第8話 父との思い出って良いものですよね?

「ちくしょー……何もタコ殴りにする必要はないだろうが」


 引っ掻き傷に青アザその他諸々。

俺はボロ雑巾のようにされながらも何とか虎口を脱し保健室で傷の手当てを受けていた。


 誰に?

 途中で行き逢った京花さんにだ。


「まぁ年頃の男子からすれば当然の反応では?」


 そう言いながら京花さんが、消毒液を染み込ませた脱脂綿で怪我をした部分をピンポイントで攻撃してくる。


 当然って……立派な傷害事件ですよね先生。


「イテテッ!! ……京花さんのせいでもあるんですからね。皆の前であんな事言うから……」


 恨みがましい俺の一言に、彼女はツンと澄ましたままで答える。


「あら、申し訳ありません。

 しかし、こちらは2度も縁談をフイにさせられる訳にもいきませんから」


 フイに、の所でギュッと力を込めて患部を圧迫される。

 ……何故か。


「……痛いです。京花さん」


 俺は、意気を萎めながらも何とかそう呟く。

 確かに彼女も複雑な思いを抱えているのだろう。

 だが、それは俺ではなく糞親父が全て悪い訳で……。


「はぁ……。まあ、私もいきなり過ぎたかな、とは思います。

 昨日今日会ったばかりの女と結婚しろというのが無茶な話でしょう。

 それでも、こちらにも事情がある。多少強引な手を使ってでも、貴方と結婚しなければならないんです。

 ……それに」


 俯き加減に少し頬を赤らめて彼女は続けた。

 それは、いつもの毅然とした態度からは想像できないような、しゃなりとしたしおらしさだった。


「私の旦那様にやっと会えたと思うと、抑えが効かなくなってしまいまして」


「…………」


 そんな様子に戸惑っていると、突如彼女は顔を上げ、切なげな表情で更に続ける。


「……一さんは、どうなのでしょうか?」


「え?」


「私と一緒に暮らすのは嫌ですか? 迷惑ですか?」


 その言葉に俺は一瞬固まってしまう。


 確かに、知らない女の人が家にやって来て驚いたし、俺だって健全な男子。

 ドキドキして落ち着かない。困らないと言えば嘘になる。

 実際昨夜だって、風呂に入った彼女たちのシャンプーの残り香が気になって夜も寝れなかったくらいだ。


 それでも……。


 俺は、自分の心の内の、一番まっさらな部分を汲み取るように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「……正直言って、まだわからないです。

 俺はまだ全然事情も呑み込めていないし、貴女の事も、ほとんどわかりません。

 ――でも、今言えるのは、俺は、京花さんのそういう気真面目な所……嫌いじゃないですよ」


 俺の本心。

 それを答えると、京花さんは心底ホッとしたように微笑む。


「……そうですか。良かった」


 それはさっきまでの不安そうな物とはまったくの別物で。


 ……美人の笑顔というのは本当に心臓に悪い。

 何も悪くないのに、何か悪さをしたような気分になる。


 するとだ。

 ドキドキと高鳴る心臓を悟られないよう、俺は慌てて視線を逸らすと、そんな俺の様子に気づいたのか、京花さんはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、からかうような口調で話しかけてくる。


「あら? 良いのですよ? 私は貴方の伴侶になるのですから。遠慮なく甘えてくださっても」


 ……何を言っているのだろうかこの人は。

 ああ、この人も確実に雪花ちゃんと同じ血が入っている、気がする。


「い、いや、結構です!!」


「うふふ、そうですか。残念」


 そう言いながら楽しげに笑う京花さん。

 その様子に、俺は内心ため息をつく。

この人は俺を揶揄って遊んでいるだけなのだろか。


 きっとそうに違いない。

 そう自分に言い聞かせて、俺は心を落ち着けるのだった。


****


 昼休みが終わる。

 午後の始業の鐘が、間遠に鳴り響く。


 眠い。


 午後の授業というのはどうしてこう気だるげなのだろうか。

 また、午後イチで古文の授業というのが更に眠気を助長する。


 ただ。

 古文ということは京花さんが担当教師なのだが……、新任教師にも関わらず、彼女の授業は中々に面白く、周りの生徒は大いに関心を持って授業を受けている。


 ……一部の、落ちこぼれ以外は。


「……という訳で、『源氏物語』や『伊勢物語』は古典文学の中でも典型的な貴種流離譚な訳ですが、共に主人公のモデルといわれているのが在原行平、業平の異母兄弟であるのは面白いですね。

 人が主人公に求める境遇。という物は、余り変わりが無いのかもしれませんね」


 京花さんの淡々とした声が教室に響き渡る。


 彼女の解説を聞き流しながら、その落ちこぼれたる俺はふと、昔父さんが言った台詞を思い出していた。


 確か、あれは俺がまだ小学校に上がる前のことだったと思う。


 都会に出てきてすぐの頃。

 たまたま家に居た父さんと、二人で出掛けた帰り道。


 やたらと高級そうな車が家の近所に停まっていたのだ。


『うわぁ~すげー車!』


 当時。長閑な田舎の村から出てきたばかりの俺にとって、それはとても目を引く物だった。

 目を輝かせている俺を見て、父さんは苦笑いしながらも答えてくれた。


『何だ、お前はこういう車が好きなのか?』


 それを、はしゃぎながらそれを見ていた俺に、父さんは続けてこんな事を言った

『でもな、ハジメ。あんな車は別に良いものでも何でもないぞ?

 村の軽トラの方が百倍ましだ』


 そう、あたかも自分の車かの言い様に、幼い俺は素直に首を傾げたものだ。


 しかし、今ならわかる。

 父さんは、実際にそんな車に乗るような生活をしていたからこそ、あんなことを言ったのだろう。


 放浪癖の酷い変人。

 そんな父さんにも、きっと思うところがあったのだ。と、今になってしみじみ思う。


 人の考え方なぞ千差万別で、他人がとやかく言うことではないのだろう。

 それでも、父さんには父さんなりの葛藤とか、悩みがあって。

 今のような境遇に至ることになったのだろう。

 まぁ、だからと言って俺が父さんの尻拭いをしなければならない道理は無いと思うが。


 ふと思う。

 ああ、一体あの人は今、どの空の下を旅しているのだろうか――



 と思い、家に帰ってみると、家でビール飲んでゴロ寝しているだけだったわ。


「よっハジメ。

 彼女が出来たんだって? 良かったな~」


 この、糞親父は……。

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