第44話 神なんかじゃない


 受付で取り乱していた女性————水木みずき景子けいこは、所長室に入り少し落ち着いたのか、涙をハンカチで拭いながらオトメが出した冷たい麦茶をのんだ。

 どうやら呪い相談に来たようだ。


「私、聞いたんです。呪い殺すにはここが一番だって。ここの呪具は、使い方さえ間違わなければ確実に人を呪い殺せるって……!」

「ええ、それはもちろん。素人の作る呪いとは、一味も二味も違いますからね」


 環は感情的になっている水木を落ち着かせるように、優しい声で応えた。

 七森はただ相談内容が気になって隣に座っているだけだったが、その声があの顔のない夢の先生と似ているような気がする。

 やっぱり、あれは環だったのではないかと思う。

 しかし、そうなると当時から何も変わっていないことになる。

 歳をとっていないことになる。

 人間ではないから、きっと、そうなんだと思った。


「それで、水木様、一体誰を呪い殺したいんですか?」


 改めて環が尋ねると、水木は起きたことを話し始める。



 ◆


 私には、陽菜はるなという五歳の娘がいました。

 生まれつき、変わった子で……その、幽霊とか妖怪とか、そういうものが見える子供だったんです。

 私の祖母がそういうものを見れる人だったので、きっと、それを受け継いだんだと思います。


 私には何も見えませんが、そういうものがいることは理解していました。

 夫も親戚にそういう人がいたそうで、「陽菜は特別な子供だ」と喜んでいました。

 先に籍だけ入れて、式は挙げていなかたので、陽菜が三歳の時に私は初めてその夫の親戚たちに会ったんです。

 遠方だったので、夫の実家の方で和装で式をしようと、準備のためにしばらく滞在することになりました。


 田舎のせいか、家はとても大きくて、親戚だという人たちの他に、近所の方々も集まって来て……

 そして、その家にいた私には見えないものと楽しそうに遊ぶ陽菜を見て、言うんです。


「こんなに童子わらし様が見えるなら、きっと御供ごくうに選ばれる」

「いいことだ。これで神様もお慶びになる」

「景子さん、あんた、いい子を産んだね。ありがとう」


 何を言っているのかわからなかったけど、最初は陽菜を可愛がってくれているんだと思いました。

 お年寄りが多くて、小さい子供は陽菜くらいしかいませんでしたから。


 ————でも、みんな、おかしくて。


 夕食の時、並べられた豪華な食事を食べる前に、変な儀式が始まったんです。


「それでは、お手を————」


 姑がそういうと、多くの人でざわついていたのが嘘のように急に静かになりました。

 そうして、そこにいた私以外の全員が胸の前で手を合わせて、拝んでいました。


「神様……神様……」

「神様……神様……」


 あまりに奇妙な光景でした。

 そのまま深く頭を下げて床に擦り付けて、お尻の方が高いくらいで……


 みんなが壁に貼ってあった龍か蛇のような絵の方を向いて、そうしてたんです。


 その時、思い出したんです。

 祖母が言っていたことを。


『水神会っていう宗教団体があってね、龍に似た蛇のようなものを、神だと崇めている。そいつは湖の底にいるんだ。でもね、あれは神なんかじゃないんだよ』

『人を食うんだ。それも、特別な力を持った子だけ。あたしのように、霊感がある人間は特に美味いらしい。水神会で崇めているのは、そういう化け物だ。絶対に関わるんじゃない』

『そういう化け物の中にはね、人の念から生まれる力と引き換えに願いを叶えてやってるのもいる。憎んでいる人間、恨んでいる人間を殺したりしてね。人の念で作った化け物を使ってね。そういう人間の心の闇は、あいつらにとっての調味料なんだよ』


 私は夫が————夫の家族がそんな危険な宗教の人間だなんて知らなくて……

 すぐに陽菜を連れて、その家から逃げたんです。

 夫は私たちを追って来ました。


 何度か話し合って、夫は水神会を信じていないとわかりました。

 親たちがそうしているから、仕方なくやっているだけで、宗教に興味はないのだと。

 それが嫌で、あの実家から離れたんだと。

 だから家族で一緒に暮らそうと。

 もう、実家とは縁を切ると。


 私は、夫の言葉を信じました。

 でも、陽菜が五歳になった日の夜、夫は陽菜を連れて私の前から姿を消したんです。


 必死に探しました。

 夫は、縁を切ったはずの実家にいました。

 水神会の集会所になっていたあの家にいました。


 陽菜をどこにやったのか聞いたんです。


「陽菜は特別な子供だから、御供として湖に————」


 その時、外は大雨で……

 陽菜は人身御供として、湖に落とされました————



 ◆



「————あの子の死体は、見つかっていません」



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