第12話 記憶

 涼と碧人、そして飽海はショッピングセンター内のフードコートへと移動し食事をすることになったのだが涼の気分は乗らなかった。それどころか、かなり苛ついていた。その理由は、涼の眼前で繰り広げられる二人の会話だった。


「ああ、この前の模試? あんまり良くなかったな。特に国語なんか偏差値60くらいだった。でも、地理79だったな。飽海さんは?」


「え? 私? あんまり覚えてないけど、総合偏差値は85だったの」


 三人はテーブル席に座っているのだが、飽海と碧人は涼の対面側にいる。そして、飽海は涼との距離がほとんどないと言えるくらいに椅子を近づけてにこやかに会話をしていた。傍から見れば、二人は付き合っていると思う人もいるだろう。

 だが、本質はそこではない。

 涼はうどんとは別皿に盛られた鶏天に箸を突き刺す。刺し箸がマナー違反だと理解していても、そうしたい気分だったのだ。


「へー、すごい。いつもどうやって勉強してるんだ?」


「授業聞いて、少し参考書をやるだけだよ。現代文は桐○書店ののね──」


 涼が苛ついている原因は、単純に自分だけが除け者にされているからだ。別に同じ場所にいるのだから会話に参加しようと思えばできるのだが、模試や参考書に対する理解が絶望なまでに違うのだ。

 いくら涼も経誼高校に通っていたとはいえ、ほんの数か月。模試は受けたことはないが、教科書購入時にいくらか学習参考書は買わされた。

 しかし、涼は異世界から戻るなり無気力になってしまい、邪魔だと思ったので教科書と参考書をすべて捨ててしまった。さらに異世界にいた間は戦いが主であり、別のことを考えている余裕などなかった。数か月で得られた学校の記憶すらもほとんど残っていないのである。

 とはいえ、こんな場所では苛立ちを発散させる方法などない。眼の前にあるうどんに向けて七味唐辛子を何回も振っていた。


「なあ涼? うどん真っ赤だけどいけるか?」


 様子がおかしい涼に気がついた碧人が、心配し涼のうどんを覗き込む。そこにあったのは、全く手のつけられていない血の池地獄のようなうどん。もはや原型を留めていない。


「え? ああ、うん。大丈夫。と、ところで飽海さんはどうして今日ここに?」


 涼は我ながら自分のかけた大量の七味唐辛子に染まったうどんを見て驚愕しながらも、話を変えようと飽海に話しかける。


「私? 私はただ参考書を買いにね。学校で配られた参考書とかもほとんど終わったから。もっと高みを目指してみようと思ってね。でもまあ、あなたも私たちと同じ歳になればわかるわ」


 涼は何も言わなかった。

 飽海も涼も同学年ではあるが、こんな見た目であるので同じだと思うほうがおかしいだろう。

 そして、涼が一緒に食事を取って感じたのは、明らかに飽海という人は性格が悪いということだ。わざわざ大切な個人情報を晒す必要などないのである。


「それじゃ、私はこのへんで失礼。家に帰って勉強するから。じゃあね、碧人くん」


 飽海は碧人にだけ別れを言い残し去っていった。


「……感じ悪い」


 涼はそう呟くとうどんを啜り始めた。


「そうか? ああでも学校だと他の女子とつるんでいるところ見たことないな。まあ進学校だしな」


 進学校だから、友情よりも学業が優先。そんなことを考えている人もいるのだろうかと涼は考えてみる。


「そういうもん? 経誼にいた頃はわりと仲間とつるんでた覚えあるけど」


 経誼高校に通っていた頃の授業の記憶はほぼ皆無であるが、仲良くなった友人くらいは多少なりとも記憶には残っている。


「一年なんてそんなもんだよ。二年になると本格的に交流が減るな。まあかくいう俺もあんまり他人とつるんでないな。いつも一緒にいるのは飽海とかあとは也寸志やすしとか?」


「也寸志? どこかで聞いたような……。うどん辛っ」


 涼は也寸志という人物名に聞き覚えがあった。どちらかというと、ど忘れの要領である。喉まで出かかっているのだが、顔までは思い出せない。というよりは、かけすぎた七味唐辛子の辛さでうまく思考が分散しており思い出すのに集中できなかった。


「そりゃそうだろ。同じ中学だったんだし、経誼に入ってからもよく昼食とか食ってただろ」


 その瞬間、涼は思い出した。

 一年生の頃、経誼高校に入学した際は専ら同じ中学であった碧人と也寸志と一緒に昼食を取るのが当たり前であったと。


「ああ、いたいた。それにしても也寸志ってよく経誼に受かったよね。中学の頃は中の上くらいだった覚えがあるんだけど」


 経誼高校はこの県内トップレベルの進学校。中学において中の上くらいでは到底いけるはずがないのだ。


「本人も頑張ったからな、それに筋肉科だし」


 涼のうどんを食べる手が止まった。

 そして、涼は視線をうどんではなく碧人に合わせる。


「……何だって? 筋肉科?」


 涼は自分の耳を疑わざるを得なかった。そんな珍妙なもの、存在してよいのかと。


「ああ、筋肉科。也寸志は筋肉科だったろ?」


 さも当たり前であるかのように話す碧人に、涼はひどく混乱した。


「ちょっと待って!? 筋肉科って何!?」


「えーっと。確か『筋肉という第二の脳であり、心臓でもある生物の神に最大限圧力をかけることで、筋肉が秘めている力を最大限発揮を目的とする学科』だよ。そこも忘れたのか?」


 仮にとは言え、通ってた学校だぞ。ともの言いたげな表情で涼の方を見る碧人。しかし、涼の記憶にはそんなもの存在した記憶はない。


「いやいやいや、そんなもんなかったでしょう! あったらさすがに覚えてるわ」


 県内トップレベルの進学校に、あっていい学科ではない。涼だって、高校選びは近くの公立、私立問わず情報を集めたのだ。芸術関係の学科や農工商の学科が近くにあるのも知っている。しかし、そんなものは涼の記憶によると確かに存在していなかった。


「筋肉科は数十年前からあるぞ? というか涼、今日本当にどうした?」


 碧人が嘘をついている様子は決してない。だったら自分が問題なのではと考え始めた涼だったが、一つの考えに至った。


「もしかして、転移の影響による記憶障害……?」


 事実、魔王は転移させる時に体に影響が出る可能性について言及している。あり得ないわけではないのだ。


「うーん。どうだろうな。というか他にはこういうことあったか?」


「うーん……? 御調市の名前を知らなかったこととかかな?」


 心当たりはほとんどなく、一応可能性の一つを言ってみるが碧人の反応は変化しない。


「まあ、涼は地理苦手だったからな。一般人が知ってる地名を知らなくても断定はできない」


 涼は御調市という地名を全く知らなかったが、碧人曰くかなり有名な観光地であるということ。以前に涼は両親にも聞いたのだが、どちらも知っていた。


「それくらいしか」


「転移の影響って言っても、もう4か月も経ってるし何より忘れてたのが筋肉科のことだけってのもおかしいな。普通に忘れてたんだろ」


 本当に忘れていただけではないのか。そんな考えが涼の脳内を埋め尽くした。


「そうだといいんだけど」

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