第46話 闇に触れる
『君が特別な子供だってことが、悪いやつに知られてしまったら、大変なことになる。君を守るには、見えないようにするのが一番いい』
『人を食うんだ。それも、特別な力を持った子だけ』
『もしも、そういうものと出会ってしまったら、決して目を見てはいけないよ。目を合わせてはいけない。それがどんなに魅力的な瞳でもね』
湖の底に光る赤い双眸————
それと目を合わせてはいけないのだと、わかっているのだが吸い込まれるように七森は湖へ落ちる。
あの時、捨てられた時は確かにもっと水深は深かった。
湖の底にいる、水神会の信者が神と崇めるその化け物に、七森が食われる前に助けられたからだ。
化け物は怒った。
あとは飲み込むだけだというところで、美味しい美味しい特別な子供がいなくなったから。
別の特別な子供を見つけるまでに、何年もかかった。
この間やっと一人新しい子供を捧げて、今の水位まで戻った。
それでも、まだ足りない。
まだ足りない。
鼻から、口から、耳、身体中の穴という穴全てから体内に妙に生暖かい何かが……水とは違う意思を持った得体のしれない何かが入る。
七森の体を侵していく。
湖の底にいる、龍に似た大きな蛇。
赤く光る双眸の蛇が、大きく口を開けている。
息ができない。
このまま、この化け物に今度こそ食われる。
見なければよかった。
ここに来なければ————
その時、視界に緑色の光が見える。
石の光だ。
あの綺麗な緑の石がついたネックレスから光が放ち、蛇が目を閉じる。
『————これが君を守ってくれるからね』
その通りだった。
この石が、七森を守ってくれた。
動けなかった体が、蛇が目を閉じたおかげで動く。
必死に泳いだ。
必死に水面の上に顔を出した。
「はっ……はぁ……」
そして、はっきりと思い出した。
マジックで塗りつぶされた顔……このネックレスをくれた芦屋先生の顔と言葉を————
『君は環くんのものだって、印だからね』
日本人には珍しい緑色の瞳で、そう言って笑っていた芦屋満里の顔を————
あの時、見上げたのと全く同じ顔で、環が手を伸ばしていたから。
「なんだ……やっぱり印を持っていたんだね————満里が僕のために残してくれた最後の贈り物は、やっぱり、君だったか」
そう言って、環は七森の手を掴むと、一気に引き上げる。
————ああ……やっぱり、この人は人間じゃない。
きっと、この人こそが、本物の神様なんだ————
薄れていく意識の中で、七森はそう感じた。
*
環が七森を陸に引き上げ、蛇を睨みつけると、それは動かなくなった。
まるで環を恐れているかのように、湖の底へ戻っていく。
「さて、そこの女」
「な……なんだ! お前は!! 水神様に何をした!!」
香澄が叫んだ。
水神会の信者でいたことで、化け物たちに正気を徐々に奪われて、すっかり醜い老婆となってしまたが、これは修一の妹で、七森の生みの親。
夫が水神会の人間でさえなければ、こんなにも醜い姿にはなっていなかったかもしれない。
「悪いが、あれは僕のものなんだ。お前にはもう、たかが生みの親というだけでどうこうできるものではない。僕のものを勝手にあんな蛇に食わせようとするなんて、本当、お前は地獄に落ちるべきだね」
「あんな蛇だと……!? 水神様に向かって、なんて恐れ多い!!」
「あれは神ではない。お前たちの歪んだ信仰心が生み出した、呪いの塊だよ。ただの化け物だ」
環は気を失っている七森の頬を撫でながら言う。
「特別な子とわかれば、我慢できずに食らいつく……躾のなってない化け物さ。いや、獣以下かな? 闇に触れさせ、その力をより強くした方が旨いことを知らないんだから」
「そうよ、まったく。タマちゃんのものを奪おうとするなんて、許せない」
香澄の背後に、オトメが立っている。
その手に、呪壺を持って。
「いつのまに……どうして…………一体、何が————」
「あんた、タマちゃんのものを傷つけたことを覚悟するのね……」
何が起きているかわからない。
しかし、その手に持っている壺が何か悪いもののように感じて、香澄は後ずさる。
「さようなら、バカな信者たち。本当なら、七森くんにもお前たちのその死に際の顔を見せてやりたかったんだけど……仕方がないね」
オトメが壺の蓋を開けると、晴れていた空に分厚い雲がかかる。
村の全体を覆い尽くすように、闇に包まれる。
太陽の光も届かない。
その代わり無数の瞳が、空も陸も埋め尽くして、
「うわあああああああああああ」
「ぎゃあああああああ」
村のあちこちから悲鳴と、人が倒れる音が聞こえる。
あの瞳と目が水神会の信者は、皆死んだ。
「あ……あ……っ」
目から、鼻から、耳から、口から……穴という穴全てから血をダラダラと流して、皆死んだ。
この村の水神会の信者は、皆死んだ。
この村の住人は、皆死んだ。
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