第二章 泥沼

第9話 エキストラ


「おかしいな……」


 ある日の夕方、自分の部屋で昨日録画した人気ドラマ『心霊タクシー』見ていた七森は首を傾げていた。

 今日放送の第二シーズン第八話の画面に映り込むはずのが映っていないのだ。

 他のあやかしは皆、画面に写り込んでいるのに、のっぺらぼうだけがどうしても見つからない。


「このドラマ、人気だから出られるの嬉しいって言ってたのに……」


 七森が撮影現場にあやかし達を送り届けた時、車中でのっぺらぼうが興奮気味に話していて、七森も楽しみにしていたのだが……

 どうやら、編集の都合上カットされてしまったようだ。

 あくまでエキストラだから仕方がないことだけど、きっと今頃落ち込んでいるだろうなぁと七森は思う。


 最近、映画やドラマ、お化け屋敷に脱出ゲーム、心霊スポットなどなど、この仕事を始めてからそういう現場に行くことが多くなった七森は、これまでホラー作品にはあまり興味がなかったことを少し後悔している。

 こんなに面白いコンテツに、どうして触れてこなかったのだろうかと。

 それに————


「俺って、どうして見えるんだ? そもそもいつから、見えてた……?」


 今まで気にしていなかったが、仕事も家も決まり、心が安定したようで七森は最近、自分について考えるようになった。

 この仕事が向いていると環に言われたあの時、自分に向き不向きがあったり、何かの才能があるだなんて思っていなかった。

 ただ普通に生活するために金が必要で、そのためには仕事が必要で……

 自分が何をしたいか、どんなことに興味があるかなんて二の次だった。

 この愉しい仕事に巡り会えたことで、そういう考え方もあるのかと思えるようになったのだ。


「うーん……」


 しかしどんなに考えても、いつから見えていたかを思い出そうとしても、全く思い出せない。

 目を閉じて考えてみるが、そこにはただの真っ暗な闇。

 何かが足りないような気はしている。

 いつもどこかすっぽりと、記憶が抜け落ちているような、そんな気がしていた。

 それを思い出そうとすると「見るな」と、知らない誰かの声が止める。


 このまま闇の中に消えてしまいそうだと思ったその時、玄関のドアが開く音が聞こえ、七森は現実に引き戻されて目を開けた。


「……ん? 所長が帰ってきた?」


 このシェアハウス————明石家あやかし事務所が入っているビルの最上階に越して来てから、実は一度もまともに環と仕事以外で会ったことがない。

 共用部分以外の部屋は一切立ち入り禁止だが、そもそも環はここに本当に住んでいるのか不明だった。

 たまに物音が聞こえたりするけれど、いつも仕事で外出しているか、下の階の所長室にいるのである。


「七森くん、ちょっといいかな? 部屋にいるよね?」


 それも珍しく声をかけられた。

 週休二日ではあるが案件によって勤務時間がバラバラで、いつ寝ているかわからないということもあり、仕事とプライベートはきっちり分けてくれている環が、めずらしく玄関から叫んでいた。


「どうしたんですか? 所ちょ……所長!?」


 呼ばれたので部屋を出て玄関の方へ行くと、環はなぜか泥まみれで申し訳なさそうに笑っている。

 髪や頬、脇に抱えている黒いジャケットも、真っ白だったはずのワイシャツも、足の長さを強調する黒い細身のパンツもいたるところに泥まみれだ。

 この様子だと靴も中まで入っているだろう。

 ぼてぼてと水分を含んだ灰色と茶色の中間みたいな色をした塊が重力に負けて滴り落ちていた。


「休みのところ申し訳ないんだけど、ちょっと手伝ってくれないかな?」

「ええ、もちろんですとも!」


 こんな悲惨な状態の人間を放っておけるわけがない。

 七森が玄関から脱衣所まで新聞やらチラシやらを並べて道を作り、その上を環が歩く。


「悪いね、ちょっと必要な材料を取りに行ってたんだけど、うっかり足を滑らせてしまって……」

「材料?」

「まぁ、そんな話よりさっさとこの泥を落とさないとね。あ、でも着替えが……————まぁ、いいか」


 脱衣所につくと、七森がいるのにも関わらず泥だらけの服を脱ぎ始めた。

 とにかく早く脱ぎたいようで、恥じらいも何もない。

 そればかりかインナーのTシャツまで濡れてしまっていて、脱ぐのが難しそうに苦戦している。


「て、手伝いましょうか?」

「ああ、ごめんね、お願いできる?」


 これでようやく、環の性別が判明するかもしれない……と、七森は手を伸ばした。


 今まで聞けずにいたし、あまり気にしないようにしていたけれど、一体、本当はどっちなのだろうか。

 別に本当に女性だったらどうこうしたいとか、そういう邪な考えはなかった。

 心と体の性が一致しない人なんてたくさんいるし、恋愛対象が同性である人だって普通にいる。

 今はそういう多様性の時代だ。

 七森も十分理解している。

 だから、聞くのは失礼にあたるのではないかと思っていた。


「————ちょっと、タマちゃん!」


 ところが、その手をいつの間にか現れたオトメが止める。


「いくら七森ちゃんがお気に入りでも、それはダメよ」

「……え、どうして? オトメさん」

「タマちゃんのお世話は私の役目でしょ?」


 オトメは脱衣所から七森を追い出すと、ぴしゃりとドアを閉めて鍵をかけた。

 そして、呆然としている七森にドア越しに言う。


「七森ちゃん、事務所に呪い相談のお客さんが来てるのよ。ここは私に任せて、タマちゃんが戻るまでお相手してあげて」

「え……!?」

「ちょっとの間だけよ。ちゃんと休日手当出すから、頼んだわね! あんっ……もう、タマちゃんダメじゃない、そんなことしたら」

「ははは……ごめんごめん、つい」

「ダメだってばぁ」



 何かが始まってしまったようで、七森はあきらめて所長室に行くと、そこには学生服の大人しそうな少年が座っていた。


「呪われているかもしれないんです……助けてください」


 不安そうな表情で、そう訴える。

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