第32話 化け物がいる家


「まぁ、お義父さんがそんなことを……?」

「あなたは何も悪くないわ。間違ってない」

「大丈夫。きっとわかってくれる」

「水神様にお願いしてみましょう。そうすれば、あなたが生きやすいように水神様が自然と導いてくれるはずよ」


 家を飛び出した聡を、冴は優しく迎え入れた。

 冴の両親や一緒に暮らしている叔父家族も、みんな優しい声で、優しい言葉で聡に声をかける。

 聡は冴といると、あの『幸せの水』を飲むと、本当に憑き物が落ちたように幸福を感じるのだ。


 就職して七森が家を出ていってから、やっと本当の親子だけになったのが嬉しかった。

 けれど、それはほんの一瞬で、引っ越した家には本人がいないのに七森の部屋を作っていた。

 それに、口を開けば「優人はちゃんと食べているだろうか」「優人はいつ帰ってくるんだろう」「これ優人が好きそうね」「優人にも送ってあげようか」と、聡は存在そのものをなかったことにしたいと思っているのにそんなことをばかり。


 自分は愛されていない。

 心配もされていない。

 両親が愛しているのは、いつだってあいつだ。

 自分じゃない。

 愛されていない。

 愛されていない。


 認められようと、こちらを向いてもらおうと、早く出世しようと目の前の仕事を頑張っていたが、接待や酒の席が増えて体調を崩して……

 そんな時、冴と出会った。

 聡は自分の話を一番に聞いてくれて、悩みを聞いてくれて、聡にはなかったものの見方を教えてくれた。

 あなたは間違っていないと、励ましてくれる。

 頑張ったねと褒めてくれる。

 自分は愛されていると実感させてくれる存在だった。


 体調が良くなるようにと、教えてくれた健康法だって体操はヨガのようなもので、とても簡単で……

 毎日飲むように言われた『幸せの水』も、普通のミネラルウォーターより少し甘く感じる。

 それでも、体はみるみやせていく。

 体重が減るたびに、気分も明るくなったような気もしていた。


「大丈夫。何の心配もいらないわ。ずっとここにいていいのよ」

「冴……」


 もう、冴以外なにもいらないと聡は泣いた。


 水神会が七森にしたことなんて、聡にはどうでもいい。

 冴がいれば、冴がいればそれでいい。

 冴が正しい。

 冴の言葉が正しい。

 冴以外どうでもいい。

 冴の信じるものを、自分も信じたい。

 それでいい。


 そうして、聡はそれ以来自宅には帰らなかった。

 会社にもいかなくなった。


 水神会の幹部の家に、信者を増やすための呪いの化け物がいるこの家で、愛する冴と冴の家族と一緒にいる。



 *



 修一は連絡のつかない、帰ってこない聡の会社や友人達に連絡をしてみたが、誰も聡の居場所を知らなかった。


「ごめんね、。俺も探すのを手伝いたいけど、もう戻らないと」

「ああ、いいんだよ優人。お前は何も悪くない。聡のことは気にするな。それより、気をつけて帰るんだぞ? もう大丈夫だとは思うが、水神会とは関わらないようにな……」


 修一は七森を心配そうに見つめる。


「そんな心配いらないよ。俺には幽霊なんて見えないし、特別な力とかそんなのもないんだから。また近いうちに帰ってくるね。


 ニコニコと微笑んで、七森は実家を後にした。


「聡がいなくなってから、あの子、私たちのことちゃんと呼んでくれるようになったわね……」

「ああ、きっと、俺たちのことを気遣ってくれたんだろう。ずっと、そう呼ばれたいと思っていたことをあの子は知っていたから」


 修一はそう思っていたが、それは違う。

 もう遠慮することをしなくていいからだ。

 素直に両親に甘えていいからだ。


 聡が死んだことを修一が知ったのは、それから五日後のことだった。

 七森は本当に、近いうちに戻ってきた。

 聡の葬儀のために。


 ————水神会毒殺事件。

 水神会に恨みを持つ男が、水神会の集会場の一つである体操教室にあった『幸せの水』に毒物を混入させたことにより幹部である冴の父の他、信者が複数人亡くなった。

 この事件に巻き込まれて、聡は死んだ。


 何とか一命をとりとめた数名の信者達は、口々にこう証言している。


「女を見た。光のない真っ黒な瞳で、こちらをのぞいている女だ。犯人は女だ。逮捕された男じゃない」

「じっとこっちを見ていた。気持ちの悪い女がいた」

「化け物だ! 化け物がいた!! あの化け物が、水神様の神聖な水を穢したんだ!!」



 *



 通夜の夜、線香番をしていた七森は笑いを堪えるのに必死だった。

 棺の中に横たわる聡の遺体。


 動かない自分の体を見つめている聡の表情が、面白くて仕方がない。

 何が起きているのか理解できずにいる。

 少ない弔問客の中に、冴の姿を見つけて近づいて何かを訴えていたが、すぐに冴は葬儀場から追い出された。

 冴にも、誰にも聡の霊は見えていない。

 声も届いていない。

 七森以外は……


「優人……お前、俺が見えるのか? 聞こえているのか? お前がやったのか!? お前が俺を殺したのか!?」


 目があった瞬間、聡の霊は七森に問いかける。

 七森は耐えきれず吹き出してしまった。

 他にも親戚が二人、その場にいたというのに————


「優人くん? どうかした?」

「ああ、いえ、何でもないです」


 兄の遺体を前にニヤニヤと笑っている優人を、親戚たちは不思議そうに見ていた。


「やっぱり、お前が何かしたんだろう!? お前のせいだ!! お前のせいだ!! やっぱりお前のせいだ!! 全部、全部お前のせいだ!! 俺からまた奪った!! また俺から奪ったな!!」

「ちょっと兄との昔のことを思い出したら、笑えてきただけです。兄とはとても仲が良かったから、いい思い出があって……」

「何がもう見えないだ!! やっぱりお前は見えてるじゃないか!! 聞こえてるじゃないか!! 気持ち悪い!! 気持ち悪い!! お前さえ……来なければ……家に来なければ」


 七森は聡の声を無視して、ありもしない兄との思い出を語る。


「————この化け物め!!」




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(第四章 了)


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