第13話 切手
「
「もう三年です」
「三年?」
「子育てにも慣れました」
杏珠を預かって三年、という意味だと
「この子の目は、故人によく似ているんです。形も色も、睫の長いところも」
杏珠は瞼を閉じていて、わかるのは睫の長さくらいだ。杏珠が大人になれば、志憧の愛した女性に面差しが似てくるのだろう。
「いずれ僕が赤の他人だということを知るときがくる」
「・・・今は、知らないんですか」
「ええ。でも時間の問題です。男ひとりで思春期の娘を育てられるかどうか・・・」
これから小学生になるというのに気が早い。それほど杏珠が大切なのだ。瑛太郎は質問を頭の中で練り直し、慎重に口を出した。
「誰か助けてくれる人はいないんですか」
志憧は二度、瞬きをした。そして答えた。
「僕も杏珠も・・・身よりがいないんです」
衝撃的な告白に、瑛太郎は黙るしかなかった。志憧はつまみをまとめて口に放り込み、静かに咀嚼した。
「だから杏珠は、瑛太郎さんと遊べることが楽しいんです。幼稚園にも行かせてあげられなかったので」
「遊び相手でよければいつでもなります」
「小学校に上がれば友達も出来るでしょうが、母親がいないことでいずれ傷つくこともあるかもしれない」
「・・・・・・」
「その先も・・・杏珠には苦労をかけてしまうでしょう。こんな僕が父親代わりでは」
「志憧さん・・・・・・」
「・・・・・・すみません、愚痴ってしまって」
「僕でよければ聞きます。少しは気持ちが楽になるかもしれない」
志憧は瑛太郎を見つめ、悲しそうに微笑んだ。
「・・・すみません、こんな話をお聞かせして」
「僕なら大丈夫です。話を聞くくらいしかできませんが・・・」
ありがとうございます、と志憧は言った。そして少し間を開け、独り言のように呟いた。
「僕も杏珠と同じなんです。瑛太郎さんが来てくれるようになって・・・」
「え?」
「いいえ、なんでも・・・」
志憧は瑛太郎から視線をはずし、ビールを飲み干した。目の下がほんのりと赤く色っぽい。自分に都合よく考えるなと言い聞かすも、瑛太郎は押さえ込んだ気持ちが頭をもたげるのを止められなかった。
もはや従兄弟に似ているから、なんて言い訳はきかない。とっくに志憧が好きになっている。杏珠が可愛いのは本当だが、瑛太郎が心の底で期待していたのは志憧との距離が近づくこと。
瑛太郎は杏珠の寝顔を確認した。子供は一度眠るとなかなか目覚めない。今、杏珠はうつ伏せになり、顔だけを横にむけてすやすやと眠っている。ちょっとした物音では目を覚ます様子はない。
志憧はおもむろに立ち上がると、テレビの上にあったフォトフレームを取り、瑛太郎の横に座った。
この家に初めて入ったときから目に付いた、満面の笑みの杏珠の写真。今よりも幼い。志憧はそれを開き、杏珠の写真の後ろに入れてあった古い封筒を取り出した。
英語の宛名と、エアメイルのスタンプ。カラフルな蝶が描かれた海外の切手。上部がはさみで切り取られていて、そこから二つ折りの便せんが出てきた。
志憧は便せんの間に挟んだ一枚の紙を取り出し、テーブルの上に置いた。それも写真だった。
「彼が杏珠の本当の父親です」
そこには若い男がふたり写っていた。どちらもはちきれんばかりの笑顔で、仲良く顔を寄せ合っている。背景には真っ青な青空と夏の雲が見える。志憧が指したのは、特に肌の浅黒い、より溌剌とした表情の男。よくよく見れば、もうひとりは志憧だ。目元に面影があるものの、今の彼からは想像もつかない明るさで、憂いは感じられない。
「杏珠に似ているでしょう」
言われてみれば目元が似ている。他のところは母親似なのか。しかしそれよりも気づいたのは、写真の中の志憧の表情と、それを見つめる今、ここにいる志憧の何とも言えない切なげな視線。
母親の写真ではない。この世を去った杏珠の父親への、志憧の想い。それが何を意味するのか、深読みしたくないのに、瑛太郎の頭は勝手に計算式をはじきだそうとする。
「亡くなったのは、杏珠が産まれる直前でした」
「それは・・・」
「交通事故でした。夫婦の乗った車に、居眠り運転のトラックが突っ込んできて、父親は即死。母親は臨月で・・・病院に運ばれて、杏珠だけが助かったんです」
志憧は指先で、亡くなった男の顔を撫でた。
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