最終章 神なんかじゃない

第41話 記憶



「ほら、前に話したじゃないですか。子供の頃、病院に連れていかれて、見えないようにされたって」


 昴は七森にそう言って、もう一度環の方を見た。

 綺麗な緑色の瞳をした女の先生。

 髪型や服装は当時と違うが、日本人には珍しい色だ。

 それに記憶の中の芦屋先生と、全く同じ顔。


「あれ……でも、もう十五年以上くらい前のことなのに……全然お変わりないですね」


 十五年も月日が経っているなら、少しくらい老けていているはずだが、環の容姿は服装や髪型が女性から男っぽくなっているだけ。

 顔は変わっていないのではないかと昴は思った。


「……ああ、それならきっと、僕の姉のことじゃないですかね?」


 環は微笑みながらそう言ったが、笑顔を作るまで少し間があったように七森は感じる。

 環に姉がいたとは初耳だったし、環は芦屋という苗字だったのかと思う。

 その姉が結婚して性が変わっている可能性もあるが……


「お姉さん? ああ、なるほど。そうですよね」

「よく言われるんですよ。似てるって……それで、相談というのは?」


 環は昴を椅子に座るよう促し、話を聞いた。


「確かに立て続けに周りで人が死に過ぎていると、警察から疑われる可能性がありますね」

「そうなんです。呪い殺すことが犯罪にならないという安心感はあるんですが……」


 旧校舎で笹原の遺体を見つけ、その後父親の遺体も見つけて……さらに、養父である小宮が自殺。

 これで母親まで死んでしまっては、さすがに何かあると疑われてしまうだろう。

 環はいつも通りに呪い相談を進め、七森はアドバイスをもらうつもりだった。

 しかし————


「ああ、七森くんはもういいよ。あとは僕が引き継ぐから、次の現場に行って来てくれるかな?」

「え……?」


 環は七森に別の案件の資料を渡す。


「こっちを頼むよ。僕の代わりに」


 七森は昴の担当を外された。



 *



「なんで……急に」


 ここ最近、七森が取って来た案件は最後まで七森が担当して来ていた。

 呪具や相談を受けた際に渡す書類の担当者に自分の名前がつくことを嬉しく思っていた七森には、なんだかやるせない。

 いまだに環の考えていることはよくわからないが、それでも、あの夏の終わりに七森が特別な力を持っていることを知ってからは、とても優しく褒められ、煽てられ、とても気分が良かった。

 気分がいいからこそ、仕事にも熱心に取り組めていたのだが……


「俺、何かまずいことをしたんだろうか……?」


 担当を外されるような失敗はしていないはず。

 しかし、先ほどの環は何かおかしいような……そんな気がしてならなかった。

 ぶつくさと独り言を言いながら、代わりに担当させられた動画撮影の現場にあやかしたちを送り届け、七森はまた事務所に戻る。

 現場へ向かう車中にろくろ首からオトメに渡して置いて欲しいと頼まれた巾着袋を渡そうとしたのだが、また受付にオトメがいない。


「まったく……オトメさんは。ちゃんと仕事してくれよ」

「ああ、七森ちゃん、おかえり!」

「ただいま、濡れ女さん」


 濡れ女は七森が手に持っている巾着袋を見て、それをオトメに渡そうとしているのだとわかったのか、オトメの居場所を教えてくれた。


「オトメちゃんなら、所長室にいると思うわよ?」

「そうなんですか? ありがとうございます」

「いいのよ。まったく、オトメちゃんったらいつも急に受付からいなくなっちゃうんだから、困るわよねぇ」


 別に頼まれたわけでもないのだが、誰か来たらすぐ伝えられるように濡れ女はそこにいたらしい。

 さすがにずぶ濡れの女が受付にいたら怖すぎるので、普通の人間には見えないようにしてはいるが……


 七森は濡れ女に教えられた通り、所長室へ向かった。

 駐車場に昴の車がなかったため、とっくに相談を終えているだろう。

 オトメに巾着袋を渡すついでに今後の参考に、あのような場合どういう対応をしたのか聞いてみようなどと考えていた。

 ところが、所長室のドアは少し空いていて————


「芦屋って、前のその体の持ち主の名前でしょう?」


 中から聞こえたオトメの声に、七森はノックしようとしていた手を止めた。


「七森ちゃんに何か余計なことを話してないかしら?」

「大丈夫。手は打ったよ。もう少しなんだ。それに……あの子は僕が探していた子じゃない。満里まりが渡した印を持っていないから」


 二人の会話の内容は、七森には全くわからない。

 しかし、これだけはわかる。

 自分が聞いていたと知られてはまずい。

 おそらく、いや、かなりの確率で、やはり環は人間ではない。


『この姿になってから、そんなことを言われたのは初めてだよ』


 キャンプ場近くの緑の湖で助けられた後、環が言っていたことを思い出した。

 あの時は、男装のことを言っているのかと思ったが、もしかしたら本当は、あの体になってからかもしれない。

 だとしたら、本当の持ち主はどこへ行った。

 今どうしている?

 何が起きた?

 一体、あの人は何者なんだ————と、七森は静かに物音を立てず所長室から離れた。


「————あら? オトメちゃんいなかった?」


 受付まで戻って来た七森がまだ手に巾着袋を持っているのを見て、濡れ女が首をかしげる。

 毛先からぼたぼたと雫が落ちている。


「い、いえ。濡れ女さん、代わりに渡しておいてもらえますか?」

「ええ、いいけど……どうしたの?」

「俺、ちょっと、その……行くところがあるんで」


 七森は巾着袋を濡れ女に押し付けると、すぐに事務所を出て、昴の家へ向かった。

 表札が小宮から大城に付け替えられたばかりの昴の家。

 家の前の駐車場に車があり、インターフォンを押すと、昴の声。


『はい、どちら様でしょう?』

「先生、俺です。七森です」

『七森……さん?』

「突然お邪魔してすみません、聞きたいことがあるんです!!」


 知りたかった。

 環について。

 昴が記憶している、芦屋先生について。

 知りたかった。

 環が七森に隠していることを。

 知りたかった。

 環が何者なのか。


『すみません、申し訳ないのですが、どなたかと勘違いされてませんか?』

「え……?」

『私の知り合いに、七森さんという方はいませんが……?』


 昴は、七森についての記憶を失っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る