第7話 六つのアタッシュケース
————進藤龍之介が死ぬ四日前。
「なるほど、では、その方を呪い殺したいと————……そういうご依頼ですね」
「はい。どうしてもあの男が許せないんです。あいつのせいで、弟は自ら命を……」
明石家あやかし派遣事務所には、若い男が一人『呪いの相談』に訪れていた。
これで今月は四人目だ。
進藤龍之介を呪い殺して欲しいという相談をしてきたのは。
先月までの分も含めると、全部で六人の人間がここへ訪れている。
進藤龍之介を呪い殺して欲しいと。
あいつを殺したいと。
進藤の暴力によって負った傷の後遺症で体が不自由になってしまった息子を持つ親や、進藤にいじめられて、転校後もそのトラウマから逃れられず自ら命を絶った子供の親。
さらに、彼の飲酒運転の身代わりをさせられた進藤の親の会社の従業員、酒に薬を盛られ性的被害にあった女性もいた。
とにかく最低な人間だということは、話を聞いていて本当に吐きそうになるくらいだった。
環は相談者が帰って行った後、次の仕事の資料を持ってきたオトメにその話をする。
「まったく……これだから男って嫌いなのよ。自分勝手で、暴力的で……ただ欲望を満たしたいだけなの。女の気持ちなんてこれっぽっちも考えないんだから」
「はは……男がみんなそうってわけじゃないでしょう。この男がクズだってだけ。それに、ダメだよオトメさん。また眉間にシワが寄ってる。綺麗な顔が台無しだ」
「あら、そう? ごめんねタマちゃん。ついつい昔のこと思い出しちゃって……」
オトメはスカートのポケットから小さなコンパクトを取り出すと、自分の顔を確認し、「うん、やっぱり私って綺麗」と独り言を言っていたが、環は構わず話を続けた。
「それで、偶然か必然かわからないけど、面白いことに七森くんの知り合いだったんだよ。だから先週お伺いした高松様の呪具には、ちょっとした実験をしてみたんだ」
あの黒いアタッシュケースの中には、実は何も入っていない。
あのアタッシュケース自体が呪具だった。
「そしたら、たった一度で一人分の重さになった。やっぱり七森くんには、才能があるみたいだよ」
「あら、タマちゃんったら、どうせ七森ちゃんには何も言ってないんでしょう?」
「よくわかったね」
「わかるわよ。タマちゃん、そういうことをした後ってとっても
「おっと、それはいけないな。僕もオトメさんのように鏡を持ち歩かなくちゃ」
その時、駐車場に七森の車が停まった音が聞こえた。
廃ビルにあやかしを三体派遣する仕事を終えて、帰ってきたのだ。
そして、オトメはふと気がついたように、壁のカレンダーを見る。
「そういえば、試用期間の三ヶ月がそろそろ終わるわね」
「そうだね。残ってくれるといいんだけど」
「きっと残るわよ。だって、七森ちゃん初めにここへきた時より、とても愉しそうだもの————」
「そうだね。きっとこれから、もっと愉しいことが起こるだろうし」
環はにこにこと愉しそうに笑っていた。
*
————進藤龍之介が死んだ夜。
その日は、呪いが完成した日の夜だった。
進藤が近頃、周りで妙なことばかりが起きていると、感じ始めたのはおそらく一ヶ月前からである。
初めは頭痛や耳鳴り、腹痛、下痢に発熱。
体調不良で機嫌が悪い中、空からは鳥のフンや老朽化した看板が落ちてきて、一歩間違えば死ぬところだった。
一週間前には、運転中に車がパンクして、電柱に激突しそうになったこともある。
憂さ晴らしにと、夜遅くまでクラブで酒を飲んだその日の夜、まさか六人の人間が同時に進藤龍之介に死の呪いを掛けているなど、誰も思わないだろう。
さらにそこに、もう一人分の呪いが加わっていたことで、七人分の思いを込めた呪いは完成したのだ。
体調不良の中、たらふく酒を飲み千鳥足でフラフラと夜道を歩いていた進藤は自宅に帰ろうとタクシーを呼ぼうと手を挙げた。
目の前に止まったタクシーに乗り、行き先を告げる。
しかし、女性の運転手は何度も同じ質問をしてきた。
「どちらまで……?」
「だから、何度も言わせるなよ!!」
進藤はこれだから女の運転手は使えないと、怒鳴りつける。
そして一発顔を殴りつけてやろうとした。
だが、よく見ると振り向いた運転手には————
「な、な、な……なんだよそれ……どうなって」
顔がなかった。
目も、鼻も、口もない。
「どちらまで……?」
「ヒッ……」
驚いた進藤は、叫びながらタクシーを飛び降りて走った。
とにかく逃げた。
さらに何かが進藤に向かって追いかけてくる。
それは身体中に目がいくつもある鬼のような化け物で、完成した呪いだ。
進藤に恨みを持つ人々の怨念の塊だった。
「うわああああああ」
そうして、車道に飛び出した進藤は黒い四角い車に轢かれる。
上背があり、生まれつき筋肉質で屈強な男の体は宙に舞い、ゴッと鈍く重い音がして、硬いアスファルトの上で後頭部から血を流す。
彼が最期に聞いたのは、自分を轢いた車が走り去ってゆくエンジン音。
最期に見たものは、鬼のような化け物の目の中で一際輝いていた緑色の瞳だった。
同時刻、六つのアタッシュケースの前面は凹んでいた。
まるで何かにぶつかって事故を起こした車のように。
そして、高松由香里はそれを見た瞬間、環に「死んだらすぐにわかりますよ」と囁かれたことを思い出して、泣いて涙を流した。
あのゴミが、人間のクズが死んだことを心の底から喜んだ。
「ママ? どうしたの? なんで泣いてるの?」
「泣いてないわ。嬉しいのよ。とっても、とっても、嬉しいの————」
眠い目をこすり、泣いている母を心配し起きてきた娘を、強く抱きしめながら————
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