第15話 改心


 一週間前————


「もう一人で大丈夫よ。心配かけてごめんね、宏太」

「……わかった。気をつけてね」


 四人目の海斗に謝罪した後、夢花はやっと連絡が取れた最後の一人と会う約束をしていた。

 この頃には全身の痛みもすっかりなくなり、肌も綺麗に元どおりになっている。

 たまに少し痛いと思う程度で、このくらいであればなんの支障もないと元気になった夢花は、車を走らせ、約束の場所へと向かう。

 謝罪をして回ったことで、よく寝て、よく食べることができるようになった夢花は本来の自分を取り戻したような、そんな気分で鼻歌を歌いながら風を切る。


 五人目は、地方公演で出会った香取かとりという実業家の男。

 当時、香取には妻子があったのだが、夢花にすっかり夢中になってしまった彼はすぐに離婚して、夢花にプロポーズをしていた。

 しかし、夢花にとってはほんのお遊び。

 夢花が何度断ってもしつこく、一時期はストーカーのようになっていた。

 正直、夢花にとっては、会いたい相手とは思えない。


「こんなにいい天気なのに、あいつに謝りに行くなんて……」


 すっかり呪いから解放されつつあった夢花に、邪な考えが過ぎる。


「こんなに楽になったんだから、行かなくていいんじゃないかしら……」


 死ぬかもしれないという恐怖と、宏太の手前、これまでの四人に謝罪をしてきたものの、体はもうなんともないのだ。

 香取に謝罪する必要性を感じられなかった。

 それどころか、途中で寄ったサービスエリアで、偶然、好みのタイプの男を見つけてしまう。


「……え、一条ゆめか!?」

「そうよ。お兄さん、私を知ってるの?」

「当たり前じゃん。実物もめっちゃ可愛いね」

「ふふ、ありがとう」


 これから約束があるというのに、夢花は————


「ねぇ、お兄さん、今時間ある?」


 その日、昼間からその男と寝た。

 睡眠欲も食欲も満たされいる彼女は、もう一つの欲を我慢できなかった。

 結局、変わることなんてできていない。


 呪いの化け物は、じっとその気持ちの悪い双眼で快楽に溺れる夢花を部屋の片隅で見つめている。



 *



「おかえり、姉さん。うまく行った?」

「ええ、それはもう」


 やけに肌艶のよくやった夢花が夜遅く実家に戻ると、閉じられたあの大きな鏡が目についた。

 退院した時、実家に運んできたが、正直もう呪いが消えたかどうかの確認の必要もない。

 むしろ、あの木の板を見ると、呪いで苦しんだことを思い出してしまうのが億劫だった。


「宏太、これでもう私は大丈夫だから、あの呪い屋さんに返していいよ」

「うん、わかった」


 宏太はこれで姉も、姉を呪った人々も助かったと喜んだ。

 さらに翌日、夢花はこれまで自分がしてしまったことを反省しているとマネージャーや社長に告白し、二度とこんなことはしないと誓う。

 自慢の姉の意外な顔にショックを受けていた宏太も、きちんと反省して改心してくれたようだし、これからも姉を支えていこうと決心する。


 そして、もともと将来、夢花のマネージャーになるために夏休み中はマネージャーのバイトをする約束になっていた宏太は、呪返鏡を明石家あやかし派遣事務所に返した後、その足で夢花のマンションを訪れた。

 本当は明日からなのだが、驚かそうと一日早く。


 数日分の着替えや必要なものが入った大きなキャリーケースを引きずりながら、もらった合鍵を使って部屋へ。

 広いリビングの椅子に腰をかけ、スマホの充電器出そうとキャリーケースを横に倒した時、寝室の方から話し声が聞こえたような気がした。


「姉さん?」


 この時間、友達と復帰祝いに出かけていると聞いていた宏太は、不思議に思いながらそっと寝室のドアを開け、覗き込んだ。

 そこには、裸で抱き合う二人の女。

 まっさらな白いシーツの上に、淫らに溺れる二人の女。


 片方は夢花で、もう片方はまだ幼い。

 中学生……いや、小学生だったかもしれない。


 信じられない光景に、宏太は目をそらした。

 そして、怒りがこみ上げてくる。


 何も、変わっていない。

 反省なんてしていない。

 改心なんて、ひとつもしていないのだ。


 自分の姉は、あの女は穢れている。

 清楚で可愛らしいなんて、嘘だ。

 穢れているのだ。

 それもどうしようもない、欲にまみれて汚れている。

 男も女も関係なく、ただ快楽を求めて汚れている。


 気づけば、宏太はその白いシーツの波を、赤く染めていた。

 右手に握りしめていた包丁から、ぼたぼたと流れる鮮血。


 少女が部屋を出て行くのを黙って待ち、うつ伏せで眠っていた姉の背中を、何度も刺した。

 こんなものが家族だなんて、恥ずかしい。

 こんなにも汚いものが、姉だなんて恥ずかしいと。


 部屋の隅には、相変わらず呪いの化け物が立っていたが、宏太は気づかない。

 痛みに目を覚ました夢花が最後に見たのは、寝室の姿見に映る自分と何かに取り憑かれたかのように、血しぶきを浴びている弟の顔。

 それがなぜか謝罪に行くのをやめたあの男の顔に似ているように見えて————


 それは、とても恐ろしい化け物だった。



 *



「はぁ……はぁ……」


 宏太は、キャリーケースの中身をひっくり返し、代わりにその細い腕で懸命に姉だったものを詰め込んだ。

 血だらけのシーツもゴミ袋に入れて、全て綺麗にして片付ける。

 汚いものは全部、物置部屋の一番奥に隠した。


 エアコンを点けているのに滝のように流れる汗をかきながら、全て終わって誰もいないリビングのソファーに座り下を向くと、ふと床に散らばった荷物の下ある、先ほどもらったパンフレットが目につく。

 宏太はすぐに書かれていた番号に電話をかけた。


『お電話ありがとうございます。明石家あやかし派遣事務所です』

「すみません……あの、パンフレットにあるあやかし派遣サービスを利用したいんですが」

『かしこまりました。担当者とお繋ぎいたします。少々お待ちください』




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