこは女湯。一応、声を掛けてから(そして、少しだけ間を取って)踏み込んだ俺だったのだが、


「って、うおっっ!?」


 そこで展開されている光景に、俺の目が点になった。な、なんつーか、その、


「くすぐったいぃ~~」

「た、タンマ、タンマ~~」

「むぅぅぅ、こやつらっっ」


 ……そこで俺が目にしたのは、ぷるぷるした青いスライムに身体を包まれ身悶えしている三人の姿だったそーな(何故か、昔話系語り口調)


 と、俺が踏み込んだ瞬間に、スライムたちの反応が変わった。


 身体の色を一瞬にして赤に変えると、捕らえていた三人の拘束を解いて俺の方へと向かってきたのだ。


「うおっ!」


 身体の端をとがった槍のようにして攻撃してくるスライムの一撃を俺は剣と盾とで《受け流し》た。

 温泉スライム(仮)の数は全部で三体! 全部で三回の攻撃を俺は何とかやり過ごす!

 鎧を身に着けていないから、かすっただけでも大ダメージだっ! 


 ……って、何故に、全部俺に来るんだ?!(冷や汗だらだら)


 せめて、一体だけでも俺以外を標的にしてくれると嬉しいんだけど!?(モーのやつなら、回避に専念すれば、よほどのミスをしない限り攻撃を食らうことはないはずだし、ネ子やフローさんだって、そうそうやられたりすることはないはずだ)(まぁ、スライムに言ってもしょーがねぇけどさ)。


「にーちゃん!」

「大丈夫だ!」


 援護に駆けつけようとしているモーのやつに答えた瞬間、スライムのやつがハンマーのように身体を変形させて殴りかかってきた! その攻撃を俺は受け止めきれず、後ろに吹き飛ばされてしまう。


「ぐっ!」

「にーちゃんっ!」


 モーが吹っ飛ばされた俺のことを身体で受け止めてくれる。


 むに。


「す、すまねー、モー!」

「どんまい! にーちゃん!」


 ……って、むに?


 思わず振り返った俺の視線は、戦う喜びに満ち溢れているモーの顔ではなく、もーちょい下の方へと向けられてしまい、


「む、むねぇぇぇ!?」

「へ?」


 素っ頓狂な声を上げた俺の顔を不思議そうに見つめたモーが、俺の視線をたどっていって、タオル二枚を下着のように身に着けただけの自分の身体に気がついて、


「あっ……」


 ボッと顔を赤らめる。


「おっ、お前、女だったのか!?」


 小さいとは言え、確かにその双丘は、……


「にっ、にーちゃんのスケベ~~~!」

「ぐはあっ!」


 真っ赤っ赤になったモーの見事なアッパーカットを顎に受けて、俺の身体が宙に舞う。


 ……おっ、俺が悪いのか……!?


 女湯の白い天井を見たのを最後に、俺の意識は途切れたのだった……



「はっ!」

「…あ、にーちゃん。気がついた?」


 ぱちりと俺が目を開けると、俺の顔を覗き込んでいるモーと目が合った。どーやら、膝枕してくれていたようだ。とっくにモーのやつが服と鎧を身に着けているのを見ると結構な時間気絶していたらしい。場所は女湯の脱衣場で(俺が頭部による衝撃で気絶していた

ので、あまり動かさないようにしてくれたんだろう)、服を身に着けている(どうやら誰かが着せてくれたらしい。さすがに、鎧まではつけていなかったが)のを確認してから、俺はゆっくりと身を起こす。


「あ、寝てなくて、だいじょぶ?」

「ああ、大丈夫だ」

「そっか……」


 少し残念そうに呟くモーと、俺は座って向き合う。モーのやつは正座したままだ。話しにくそうに俯いているモーに『もっと楽にしろよ』と俺が言うよりも早く、


「ごめんね、にーちゃん。助けに来てくれたのに殴っちゃって……」


 モーが上目遣いにちらりと俺のことを見た。


「あ、いや、気にしてねーよ」

「それに、……おいらが女だって黙ってて、ごめん」

「……別に、気にしてねーよ。お前が男だって、勝手に俺が思い込んでただけだからな」


 こんなにしおらしいモーは初めて見たけど、茶化すような場面じゃないな(いつもの俺なら確実にからかってるけど)


「俺こそ、その、ごめんな」


 何がどう「ごめん」なのかは分からないが、謝っておきたくて、俺は頭を下げた。

 「うん……」とぎこちなくかすかに頷くモーに、俺は違う話題を振ってみる。


「そーいや、スライムはどうしたんだ? お前が倒したのか?」

「あ、ううん。ばーちゃんが何とかしたみたい。《魔法》で命令しなおしたとか言ってた」

「へ、へぇ~」

「あのスライムってね、……入浴客に垢すりとかマッサージとかをするために作られたスライムだったみたいなんだ」

「なっ、なにぃ!?」

「だから、女湯に入ってきたにーちゃんを敵とみなして攻撃したみたい。……ほ、ほら、にーちゃんて、男だし……」

「そ、そーだったのか……」(女の敵とみなされたってか、俺)(トホホ~)

「それよりさ、にーちゃん」

「ん?」


 話しにくそうに視線を外すモーを俺は訝しげに見てしまう。


 ……こーして恥らっている姿を見ると、何だか、女の子みたいだ(当たり前か)


「服着せるとき、見ちゃったんだけど……」

「な、ナニを!?」


 声を上ずらせる俺に真剣な眼差しを向け、


「その体の傷って、オイラたちをかばった傷なんでしょ?」


 モーのやつはちょっとだけ、悲しそうな悔しそうな顔をした。


「あ、ああ……。あ、いや、これは、」


 全然別な想像をしてしまった自分が恥ずかしい(赤面)


「違うよ、モーシン」


 俺はきっぱりと首を振った。確かに、俺の身体は傷だらけだが、全部が全部、モーたちを庇ってできた傷じゃない。


「確かに、そーいうのもあるだろうけど、自分のミスで負った傷のほうが多い。だから、そんな顔をすんなよ、モーシン」

「うん……」


 かすかに頷いて目を伏せたモーシンが、何かを決心したように、顔を上げてしっかりと俺を見つめる。


「にーちゃん、いつも、ありがとうね」

「な、何だよ、いきなり?」

「おいらさ、いっつも、敵を攻撃する方に力を注いじゃって、防御の方がおそろかになってて……」


 いつもの快活さからは想像できない声音でモーの告白は続く。


「なんだか、にーちゃんがおいらのことかばってくれるのに甘えて、いつの間にか、にーちゃんに、頼りすぎてたみたいだね……」

「モー……」

「だから、ごめん!」


 頭を下げて唇をかみ締めるモーに、俺はゆっくりと首を横に振りながら口を開く。


「謝ることなんてないぜ、モーシン。お前が、攻撃を担当してくれてるから、……敵をバリバリなぎ倒してくれるから、俺は、相手の隙をついて剣で攻撃したり魔法で傷を治したりみんなをかばって防御したりとか、いろいろな行動をとることができるんだぜ?」

「にーちゃん……」


 驚いた顔でモーシンが顔を上げる。


「頼りにしてんだぜ、モー? それに、もっと俺のこと、頼ってくれていいんだぜ?」


 ニヤリと笑って俺はモーの肩を軽く叩いた。


「だから、気にすんな」

「……うん。ありがと。にーちゃん」


 かすかに震える声でそう言って、ちょっとだけ甘えるようにモーが俺に抱きついてきた。俺もモーのことを抱きしめてやろーとして、……何だか気恥ずかしくてくしゃくしゃと乱暴にモーの頭を撫でてやる。


 しばらくそーやっていた後で、俺はおもむろに口を開く。


「そーいや、ネ子とフローさんは?」

「うん。先に行って、ちょっと見てくるって」

「そうか……」


 俺はくしゃりとモーの頭を大きく撫で、笑いかけた。


「じゃあ、そろそろ、俺たちも行くか? モー?」

「うんっ♪」


 顔を上げて勢いよく頷くモーの頭をポンと叩くと、俺たち二人は、先行しているネ子たちの後を追いかけ始めたのだった(もちろん、受けたダメージを魔法で回復し、いそいそと鎧を身に着けてからだけどな)(どこか決まらないんだよなぁ、俺)(苦笑)。

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