第20話 彩りを添えて
「
文化祭をまもなく迎えようとしている経誼高校では、文化祭の準備が急ピッチで進められている。そして、2年6組の教室では、碧人が先日休んだのをいいことにあらゆる作業に徴発されていた。
「鶏谷! これは1デシメートル。これは3フィート。これは6インチ、これは4寸、これは2尺、これは1ヤードでお願いね」
碧人は話したこともない同級生から嫌がらせ同然の仕事を押し付けられるも、その生徒はすぐに教室の隅へと消えてしまう。
「さてはおまえらやる気ないな?」
そう思い、教室の隅で固まっている人だかりを見ると、そこでは参考書とノートと筆記用具を持った集団が蠢いていた。
「うわぁ……」
結局、昼休憩まで断裁作業が終わることはなかった。
「はぁ、疲れた」
昼休憩、碧人はカフェテリア前にある自販機へと向かった。何か良い飲み物はないかと思ったからだ。しかし、そんな碧人に声がかかる。
「あら、碧人くん。お疲れかしら?」
文化祭で教室の装飾に使う道具一式を詰めたダンボールを持って碧人の近くを通ったのは飽海だった。
「まあな、今日色々あったんだよ」
そう言いつつ碧人は肩を回した。
「そういえば先日、休んだみたいだけど具合悪かったの?」
「……いや、俺の具合は別に健康そのものだったよ」
碧人は敢えて詳細な言及は避けた。そして、飽海もすぐにそのことを理解する。
「あら、そうなの? ならいいんだけど。そういえばお昼空いてる? 一緒に何か食べない? 奢るよ?」
「いいのか?」
社会人ならまだしも、高校生で同級生に奢ってもらうというのは気が引けた。とはいえ、その提案は碧人にとってありがたかった。
「うん、私お小遣い多すぎて正直消費しきれないんだよね。じゃ、そういうことで。私この荷物教室に置いたらすぐにここ来るから中で待ってて」
飽海はすぐに自身の教室に向かって急ぎ始めた。
そのため、一時的に飽海と別れた碧人は学食の席取りのため空いている席を探す。幸いにもすぐに見つかり、碧人がその席に座ろうとするとちょうど別の生徒が座りに来た。
「ああすみません……って碧人?」
カレーを手に持っていた也寸志は、ちょうど碧人と同じ席に座ろうとしたらしい。
「碧人、一緒に座っていいか?」
也寸志の言葉に、碧人は言葉を紡ぐのを一旦止めた。
「あー、どうだろうな。相手は飽海なんだけど」
「飽海か! なら問題ないな!」
也寸志と碧人、そして飽海は一年の頃一緒のクラスであった。科が異なるが、混合させた方がよりよい影響を与え続けるのではないかという学校長の方策である。しかし、筋肉科と普通科では教育課程が違いすぎて、一緒の授業といえば社会と情報、家庭基礎、芸術、LHR、総合の8時間しかなかった。
とはいえ、何だかんだいって三人で一緒に摂ることが多かったのだ。
飽海は也寸志と一緒に食事を摂ることが大変不本意という顔をしていたものの、也寸志はほとんど気にしていなかったようで、今もである。
「碧人くん、おまかせ……ってなんであんたがここにいんの」
教室から戻った飽海は碧人を見るなり満面の笑みで近寄っていたが、視界に也寸志が見えるなり途端に声色が冷たくなった。
「俺? 俺はただ飯を食いに来たら碧人がいたから同席した。ただそれだけだ」
「ふーん、ちなみに何食べてるの?」
飽海は也寸志の食べているカレーを見た。当然カレーということは理解しているが、カレーにも色々と区別がある。
「あれだ」
也寸志の指さした受け取りカウンターの上部にある木札には、『筋肉カレー』と書かれていた。
「
飽海は筋肉カレーの考案者を想像し、嘲笑った。あまりに思考回路が単純なのだと。
「何を言ってるんだ。これは
也寸志はカレーの中からまだ残っている肉塊を見せる。飽海がよく見ると、牛スジ肉であった。
「紛らわしいことこの上ないわね。で、碧人くんは何食べる? 奢るけど」
学校上層部といい、カフェテリアの運営といい、この学校の運営に携わる者は馬鹿ばかりなのではないかと顔を引き攣らせつつもいつもの柔和な笑みを浮かべ碧人の方を見た。
「そうか、じゃあありがたくごちそうになるよ。俺はうどんで」
飽海は木札でうどんの価格を確認するが、280円とかなり安めだ。
「そんなのでいいの? 別にうな重とかでも奢って上げるのに」
奢りたかった飽海としては、うどん程度では奢りがいがなくなんとなく寂しいのである。
「俺なら問答無用でうな重頼むけどな」
也寸志が口を挟むなり、即座に飽海は目を光らす。
「おまえは黙ってろ」
「あ、はい」
也寸志は視線を飽海から残り少ない筋肉カレーへと戻した。
「じゃあ私二人分買ってくるわね。碧人くんはちょっと待ってて」
そう言い残すと、飽海は食券を買いに向かっていった。
そんな中、也寸志は筋肉カレーを食べ終え水を飲んで一息つくなり突然唐突に話しかけた。
「なあ碧人。なんで飽海は碧人にだけあんなに優しいんだ?」
客観的に見ても、飽海は明らかに碧人にだけ態度を変える。このことは碧人も重々承知の上だ。
「うーん。なんでだろうな。正直わからん」
碧人は別に何も隠さずに告白した。
言葉通り、碧人自身もよくわからなかった。
「じゃあ、飽海と碧人っていつから接点があったんだ? 一年の時か?」
「ああ、一年の時だよ」
碧人、飽海、也寸志は一年の時は同級生だ。当然、同級生である以上授業などで少なからず接点というものは生まれる。しかし、飽海は誰にでも冷たい反応をする。いつから碧人に対する態度が軟化したのか。碧人はわからず頭を抱える。
「一年が遠い昔のように感じられるな。あの時は勉強ばっかで大変だったな」
「そう言ってるけど、也寸志ってクラス2位だったろ?」
筋肉科と普通科では教科がまるで別物であるため単純比較など不可能だが、点数や偏差値などからある程度は比較はできる。その上で、この也寸志という男はクラスでは飽海に次ぐ2位であった。
「え? うん、まあそうだけど。で、飽海との接点だけど」
「最初に会ったのは……、あの頃は涼のことで大忙しだったから何も覚えてないや。ただ、落ち着いてきた頃には既に飽海と喋ってる記憶がある」
ぼんやりとしか覚えていない記憶だった。しかし、その時には既に飽海の態度は今と変わりない位には軟化していた。
「本人も覚えていないうちに何かがあったんだな」
也寸志もどうすれば仲良くなれるのかは気になるが、本人も覚えていない状態ではどうすることもできない。彼女に聞こうにも、あの態度である。教えてはくれないだろう。
「碧人くん、おまたせ。食券機ちょっと混んでて」
飽海は宣言通り、うどんとうな重を買ってきて席に座る。
「本当にうな重買ったのか。買ってる奴初めて見たんだけど」
学食でうな重は3500円と突出して高額である。学習参考書や交通費、ゲーム代に消えていく学生たちにとって、このようなものを食べる機会には恵まれない。
「いやべつにあなたに見せるために買ったんじゃないですけど?」
冷たくあしらわれた也寸志は、これ以上いても無駄だと思い席を立った。
「お、そうだな。じゃあ俺は帰るわ」
筋肉カレーを持ち、食器を返しに行った也寸志を見ながら碧人はふと思い出したように飽海にお礼を言うことにした。
「ああ、ありがと。それと、参考書の件もありがとう」
「別に全然いいの。それにしても、碧人くんが急に初学者向けの文系の参考書知りたいって言うから何事かと思ったわよ。まだ文理どっちかで悩んでいるのね」
文系の参考書を知りたいと言ったのは、もちろん涼に教えるためである。しかし、嘘をついた。色々問題を避けるためだ。
「そういえば文化祭準備は進んでいるの?」
「ああ、進んでるぞ。ただ、先日のLHR欠席したからその分仕事をかなり押し付けられたけど」
碧人は午後からも大量の仕事が既に約束されている。考えるだけでも億劫だ。
「それは大変ね。私の所もすごい大変よ。筋肉科なら嬉々としてやるんでしょうね」
筋肉科のほとんどはいわゆるウェイ系だ。普通科の生徒みたいにグダグダにははならないことは容易に理解できる。
「まあ、筋肉に不可能はないとか言いそうだからな。それに、警備も任されてるからそんなに凝ってない分楽そうだな」
「警備ねぇ……。どんな経緯があったんだったかしら?」
筋肉科が文化祭の警備を行う。そのことは理解しているが、どういう経緯なのかは飽海は聞いたのだがその後が忙しくあまり覚えていなかった。
「ああ、チケット配布だと身内しか来ず周りの目を気にせず生徒が勉強に走っちゃうから、まともな文化祭にするべく誰でも歓迎ということになったということは知ってるよな?」
進学実績が良すぎるために起こる悲劇であった。
「ええ」
「でも、そうなると警備が緩くなるだろ? 昨今物騒だし。そこで、筋肉科が適宜警邏することになったんだよ。でもまあ不安だよな?」
碧人としては賛成できなかった。大層な名目があるが、実際の所では人件費削減が目的ではないかと思っている。
「ええ、不安しかないわ……。本当に何もないといいのだけど」
飽海も深く同調し、来る文化祭を嘆いた。
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