第19話 受け継がれるもの

「受験地は022、本籍地も一緒か」


 碧人が音信不通となった翌日の早朝。涼はリビングにあるソファに腰掛けて願書を書いていた。当然だが、碧人のことも気になる。それでも、高認のこともしっかり取り組みなさいと母親から諭された涼は一旦碧人のことは忘れて願書に取り組むことになったのだ。

 都道府県ごとに番号が振られ、その中から静岡県の文字の隣に書かれている『022』という数字を願書に埋めていく。


「えーっと、最終学歴は……なんだ?」


 願書には、最終学歴の項目があった。

 大多数の人なら中学校卒業と書くのだろうが、生憎と涼は中学校を卒業していない。高認の受験において必要なのは満16歳以上ということだけであり、中学校卒業の有無は問われない。しかし、仮にも公的な試験である。嘘を書くわけにもいかない。


「お母さん? どうすればいいと思う?」


 ダイニングテーブルで上品にも白湯を嗜んでいた涼の母親は、涼の声に応えるべく涼の元へと向かった。


「んー? 14でいいんじゃない? 別に中卒じゃないと受けられない試験ってわけでもないんだし」


 母の言葉に涼は改めて願書に書かれている学歴コードを見る。中学卒業を始めとした様々な項目があるが、14はその他を意味する。


「まあ、14でいいか」


 涼は特に気にしないことにし、14とマークする。そして、その動向を見終えた涼の母はダイニングテーブルへと戻っていった。


「資格は持ってないし、今回が初受験、特別措置は希望しない、学歴は書かないっと」


 せっかく資格を持っているのに、書けないことをもどかしく思いつつも涼は願書の大半を書き終え一番面倒くさそうな住所をも書く。そして、最後に8500円分の収入印紙を貼り付ける。


「願書終わったー。で、次は受験票か……」


 涼が気落ちしている理由は、受験票に貼らなければならない顔写真である。

 先程顔写真を撮ってきたのだが、未だに自分という実感がない。帰ってきてしばらく経つとはいえ、自分が自分で無いように思えるため面と向かって鏡を見ることはしなかったのだ。

 とはいえ、こんなことを思っていても何も始まらない。あまりに見ないようにして受験票を書き、真っ黄色の派手な封筒に願書、受験票、その他必要書類を入れ封筒裏の最終確認をチェックする。


「これでよし、後は郵便局に行くだけ」


 この封筒を郵便局で簡易書留にしてもらえれば問題ない。そう思っているなり、後ろから声がかかった。


「終わったか? 涼? 会場はちゃんと調べたか?」


 ふと何かを思い出したように涼に忠告したのは、納豆卵かけご飯を食べている涼の父親だった。


「大丈夫だよ、ちゃんと調べたし」


 事前にバスの時間や、鉄道の時間。そして、駅についてからのバスの時間。それらを、余裕を持って構築してある。涼からすれば、何をそんなに心配しているのか疑問だった。


「交通費出すから一度行っとけ。実はな、俺下見に行かずに大検行ったら乗るバス間違えて危うく受験できなくなることがあったんだ。母さんの親父さんに大検落ちたら結婚諦めますって啖呵を切っちゃったから死ぬ気で会場まで走ったよ。多分あれが今までの人生で一番のピンチだった」


 色々と突っ込みたい所はあるが、一番気になるのは自分の父親の災難の多さだ。そして、涼自身は災難の回数自体は多くないが異世界召喚に性転換と災難の多さと災難の質では群を抜いている。


「お父さん、ホント色々やらかすよね……。遺伝なのかな」


 涼は引きつった笑いを浮かべながら自嘲する。


「あなたのそういう問題に困らない所、一緒にいて楽しいと思えるから好きよ。もちろん涼も」


 これだけ災難の多い父親と結婚する覚悟を決めたのだ。当然こんな性格でもしていなければ到底やっていられない。


「俺も、その寛大なおまえの心好きだぞ」


 涼の父親は納豆卵かけご飯の入っている茶碗をダイニングテーブルに置くなり、母親の元へと近づく。そしてゆっくりと唇を近づけた。


「納豆卵かけご飯食べた口でするのはちょっと……」


 涼の母親は父親の唇から少し遠ざかった。


「……そうか」


 涼の父親は、少しばかり寂しそうな顔をして再び納豆卵かけご飯を黙々と食べ始めた。


「何を見せられてるんだ……」


 両親同士の中がいいことはとてもいいことなのだろうが、正直見たくもないというのが涼の本音である。


「……仕事行ってくる」


 有給を取る機会こそ多いが、涼の父親は普通に高給取りである。しかし、そこに高給取りとしての矜持はない。猫背になり、ただ物寂しいような灰色の雰囲気を背負った男がいた。

 ただ一言をだけを残すと、外へ出ていった。


「いいの? お母さん?」


 さすがに、涼としては居た堪れない。母親の方を向いた。


「大丈夫よ、お父さんはね、夜優しくしてあげるとすぐに機嫌直るから」


 母親の顔が一瞬小悪魔めいたものになったのを、涼は見逃さなかった。涼は女性になったが、未だ女性というものについてはわからないことが多い。そして、今の一瞬で涼は謎の恐怖を感じとった。


「……。郵便局行ってくるね」


 涼は封筒と財布を急いで準備するなり、涼の母親を置き去りにするように外にでかけた。


「こういう所もそっくりね」


 涼の母親は呟いた。

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