第10話 くらげ



 「みてみて!きれいな貝みつけた!」


 杏珠あんじゆは砂浜をよろよろしながら走ってくる。小さめのパラソルと敷物は志憧しどうが、瑛太郎えいたろうは浮き輪とクーラーボックスを持ってきた。

 杏珠は黄色と水色のチェック柄スカートのワンピース水着を着ている。今日のために買ってもらった、と嬉しそうに瑛太郎に告げた。志憧は膝まである紺色のハーフパンツに、タオル地のパーカーを羽織っていた。水着など持っていなかった瑛太郎は、近くのスーパーであわてて買った膝丈の水着にTシャツ。今日は幸いにも真夏日ではなく、風が気持ちよかった。利用客も少なめだ。


 杏珠は貝を小さな手で丁寧に磨き、敷物の上に置いた。そしてまた波打ち際まで走っていき、新しい貝を探してきては並べる。いつのまにか八つにもなり、疲れた杏珠は敷物の上に腰を下ろした。


「おなかすいた」


「昼ご飯にするか」


「する!」


 志憧は杏珠の頭をぐりぐりと撫で、持ってきたリュックから弁当箱の包みを取り出した。瑛太郎はクーラーボックスを開け、よく冷えたジュースとビールを出した。


「杏珠オレンジジュースがいい」


 瑛太郎が手渡すと、なんとかしてペットボトルの蓋をひねり開けようと奮闘している。志憧はすぐ手を貸すと杏珠がへそを曲げるのを知っているようで、黙って見ている。瑛太郎もそれにならい、彼女が諦めるのを待った。数分奮闘するも開けられなかったのか、杏珠はふくれっつらで志憧にボトルを突き出した。

 志憧が作ってきた弁当は小さめのおにぎりと卵焼き、唐揚げ、別容器に簡単なサラダが入っていた。それを敷物の上に並べて昼食になった。おにぎりの中身は鮭か梅干し。瑛太郎は梅干しが当たった。杏珠は鮭おにぎりを小さな口で一生懸命頬張っていた。

 不思議な縁で知り合った親子。母親が亡くなったと言っていたが、杏珠が恋しがる様子はない。志憧といるのが楽しくて仕方がないのか、とにかくいつも笑っている。 

 端からみて、瑛太郎はこの親子の何に見えるだろう。親戚にでも見えればいいが。志憧と瑛太郎はビールの缶をを開けた。


「志憧、うみはいる」


 昼食を終えた杏珠は座っている志憧の手を引っ張った。


「僕ここにいますから、行ってきてください」


 瑛太郎が言うと、一緒に行きましょう、と言って志憧は立ち上がった。おもむろにパーカーを脱いで、杏珠と手を繋ぎ瑛太郎を見下ろした。


「いっしょにいこ」


 杏珠は空いている手で瑛太郎に手を伸ばした。その笑顔に引き込まれるように握り返し、結局瑛太郎も一緒に波打ち際に向かった。

 志憧の裸の上半身を直視しないようにしながら、瑛太郎は海水に足を浸した。つめたーい、と杏珠は引いては返す波を追いかける。杏珠の膝がぎりぎり隠れる程度の水の高さまで浸かって楽しそうに遊ぶ二人。

 瑛太郎は二人を横目に、もう少し深い場所まで海に入った。冷たさが心地よく、しばらく浸かっていたいと思った。海水浴なんて中学生以来だ。自分がゲイだと自覚して、海やプールを避け続けてきたからだ。

 今、目の前に、好きだった従兄弟に面差しの似ている男がいる。娘がいようと関係ない。瑛太郎は彼に気づかれない場所から、志憧の背中を見つめていた。

 何も望まない。本人でなくともかまわない。誰にも明かさず、誰とも愛し合わずに一生を終える覚悟だったのだから、この時間を与えてもらえただけで十分だ。


「痛・・・っ・・・」


 不意に、瑛太郎の足に痛みが走った。瑛太郎の声に、杏珠も志憧も振り返った。


 水から上がってみると、そこは赤く丸く晴れ上がっていた。


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