第6話 バタバタ
「涼……?」
碧人は信じられないものを見るかのように涼を見た。そして、頭の処理が追いついていないのか、頭を抱えながら病室内を右往左往している。
涼は信じてくれるかどうかの大事な場面だというのに、混乱した面持ちをして右往左往している碧人が面白くて。それでいて懐かしかった。涼は笑ってはいけない場面だということを理解しつつも、失笑してしまう。
「その笑い方、やっぱり涼だな」
最初は訝しげに見ていた碧人だったが、涼が笑うのを見るなり顔が綻んだ。碧人は、長年の勘から涼だとわかってくれたようだった。
「それで涼。聞きたいことが山程あるんだが、まずなんで女になった?」
「それは……」
涼は早速言葉に詰まった。
異世界に行ってたなんて、信じてくれるのかということだ。
尤も、性転換した時点でだいぶハードルは下がっているのだ。呼吸をして落ち着かせると普通に言うことにした。
「実は家からの帰り道異世界に召喚されてね、いろいろあって魔王と──」
「長い。三行で」
「異世界に召喚された。帰る時に体に負荷がかかった。それで女になった。以上」
「そうか……」
碧人は黙り込んでしまった。親友が性転換したらまあそうなるよねと涼は思い、特に気にしなかった。散々考え込んだ挙げ句、碧人は涼に確認する。
「なあ、涼。実は涼のご両親から保険証預かってきたんだよ。使えると思う?」
碧人は、涼の健康保険被保険者証を取り出した。
「え? いけるんじゃない? 保険証って顔写真ないし行けるんじゃ?」
涼にとっての健康保険被保険者証は、病院で使うよりも学生証などと合わせて本人確認書類として使うことの方が多く記憶に残っていた。
「性別欄男だけど」
涼の保険証には男と明記されている。それを見て体が震え始める。
「え? あっ。どうしよう……。そうだ、性同一性障害扱いで……」
「性別適合手術は18歳以上じゃないと」
必死に絞り出した策が、碧人の発言により一蹴される。
体が縮んでいなければギリギリ18歳だと言い訳もできたかもしれないが、さすがにどうみても小学生にしか見えないというのに18歳は無理がある。
「まずい、どうしよう」
保険証が使えないとなると費用は洒落にならなくなる。その上、この調子なら間違いなく民間医療保険も下りない。涼は家族の元に帰ると同時に、莫大な額の入院費用を負担してもらわなければならない。
涼は家族と合うのが気まずくなってしまった。だが、碧人が保険証を借り受けた以上、間違いなく涼が御調にいるということは親に伝わっているのだ。
「入院費用だけならどうにかなるけどさ。戸籍どうすんの?」
碧人が涼の方を見るが、涼は顔を背けた。これから待つ未来が悲惨すぎて、もはや現実を直視できなかった。
そして、涼は病床に倒れるように寝転がると借りたタブレットで死にものぐるいになり無戸籍について調べる。
「戸籍はどうにかしないと、本当にまずい……」
そして、調べ尽くすとゆっくりとタブレットを床頭台に置いた。
「DNA鑑定して血縁関係が認められれば親の子として認識されるのかな? 取り敢えず、そこらへんはよくわかんないや」
法務省や弁護士会などのサイトを見てみるが、煩雑な手続きばかりが記載されている。
涼の場合、元の顔と似ても似つかない容姿になってしまったためDNA鑑定は必須だった。
面倒くさいと思いつつ、きちんと就籍への道があるのだと知り少しは心が安らいだ。
「あの、すみません。涼ちゃんのご家族でしょうか?」
涼と碧人の会話が聞こえて怪しんだのか、看護師がやってきた。
「涼ちゃん?」
だが、碧人は『涼ちゃん』という言葉の意味が一瞬わからなかった。涼の方を一瞥して一瞬考えた後意味を理解すると必死で笑ってしまいそうになる口を押さえた。
「いやーすみません。涼ちゃんの家族ではないんですが、知り合いなんですよ。でも、一応家族から頼まれて来たので」
そう言って碧人は涼に噴飯寸前の顔を見せつけた。
涼には苛立ちが募るも、涼の見た目は十二歳程度。一方で碧人は身長約百七十五の爽やかな好青年だ。少なくとも涼に発言権はないのだ。
「そうでしたか。では、すぐに退院手続きしましょうか」
看護師は手に持っていたタブレットを使いそそくさと受付に連絡をすると、部屋から立ち去った。
「退院だってよ。よかったな。涼ちゃん?」
碧人はからかうように敢えて言われたくない言葉を言ってのける。
「うっさい」
涼には、赤面しつつもただこれしかできなかった。
やがてもう一度訪れた看護師にタブレットを返却し、家に帰りたくないながらも帰宅準備を進める。
「そう言えば服なんですけど……」
看護師が床頭台に入っていた服を取り出した。
涼は入院して以降、ずっと病院着だったためすっかり失念していたのだ。そもそも、涼が気絶し病院に運ばれてきた際は、ぶかぶかの異世界の男物という頭を抱えたくなるくらいに不釣り合いな服を着ていた。
当然だが、性転換したことなど知らぬ碧人は服など持ってきていない。
涼と碧人は互いに目を合わせる。
「どうする?」
碧人の言葉に対する応酬はなく、しばらく沈黙の時間が流れた後涼は小悪魔的な笑みを浮かべ合掌した。
「買って?」
元はと言えば、性転換してしまったからこんな自体になったのだ。
だったら、少し位可愛くねだってもバチは当たらない。そんな思いから、自分が考える最高のあざとい声を出した。
一方の碧人は立ちくらみでも起こしたかのようにやつれた顔を手で覆う。
「涼よ。おまえは一体俺にいくら払わせれば気が済むんだ……」
碧人は嘆きながら壁に寄りかかった。
それを見ていた看護師は、何かを言いたげに碧人へ近づいた。
「あの、すみません。ここまではお車で?」
「いえ、新幹線です……」
何か不穏な空気を感じ取り、碧人は恐縮気味に答える。
「人目もありますので、隣駅の近くに衣料量販店がございます。そちらの方で服と靴をお買いになってもよろしいですかね? 肌着に関しては、こちらで買わせていただきましたので」
「は、はい……」
こうして、碧人は部屋を出て看護師も所要があるのか部屋を去る。
そして、一人になった涼は窓の外の景色を見た。しかし、涼の顔はただ景色を見ているだけとは思えない位に赤面している。
今思うと、碧人にねだった行為が我ながらものすごく恥ずかしく思えてきたのだ。その後しばらく、涼は病床の上で悶ていた。
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