第26話 見られている


 七森の伯父————七森修一しゅういちは、妹の息子である七森を引き取り、実の息子の聡と兄弟のように分け隔てなく育ててくれた恩人だ。


 だが修一は転勤族だったため何度か引越しもして、住む土地はバラバラ。

 特に小学生から中学生の間では四回も引越したので、七森に仲のいい友達と言える存在ができたのは高校生になってからである。

 そこに進藤というクソみたいな人間がいるのは不運だったが……


 この経験があったせいか、七森は臆することなくすぐにその場に溶け込むことができるようになったのかもしれない。

 聡の方はだいぶ苦労をしていたようで、人間関係を築くのが苦手なようだった。


 修一は退職した今、聡の職場が近い少し田舎の町に一軒家を買い、そこで暮らしている。

 コンビニが近くにないようなど田舎というわけではないが、都市からは少し離れている自然豊かな場所だった。


 まだ夏は終わっていない。

 もうすぐ九月になるが、今年の夏は特に暑い。

 始発で来たせいで、睡眠時間の足りていなかった七森は用意されていた涼しい部屋で気がついたら夕方まで眠っていた。

 まさか、嫌な汗をかくほどの悪夢で起こされるとは思っていなかったが……


「なんだったんだ……全く……」


 キャンプ場で緑の湖に落ちた時に思い出した記憶と、夢の中で見た光景が重なり、どこまでが夢で、どこまでが現実だったのかわからない。

 それに、なぜ、あの白装束の大人たちは、目の前で溺れている子供を助けてくれなかったのかわからない。

 七森にはわからないことだらけだった。


 思い出そうとしても、やはり「見るな」という声がどこからか聞こえてくるような気がして、それより先には進めない。


「もしかして……見るなって、俺の声か……?」


 そんな風に考えながら、汗で濡れてしまったTシャツを新しいものに着替える。

 仕事終わりに、これから聡が彼女を連れてくるそうだ。

 それも、結婚の話をしに。


 聡が結婚するなら、弟として祝福するべきだ。

 一応、少しばかり身なりを整えようと、顔を洗いに洗面所へ向かって歩いていると、廊下の小窓から見えた景色に驚いた。

 女の顔だ。


 女の顔が、小窓にべったりと顔をつけて家の中をのぞいている。

 光のない真っ黒な瞳でこちらをじっと見ている。

 見られている。

 この気持ちの悪い感じは、まさか呪いではないだろうか……呪いの化け物ではないだろうかと七森は思った。

 そうなると、この家の誰かが……伯父夫婦のどちらかか、もしくはそろそろ帰宅するはずの聡が呪われているかもしれない。


 誰に、一体誰に呪われているのか。

 自分を引き取って、ここまで育ててくれた心優しい伯父夫婦が、一体誰に恨まれているというのか……

 地獄に落ちるべき悪人のはずはない。


 そうなると聡だ。

 学校に馴染めずにいた聡のストレスのはけ口に七森はされていた。

 暴力を振るわれるということはなかったが、伯父夫婦がいないときに実験だと言って、いろいろなことに付き合わされたことがある。

 寝ている間に手足を縛られたり、臭くて苦くてまずい謎の液体を飲まされたり、パンツの中に虫を入れられたり……


 七森が高校生になって、聡とあまり体格が変わらなくなってからはそんなこともなくなった。

 聡も大学生になったら友人がたくさんできて、もう親の都合で友人たちと離れることもなくなったから、七森に構っている暇もなかったのだ。

 だが七森は、今でもあのまずい液体がなんだったのかと、思い出しただけで嗚咽しそうになるし、喉の奥が痛くなる。


「でも、まだ帰って来てないし…………」


 実験はなくなったが、伯父夫婦の見ていないところで、嫌味は言われていた。

「お前はこの家の子じゃないのに、いつまでここにいるんだ」とか、「お前のせいで医学部に行けなかった」「お前が全部俺から奪った」とか。

 早く出て行って欲しいと言われたこともある。


 伯父夫婦は好きだったが、聡のことは好きになれなかった。

 七森は聡がいるから、高校を出てすぐにこの家を出て就職したのだ。

 そこの社長には逃げられてしまったけど……


「伯父さんたちが、呪われているのは嫌だな……」


 聡はどうでもいいけど、もし聡が死んだら二人が悲しむだろうなと思った七森は、環に連絡する。

 明石家あやかし派遣事務所の呪い相談では、呪いをかけるだけではなく、呪いを返したり、そもそもなかったことにすることだってできる。


『どうしたの? 休暇中なのに……七森くん』

「あの、呪い相談をお願いしたくて——————」


 まずは相談。

 家族が呪われているかもしれないなら、明石家あやかし派遣事務所に相談するのが一番だ。


『なるほど……じゃぁ、今の仕事が終わったらそちらに向かうよ。早ければ今夜、遅ければ明日の朝になっちゃうけど、いいかな?』

「はい、お願いします」


 七森が電話を切ると、その時ちょうど聡が帰ってきた。

 聡の彼女だという女を連れて————




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