第45話 身代わり


 水木の話は、七森にとって聞き覚えのあるものだった。

 修一から聞いた、幼少期に自分の身に起きたことと一緒である。


「陽菜を殺したあいつらを……みんな殺したいの。他にも、水神会を恨んでいる人たちはいっぱいいるわ。何度も呪ってやろうと思った。この恨みをはらせるなら、私は死んだっていいと思った。……でも、私のお腹には、もう一人……」


 水木は大きくなり始めている自分の腹に手を当てた。

 家族一緒に暮らそうと、実家とは縁を切るからと言っていた夫との間に宿った新しい命だ。

 もう、降ろすこともできない。

 憎い男の血を引いていようと、自分の子供だ。

 また子供を失うなんてできない。

 そんなことは絶対にしたくない。


「ここで取り扱っている呪具なら、私の命は削らずにできるんでしょう? だから、お願い……あいつらを、呪い殺して————」


 環はにっこりと微笑んで、頷いた。


「ひどい話だ。あなたを裏切り、子供を自ら手放すなんて……地獄に落ちるべきです。ねぇ、七森くんもそう思うよね?」

「……はい。そんな奴は、地獄に落ちるべきです」


 大人数を呪い殺すとなると、それなりに準備が必要だと言って、環は所長室の奥に何かを取りに行く。

 残された七森は、水木からその場所がどこなのか聞き出した。


 その水神会の場所を知りたかった。

 おそらく、そこには自分の本当の生みの親がいる。

 水木が呪い殺そうと思っている人間たちの中に、きっといる。


 だったら、協力しようと思った。

 特別な力を持つ、自分が————



 *



 七森の予想通り、そこは見覚えのある場所だった。

 湖が近くにあって、大きな瓦屋根の古くからある和風建築の家が点在していて……

 田園風景の中に、喪服のような真っ黒なスーツ姿の自分が立っているのが不思議な感じだった。

 これからこの村の人たちを呪い殺す準備をするのだと思うと、まるで死神になったような、そんな気分だった。



「まったく、君は来なくてもよかったのに……」

「いいじゃないですか。身重の水木さんをこんな遠い場所に連れてくるなんて危険なんですから」


 環は、七森にはついて来なくていいと言ったのだが、無理やりついて来たのだ。

 呪いの相談に来た後、少し体調を崩してしまって、水木本人は連れて来られなかった。

 その代わり、呪いの儀式に必要な水木の呪壺じゅつぼというその名の通り呪いの壺に詰めて持って来ている。

 これが呪いを作る原動力になるそうだ。


「仕方ない……ちょうどいい場所を探してくるから、少し待っていて。絶対ここから離れないよにね。特に、湖の方にはいっちゃダメだよ?」


 環は七森に車から離れないように指示すると、別の呪具らしきものを持って水神会の集会所の方へいってしまった。


「いっちゃダメだと……言われても……」


 気になることはある。

 ほんの少しだけ……と、七森は近くを歩いた。

 実の親に殺されそうになった最悪の地ではあるが、断片的に記憶が蘇り、楽しく走り回っていた時の感覚が七森の足を動かす。


「……童子様って、なんだったけ?」


 童子様と呼ばれるものを追いかけて、走り回っていたようだがその姿が思い出せない。

 きっと、子供のあやかしみたいなものだろうと思っていると、ある家の屋根の上にこちらを向いている小さな子供がいた。

 綺麗に切りそろえられたおかっぱ頭に、狩衣を着た子供だ。

 そんなところいるのは危険だと声をかけようとしたが、七森は息を吸っただけで止めた。


 子供の目は開いているのだが、白目なのだ。

 瞳がない。

 少しずつ上まぶたの裏から、赤い瞳が降りてくる。


 ————見るな!


 本能的に、そう感じ取り七森は目が会う前に視線を逸らした。

 何も見なかったことにしよう。

 何も見ていない。


「————戻って来たんだね」


 ところが、その逸らした視線の先にいた老婆が、じっとこちらを見ていった。


「水神様がお待ちだよ」


 どこか見覚えのある顔だった。

 瞬きをあまりしない、目の奥に生気を感じられない見開かれた真っ黒な瞳。


「え……?」

「お前、優人だろう?」

「ど、どうして……俺の名前を……?」

「私がつけたんだ。忘れるわけないさ。優しい人に……優しい人になりなさいと…………みんなを救う、優しい人になるようにつけた。特別な力を持つ子になって欲しくて、水神様に捧げる特別な子————わからないかい? そうだねぇ、だいぶ老けた。お前のせいで」


 老婆は七森の腕を、老婆とは思えないほど強い力で無理やり掴むと、湖の前まで七森を引っ張った。


「ほら、ほら、ほら、ごらんよ! お前が逃げたから、湖の水が減ったんだ。あんなにたくさんあったのに、お前が水神様を怒らせたから、水が減った。お前の代わりに何人か捧げて、やっとここまで回復したんだよ。でも足りない。まだまだまだまだまだ足りないよねぇ」

「ちょ……ちょっと……!! 何言って……!!」


 老婆はぐっと七森に顔を近づける。

 人間とは思えないほど、首を横にひねりながら、その何も写していない黒い瞳を向ける。


「まだわからないのかい? お母さんだよ。お前のせいで、お前のせいで、あんたがいなくなたせいで、水神様の力が足りないんだよ。今からでも遅くない」

「いや、何言ってるんだ……俺の母親が…………こんなに」


 こんなに老けているはずがない。

 そう言いたかったのに、老婆は矢継ぎ早に続ける。


「いや、遅い? ああ、時間はどうでもいいね。神様の時間からしたら人間の時間なんてほんの僅かだ。ほら、ご覧よ」


 老婆は湖を指差した。


 そこには、こちらを見つめる赤く光る双眸が————




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