第3話 謎


 どうして祭りに行こうと思ったのか。瑛太郎えいたろうは人混みの中をぼんやりと歩いていた。そもそもの理由は、たむろしていた素行の悪い高校生の集団を避けるため、回り道をしたことだった。

 祭りはおおよそ瑛太郎よりも若い者たちであふれている。浴衣姿のカップル、綿菓子を持った子供を連れた親子連れ。大声を出してはしゃいでいる中学生のグループ。見るからにサラリーマン、それも汗だくでひとり歩く瑛太郎は完全に浮いていた。あまりの暑さに何か飲みたくても、甘い味付けのピンクやブルーのジュースしか売っていない。せめてビールでも、と思うが、行けども行けどもリンゴ飴やチョコバナナなどの甘いものしか売っていない。

 いよいよ汗がぼたりぼたりと地面に落ちる。限界だ、と独り言が口をついて出た時、くん、と右手の小指を引っ張られた。驚いて見下ろすと、そこにはあの金魚の浴衣を着た少女が瑛太郎の手を握っているではないか。


「えっ・・・・・・?」


 少女は目にたっぷりと涙をためて、瑛太郎に助けを求めていた。顔を覚えていたようだ。迷子になったのだろうか。


「は・・・はぐれた?」


 瑛太郎がそう尋ねると、少女はこくん、とうなづいた。あたりを見回してみても、父親の姿は見あたらない。これだけの人出だ、うっかり手が離れてしまったら迷子になるのもうなづける。


「探そう。おいで」


 気が付くと瑛太郎はそう言っていた。少女はしっかりと瑛太郎の手を握っておとなしくついてくる。ここで手が離れてしまったら、今度こそ大変なことになる。

 瑛太郎と少女は人並みをかきわけ、屋台が並ぶ神社の境内をぐるぐると回った。十五分ほどして、傍若無人に騒ぐ学生たちから少女を守りながら、元いた場所まで戻った。もし父親が娘を探しているとしたら、いなくなった場所に戻ると考えたからだった。


杏珠あんじゅ!」


 少女は、背後から聞こえたあんじゅ、という名前に弾けるように振り向いた。そして、しどう、と叫んだ。

 それが再会出来た父親に向けられた言葉だと知って、瑛太郎は不思議に思った。「しどう」とは、名前なのか、名字なのか。そもそもこんなに幼い娘が父親の名前を呼び捨てにすること自体がおかしい。

 父親じゃないのだろうか。

 しどう、と呼ばれた彼は汗だくで立っていた。少女はさらりと瑛太郎の手を離し、父親のところへ走っていった。瑛太郎は、誘拐したと思われるんじゃないかと過ぎり、いきさつを説明しようとした。が、少女が父親に向かって、いっしょにさがしてくれた、と言った。


「ありがとうございます」


 父親は杏珠という名の娘を抱き上げ、深く頭を下げた。疑われていないことに安堵して、いいえ、と答えると、杏珠は父親にむかって「のどかわいた」と訴えた。さっきまでの不安気な表情はどこへやら。その言葉に瑛太郎も自分の喉の乾きを思い出した。


「イチゴのジュースのみたい」


 杏珠は父親の肩から身を乗り出し、一番近い屋台ののぼりを指さした。そして瑛太郎を小さな手で手招きした。


「ご一緒にどうですか」


 瑛太郎は気が付くと、はい、と答えていた。氷がたくさん入った、どぎつい色のフルーツジュースを売る屋台。瑛太郎はその中で、一番まともに見えるオレンジ味を選んだ。代金は父親が払った。気にしないでくれ、と言ったが、かえってこんなもので申し訳ない、と言いながら父親は瑛太郎に紙のカップを差し出した。

 杏珠は希望通りのイチゴのジュースを、くるんと曲がりくねったストローでうれしそうにすする。その顔を幸せそうに見つめる父親の横顔を、瑛太郎が見つめていた。

 父親には唇の横に黒子ほくろがあった。厚くもなく、薄くもない唇。切長の瞳は涼しげで、夜風が前髪を揺らすと形のいい額があらわになる。杏珠はまるい目が可愛らしく、茶色い髪はお団子にまとめても、ふわふわとした後れ毛が目立ってそれがさらに愛らしい。彼らはよく似ているようで、あまり似ていない。


「おいしい?」


 杏珠は俺のオレンジジュースのカップを指さした。おいしいよ、と答えると、よかったねえ、と笑った。杏珠はずずっと音を立てて、イチゴジュースを一滴残さずに飲み干した。


「杏珠、トイレは」


 空になったカップを杏珠の手から受け取り、父親が聞いた。トイレいく、と答えた杏珠は父親の空いた手を掴んだ。瑛太郎はそのタイミングで、それじゃあ、と言った。父親はもう一度、ありがとうございました、と礼を言った。杏珠は満面の笑みで、ばいばい、と手を振った。


 瑛太郎は手を繋いで歩いてゆく親子の後ろ姿を、少しだけ残ったオレンジジュースを飲み干しながら見送った。


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