第22話 メッセージ


「・・・・・・あれ?」


 瑛太郎えいたろうは気がつくと、志憧しどうの家の前に立っていた。手には半玉のすいか。じりじりと照りつく日差しと蝉の声が重なってうるさい。 


「俺・・・いつから・・・ここに?」


 確か、足が遠のいていたこの家の前を通りかかって、杏珠あんじゅの泣き声を聞きつけたはずだった。そして熱中症で倒れた志憧を見つけたのだ。介抱して、夕食を一緒に食べ、そして・・・・・・

 瑛太郎は閉まっている玄関の扉に近づいた。杏珠の声は聞こえない。


(どういうことだ・・・?あれは夢?)


 白昼夢にしては生々しすぎる。ドアはぴしりと閉まっていて中からは何も聞こえない。SOSがない限りは、普通に訪ねるしかない。

 でも瑛太郎の身体には確かにある記憶がある。志憧の唇の感触。真夜中の子供部屋のこもった空気。汗で濡れた肌がぶつかりあって響く粘着質な音。妄想にしてはリアルすぎる感覚。なのに巻き戻されたみたいな今の状況はなんだ?

 ある意味、都合のいい夢。本当に夢だったなら簡単だが、瑛太郎の中には記憶だけではなく、明確な感情が芽生えてしまっている。

 

 瑛太郎はもう一歩扉に近づいた。インターホンを押そうと思ったが、探しても見つからない。元々ついていたのを取り外したのか、小さな四角い跡が壁に残っていた。訪問を知らせる術がなく、おそるおそるノックをしてみる。が、中からは反応がない。ドアノブを回すと、たやすく開いた。

 鍵がかかっていなかった。


「・・・お邪魔します」


 誰に言うでもなく小声でつぶやきながら瑛太郎は靴を脱いだ。家の中は静まりかえっていた。留守なのに鍵が開いているのはおかしい。リビングのドアは開いているが、ほかの部屋のドアは閉まっていた。リビングは片づいていて

人の気配はしない。小さな卓袱台もテレビも椅子も、なにも変わりない。ここに布団を敷いて志憧と杏珠と雑魚寝したはずだ。部屋の中を見渡しても、特別おかしなところはない。持ってきたすいかをキッチンに置いて、瑛太郎はあの志憧と繋がった子供部屋に向かった。 

 小学生の男の子の部屋の主は誰なのか、それはいまだにわからないままだ。「志憧」と書かれた習字の紙を、あの晩彼はいとおしそうに撫でていた。それを書いた相手を知っているということだろうか?まさか杏珠のほかにも亡くなった恋人に子供が?まとまらない考えのまま、瑛太郎は子供部屋に入った。

 この部屋の床で、志憧と交わった。アイボリー色の絨毯をずいぶん汚してしまった気がするが、どこにもそんな跡はない。掃除をした、というよりはもとからそんなことはなかったかのようだ。あたりを見回して、瑛太郎はあることに気づいた。

「志憧」の名前が書かれたあの半紙がない。


「ど・・・どこだ?」


 不思議な感覚だった。知っている場所なのにどこかよそよそしさというか、初めて来たような違和感がある。そもそもこの家の玄関には、杏珠の小さなズック靴とサンダルがあったはずだ。それも見なかった。リビングのソファに置いてあった杏珠のお気に入りのくまのぬいぐるみも見なかった。急に背中がぞくりとした。瑛太郎は早足でリビングに戻った。


 なにかいつもと違う。ふたりがいないだけじゃない。パラレルワールドというのを聞いたことがある。よく似ているけれど、次元の違う世界。瑛太郎はリビングに置いてあるものをひとつひとつ見て回った。杏珠のぬいぐるみのほかに、無くなっている物はないか。この間の夜と違う物はないか。

 そこで気づいた。


 写真がない。

 テレビの上に置いてあったフォトフレーム。その中には杏珠の写真が入っていたはずだった。今テレビの上にあるフォトフレームにはほこりがうっすらと積もっていて、白い台紙が見えるだけだ。しばらく触っていないことがうかがえる。


「写真がない・・・?」


 瑛太郎はフォトフレームを手にした。埃を払って裏側を開いてみる。記憶ではここに、志憧は恋人からの大事な手紙と写真を入れていたはずだ。開けてみると、封筒や手紙はなかった。入っていたのは写真がもう一枚。


「あれ・・・?」


 以前見せて貰ったのは、若い志憧と亡くなった恋人が仲良く身を寄せ合っているものだった。しかし今ここにある写真には、志憧は映っていない。まるで隠し撮りのようなアングルで、恋人の男がだれかと談笑している横顔が映っている。こんな写真は覚えがない。

 どこまでも違和感がつきまとう。本当にここは志憧と杏珠の家だろうか?瑛太郎は写真をそっとフレームの裏に戻して、玄関に戻った。 

 誰もいないこの家にこれ以上いるべきじゃない、と自分が自分に言っている。


 二人がいないのに鍵が開いていたこと。あったはずのものが見あたらないこと。そして何よりも、言葉では言い表しきれない違和感。

 瑛太郎はキッチンにすいかを置いたのを忘れ、そのまま家を走り出た。



 

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