第7話 退院準備
碧人が涼の服を小走りで買いに行き看護師は他に仕事があるからと出ていってしまう。すぐに戻ってくるだろうと軽くタブレットをいじり始めたのだが、碧人が戻ってきたのは二時間後でしかも碧人は息を切らしていた。
このあたりは元々観光地である。そのため、土産物屋などが多く、衣料品店も観光客をメインターゲットとしたような普段着に到底適さないものばかりだったらしい。
結局、更に遠くの大型衣料品店まで買いに行くことになったようだ。
「買ってきたぞ。俺のセンスに文句言うなよ?」
「ああ、わかってるって」
涼が袋を覗いてみると、地味で中性的な服が並んでいる。一安心した涼は着替えようと思い、いつもの癖で病院着を脱ぎ始めた。
「ちょっと涼!」
碧人は顔を真っ赤に染め涼とは反対の方向へと振り向いた。
「え? ……何?」
涼は碧人が思わず顔をそむけた理由を考えるも、気がつくまでに時間がかかった。
「……ああ、そういうことね。っていうか碧人ってロリコンだったっけ?」
下を見れば、紐を解いた病院着が体を沿って落ちていき現れたのは緩やかな丘陵のあるジュニアブラトップである。病院の売店で売っているものらしい。
涼は、女性の体になったとはいえ精神の方は追いついていない。そのため、碧人以外に人がいないということもあり恥ずかしいという感情があまりないというのが本音だった。二時間前に碧人をねだった時の方がよっぽど恥ずかしいのである。
「ロリコンではない。断じてだ。というか、一応そんな体になったんだから一応隠す努力はしないと痴女扱いされるぞ」
あまり動じず黙々と着替える涼に、碧人は目を瞑り反対方向を見ながら指摘する。
「まあそうだよね……。でも、人前で着替える機会なんてそうそうないと思うからあんまり気にしなくてもいいと思うけどな」
涼は下半身の病院着も脱ぐと、何も恥じらうことなく碧人が買ってきた服に着替える。白のTシャツに灰色のパーカーを被り、下半身はベージュのスウェットパンツ。
服装自体は地味であるが、パーカーのフードも被れば金髪も隠れて完璧だ。
「着替え終わったよ」
そう言って、涼は碧人が買ってきた靴下と白のスニーカーを履く。
「そ、そうか」
碧人が振り向くと、涼はスニーカーを履いている途中だった。
「そういや靴のサイズあってるか?」
「ちょっと大きいかな?」
つま先で床を叩いてみるが、どうにも靴と足がフィットしない。靴も、決して高いものではない。安価なものだ。しかし、性差が出やすい服に比べて靴は出にくい。男性が使っていても違和感のない靴は、どこか好感が持てた。
この服を着るのは家までで、きっとクローゼットの中に当分は封印されるだろう。しかし、この靴は今後とも使う気がする涼だった。
「涼さーん? 今大丈夫ですか?」
涼が靴の試し履きを終えると、看護師が警察を引き連れてやってきた。
碧人がやってきて本日中に退院することが確定したため、急遽警察が涼が倒れていた事件の真相を最終確認すべくやってきたようだった。そんな中、警察官が早速口を開く。
「涼さん、少し記憶が戻られたんですか?」
「え?」
「だって以前は知り合いも何も覚えていないと言われていたじゃないですが。でも、今回間違いなく彼は知り合いなのだと断言できるのでしょう?」
警察官は、訝しんでいた。家族というわけでもなく、二人の年の差が少々離れすぎているからだ。
「え、ええ。自然とSNSのIDとパスワード思い出して、それでログインしてみたら過去のチャット履歴から思い出したんですよ」
「ほう、そうですか。ではあなたに聞きます」
警察官は、碧人の方を怪訝なそうな顔で見つめた。
「涼さんの本名、ご存知ですよね? 教えてもらえますか?」
その言葉を聞き、碧人は硬直した。本名を言えばいいのか、言わざるべきかだ。
もし言ってしまい、警察がこの事件について調べを進めようと動いたら、該当人物がおらずおかしなことに気がついてしまう。官僚主義的な警察に対し、異世界云々など通じるわけもない。すぐに脳をフル回転させて、何かいいアイデアがないかと考える。
「ああ、すみません知らないんですよ。友情を育むのに名前は必須ではありませんからね」
碧人が考えた苦肉の策がこれだったが、正直自分でも納得がいく考えではない。しかし、警察官は納得したような素振りを見せた。
「今の時代そういうものですか。まあいいでしょう」
その後警察官から軽く質問され、碧人は涼の退院準備を進める。そして、碧人が御調にして数時間。ようやく退院の準備が整った。
「忘れ物ないか」
「ないよ」
そもそも、涼に忘れ物をできるほどの私物はない。暫くお世話になった病室を、名残惜しそうに涼は退室した。
「お金、大丈夫だった?」
碧人に対し、涼は速歩きで追いつこうとする。男だった頃は、同じような歩幅・歩調だったため気にしたことがなかった。しかし、涼が変わってしまったためもどかしい違和感を覚える。
「ああ、俺の教育資金から全額払った」
平然と言っているが、あまり触れられたくないものであり涼は次の言葉を悩む。
「後で絶対返せよ」
「うん、わかった……」
この状態で、どうやって稼ぐというのか。きちんと就職できるのか。いろんな不安が涼を襲う、しかし碧人の性格も熟知している。決して早く催促するような人ではない。恐らく、稼ぐようになるまではきっと待ってくれる。こんな期待がどこかにあった。
「で、涼。おばさんたちになんて説明するんだ」
碧人は涼に肝心なことを質問するため足を止める。けれども、その直後に配慮が甘かったと反省した。
涼は、浮かない顔をしていた。悔しがっているような、自暴自棄になっているような。到底一言では表しようのない、苦しんだ顔だ。
「考えてない。わかんないんだよ……」
「だったら、それでいいさ。というか、案外なんとかなるかもしれんぞ。さっきだってそれでなんとかなったし。それに、涼のおばさんは、涼のことを心配している。言えないなら、言えるまで待っててくれる人だろ? 無理に言わなくてもいい。ただ、『ただいま』って言ってやれ」
少なからず、碧人と涼の両親の交流はある。けれども、あくまで比較的親しいといえども、全てを知っているわけじゃない。でも、涼はその言葉の甘美な響きに乗りたかった。
「うん、そうする……」
碧人は、いつもよりも少しゆっくりな速さ──涼の歩く速さででまた歩き始めた。
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