第12話 イヤなものはイヤですよね?
秘書達に退出するよう命じて以降、老人は一言も口を開かない。
ただ黙ってじっとこちらを見詰めている。
俺は、その視線に射すくめられたかのように身動きが取れず、部屋の中央で棒立ちになっていた。
――どれくらいそうしていただろうか?
不意に、鉄舟さんが口を開く。
「……志保さんはお元気かな」
そこから飛び出したのは母さんの名前。
俺は驚きつつも、なんとか言葉を返す。
「は、はいお陰さまで。
あと……一応父さんも元気です」
鉄舟さんは少しだけ目元を緩めると、更に言葉を続ける。
それは、まるで独り言のような呟き。
「……そうか、なら良い」
――そして再びの沈黙。
気まずさが臨界点を突破しそうになったその時、彼が口を開く。
「驚いたかね」
「……え」
唐突な問い掛けに戸惑う俺。
しかし、そんな事はお構いなしに、鉄舟さんは続ける。
「彼らは世状の流れを身を持って知っている。彼らに混じり、その日を生きる糧を稼ぐ時間は、もう良い歳になった私が学びを得る数少ない機会なのだ」
俺は、鉄舟さんの言わんとしていることが分からずに首を傾げる。
すると、それを察したのか彼は苦笑を浮かべて言った。
「要は、君を驚かす為だけでなく私は普段から時たま、ああしているという事だ」
ニヤリと笑うその顔は、先ほどまでの威厳のあるものではなく、どこか親しみやすい雰囲気を醸し出している。
俺は、ようやく緊張が解けて、思わず肩から力が抜けるのを感じる。
そんな俺の様子を見て、鉄舟さんは再び話し始める。
「だが、あんな格好をした私が話し掛けても誰も相手もしないだろうに……何故もあんなに小慣れた対応が出来たのかね? 私には、そこが不思議でならない」
まさか『貴方に会うのがイヤだった』とは、言えない。なので俺は「親父のお陰ですかね……」と、ごまかすことにした。
すると、鉄舟さんは「ほう」と感心したような声をあげる。
「あの人ほど変な人はいませんから。あの人と接していれば、ホームレスにフランクフルトを奢ってもらうくらいお茶の子さいさいですよ」
俺の言葉に、鉄舟さんは声を上げて笑う。
「ハッハハ! 確かにそうだな。
あの子は昔から変わっていた。何度私が肝を冷やしたことか……」
それは懐かしむような表情、遠くを見るような瞳。
俺は、ふと思い立って尋ねてみた。
それは、ずっと感じていた疑問。
何故、俺たち家族を放っておいたのかと言う最も根本的な疑問だ。
「鉄舟さん。貴方は何故、俺達家族に近寄らず、それでいて援助をしてくださっていたんですか?
それに何故、今になって……京花さん達を俺に近付けたんですか?」
そう俺が尋ねると、鉄舟さんは僅かに目を細め、やがてゆっくりと語り始めた。
「君の母、志保さんに言われたよ。
私には子育ての才が無いとね。
だからは私はそれを志保さんに任す事にしたのさ」
「質問に答えてませんよ」
俺の合いの手を彼は全く気にする様子もなく、寧ろ愉快げに笑いながら、 まるで、悪戯を仕掛ける子供のような声でこう告げた。
「君達への援助がただの善意だと思うかい?
私にはあの子以外に子は居ない。そしてその子は君しか居ない。
妻も既に亡い。
分かるかい? つまりは、君は私の全てを継げる立場にあるのだよ」
俺は、彼の言葉の意味が理解出来ずに固まってしまう。
そんな俺を見て、鉄舟さんはニヤリと笑って続けた。
その顔は、やはりどこか楽しげだ。
「君は遠縁の親戚を訪ねる程度の心持ちで来たのだろうが……それは違う。
君は、この小笠原グループの後継者候補なのさ。
御剣のお嬢さんとの縁組みは、それを円滑に遂行するための一助に過ぎない。
――まぁ、イヤなら断れば良い」
俺は、その言葉を理解するのに数秒を要した。
そして沸き上がるのは、どうしようもない怒り。
「貴方は! ……その程度の気持ちで京花さんを何年も縛り付けて来たのですか!」
しかし、鉄舟さんは怯みもしない。
それどころか、逆に余裕たっぷりの態度で言い返してきた。
「元はといえば君の父の尻拭いだ。
……それを君が行うのはそんなにも理不尽かね」
俺は、その言葉に一瞬グッと詰まる。
確かに父さんのせいかもしれない。だけど……。
俺は、奥歯を噛み締めると、キッと鉄舟さんの顔を睨んだ。
鉄舟さんは、相変わらず涼しい顔。
「それでも、そんな事は京花さんには関係無い!
貴方は会社の継承という下らない事の為に、彼女に人生を捧げさせるんですか!?」
俺がそう叫ぶように言うと、鉄舟さんはフッと息を吐くと鋭く呟く。
「それが彼女達の望みだ」
鉄舟さんはまるで世間話をするような口調で、淡々と言葉を続ける。
「御剣の家は美術商から身を立てて、文化事業や教育事業、芸術活動の支援等、幅広く手を広げていてな。
だが、やり手だった先代の当主が亡くなってからは、事業が縮小の一途を辿っている。
そこで、今の当主は何とかしてそれを立て直そうと躍起になっているわけだ。
……娘を政略結婚させてまでな」
「…………」
俺は何も言えなかった。
そんな俺を見て、 更に話を続ける。
「御剣の小倅は、人柄は悪くないのだが商才が全く欠けておってな。
あれでは、あの家の先行きは暗いだろう。
……だが君が私の跡を継げば、グループの全ては君の物だ。余所への支援も投資も好きにすれば良い」
ニヤリと嗤う老人。
その顔は孫と語らう好好爺の物ではなく、社会の荒波を、己の腕一本で渡りきってきた1人の老獪な船乗りの顔だった。
俺は、そんな彼に気圧されながらも精一杯抵抗を試みる。
「……全ては貴方の差し金だった訳ですね。
情が移れば、俺が彼女達を助ける為に貴方の跡を継ぐと? ですが俺にはそんな気はありませんよ」
俺の言葉に、鉄舟さんは笑う。
その笑い声は、俺の神経を逆撫でするのに充分すぎた。
「そうかね? だが、君が望もうが望むまいが、いずれはそうなるのだよ。君はもはや運命から逃れられない」
それに、と鉄舟さんは続ける。
「私は君に選択肢を与えたつもりは無いぞ。
私が、君を後継者にしたいと言っているのだ。
君はただ黙って受け入れれば良い」
――沈黙。
嫌いだ。
俺は、この人が大嫌いになった。
「……ふざけるな! 俺は絶対にそんな物は受け取らない! 俺は、自分の人生は自分の手で切り開く!!」
俺の言葉に、鉄舟さんは眉をピクリと動かし、俺を威圧するように鋭い視線で射抜く。
俺は負けじとその目を睨み返す。
暫しの睨み合いの後、鉄舟さんが口を開く。
それは、どこか寂しげな声音。
そして、まるで子供が駄々をこねているのを眺めるかのような表情。
「そうか、君もか……。
良かろう、好きにしたまえ。ただ、出来るなら、な」
そう言って、彼は椅子から立ち上がる。
「願わくば、君が幸せな道を選ぶように……」
「……」
彼はそれだけを言うと、俺に背を向け廊下へと歩き出す。
俺には、その背中に何も声を掛ける事が出来ない。
鉄舟さんが去り、再び静けさを取り戻した部屋の中で、俺は只ひたすらに拳を強く握りしめていた。
拳を開き掌を見つめる。
そこには、じっとりと汗が滲んでいるのだった。
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