第五章 先生
第33話 顔のない夢
どこかの病院の診察室。
床も壁も天井にも、無数の目があって、幼い七森を見つめている。
医師と向かい合って座っている幼い七森の後ろには、今より若い修一が座っていた。
これは七森が断片的に思い出した記憶。
七森は夢の中で、これが夢だとわかっていた。
「優人くん、君にはあれがいくつ見える?」
「うーん、いっぱいあってわかんない」
「そうだね、いっぱいあるね」
医師の声は柔らかく優しい。
顔は黒いマジックで雑に塗りつぶしたように、まったく見えず————思い出せもしないのだが、優しいその声に七森は包み込まれるような感覚だった。
「————いいかい、優人くん。何があっても、君はこれを肌身離さずもっているんだよ。お風呂に入るときも、眠っている時も、ずっとだ」
「ずっと?」
「そう、これが君を守ってくれるからね」
「守る?」
「そう、君が特別な子供だってことが、悪いやつに知られてしまったら、大変なことになる。君を守るには、見えないようにするのが一番いい」
医師が七森の首に緑色の小さな石がついたネックレスをかける。
光を反射しているというよりも、自ら光り輝いているような、そんな不思議な輝きを放っていた。
七森はその不思議な石に魅了されて、自分の胸元にある石を眺めていると、医師はそれまでの優しい声とは違い、力強く言った。
「見るな————」
その声に驚いて、七森が顔を上げると、床も壁も天井も、あれだけ無数にあった目が何一つなくなる。
ただの真っ白な床と壁と天井になった。
何もない。
何もない。
何も見えない。
何も見えない。
「————優人くん、君にはあれがいくつ見える?」
「あれ……?」
医師は真っ白な壁を指差した。
だが、七森には何も見えない。
もう何も見えない。
ただの壁しかない。
今まで何を見ていた?
そこに何があった?
もうわからない。
見えない。
見えないから、だからわからない。
わからない。
わからない。
「さぁ、これでもう、幽霊が見えるなんて言うことはなくなりました。ご安心ください。ただし……決してこの石を肌身離さず身につけているように注意してくださいね」
「わかりました。ありがとうございます」
修一は何度も医師に頭を下げ、七森は修一と一緒に診察室から出た。
受付で修一が会計をしている間、七森の後ろを通った医師が呟く。
「————◼️◼️◼️が君を見つけるまで、君には無事でいてもらわないとね」
七森は見上げるが、やはり医師の顔は雑にマジックで塗りつぶされているようで思い出せない。
待合室のソファーに座って待っていた別の患者の顔も、受付にいた女の顔も、壁に貼られていたポスターの顔も、黒いマジックで塗りつぶされていく。
そうして気がつけば、全てが塗りつぶされて、真っ黒になった。
胸の不思議な石だけを残して————
「————森ちゃん! 七森ちゃんってば!!」
「は……?」
七森が気がつくと、オトメの顔が目の前にあった。
空き時間にうっかり事務所のソファーで座ったまま眠っていたようだ。
聡の葬儀の疲れが抜けきれていないのだろう。
「まったく、勤務中に居眠りだなんて!!」
勤務中に急にいなくなる受付嬢に言われたくないなーと思いながら、まだ夢から覚めたばかりの目をこすると、オトメの後ろに、見知らぬスーツの男が二人いることに気がついた。
「あ、すみません。お客様が来てたんですか……?」
「お客様っていうか……七森ちゃんに話があるんだって、警察の人が」
「警察……?」
七森が驚いていると、二人は警察手帳を見せ、確かに刑事であることがわかる。
だが刑事があやかしを派遣して欲しいなんてことはないだろうし、それこそ、呪い相談だってありえない。
なぜ刑事がここにいるのか、さっぱりわからない七森。
まさか、七森が呪いで聡を殺したことがバレたのではないかとも思ったが、呪いで人を殺しても、罪にはならないのだから————と、回らない頭で色々と考えを巡らせていると、刑事の一人がジッパー付きの透明なビニール袋に入ったネックレスを見せる。
「これは、あなたのもので間違いないでしょうか?」
それは、七森が半年前に失くしたあの緑色の小さな石がついたネックレス。
真ん中にヒビが入ってしまっているが、間違いない。
前の会社が倒産する直前に紛失し、盗難届を出すかどうか迷っていたものだった。
「————そうですけど、一体どこでこれを?」
「
「しゃ……社長が!?」
「ええ、他の元従業員の方に聞いたところ、あなたのものではないかという証言がありまして、その件で確認にきたのです」
「————っていうか、見つかったんですか!? あのクソ社長!!」
七森の口が悪くなってしまうのも無理はない。
笹原は七森が働いていた会社の、突然失踪した社長だ。
七森も含め、従業員たちは社長が失踪したせいで未払いとなっているのだから……
「ええ、先日、ご遺体で発見されました」
「ご、ご遺体……!?」
「その時、手に持っていたのがこのネックレスだったのです。ですから、詳しい事情をお聞きしたい。署の方に来ていただけませんか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます