第4話 はじめての呪い相談


 その日は、朝からどんよりとした天気だった。

 いつ雨が降ってもおかしくない、そんな空模様。

 まだ大丈夫だろうと思っていた矢先、車のフロントガラスにパラパラと雨粒がつき始める。


「あ、なんで今降るんだよ……!!」


 廃墟となったホテルにあやかし達を送り届け、事務所に向かっている途中でその勢いは急に激しくなった。

 まだ大丈夫だろうと傘を車に積み忘れていた七森は、駐車場から少しでも濡れないようにと事務所の入り口まで走る。


 しかし、右側のドアの前に黒い喪服を着た三、四十代くらいの女性が立っていることに気がついて、足を止めた。

 右側のドアの前————ということは、人間だ。

 あやかし達なら左側のドアから入るが、人間は右側のドアしか見えない為右側からしか入ることができないと入社した日に聞いているからだ。

 その女性は、入るか入らないかをずっと迷っているように見えた。

 ドアの上にひさしが付いているとはいえ、この激しい雨では服が濡れてしまう。


「……あの、入らないんですか?」


 七森が声をかけると、その女性はびくりと肩を揺らして驚いた表情で七森の方を向く。


「え、ええと……その……」

「うちの事務所に何か御用なのでしたら、中でお伺いしますよ?」


 怪しい看板の出ている怪しい事務所だ。

 きっとこの女性も、自分のように誰かから紹介されて来たのだろうと七森は思った。

 そうでなければ、入ることをここまで躊躇するはずがないだろうと。

 そして女性も七森がこの事務所の人間だとわかり安心したようで、はっきりとここへ来た目的を口にする。


「————『呪い相談』に来たんです。お願いできますでしょうか?」




 *



 女性が呪いの相談に来たと伝えると、暇そうに受付で自分の爪を見つめていたオトメはこやかに微笑みながら、所長室に連れて行った。

 呪いの相談をしに来たお客と初めて遭遇した七森も、気になってついていこうとする。

 しかし、短時間とはいえ雨に打たれたせいでずぶ濡れになり「そのままだと風邪をひくわよ。あと臭い……」とオトメに言われてしまい着替えることにした。

 七森が身なりを整えてから所長室の方へ向かうと、当然ながら呪いの相談はすでに始まっていて、七森はドアの前で聞こえて来た会話に聞き耳を立てる。


「なるほど、では、その方をと————……そういうご依頼ですね」


 だなんて不吉な言葉が聞こえてギョッとする。

 相談に来た女性は喪服を着ていて、おそらく葬式か法事の帰りだ。

 死者を偲び、成仏するよう念じたはずのその日に、呪いで人を殺そうとしているだなんて、七森には信じられなかった。

 一体何があったのだろうと、気にならずにいられない。


「ええ、お願いします。私、あの男がどうしても許せないのです。しかし、私には娘がおりますので……直接手を下して、警察に捕まるわけには行きません。娘を、犯罪者の子供にはしたくないのです」


 呪いで人を殺すことは、今の時代、殺人罪にはならない。

 呪い殺してやると、相手を脅したり恐怖を与えることは別の罪に問われる可能性があるが……


「わかりました。では、その場合ご自身ででやっていただくちょっとした儀式が必要になります。ご自宅に道具を一つ設置にお伺いしますので、ご都合の良い時間をこの中からお選びください」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 環はその女性と次に会う約束を交わして、この日の相談は終了。

 女性は事務所の前に立っていた時よりも、少し晴れやかな表情で所長室を後にする。


「————所長、今の話……どういうことですか?」

「なんだ、七森くん聞いていたの? ダメじゃないか、人の話を勝手に立ち聞きするなんて」

「すみません……でも、呪いだなんて、初めてで————どうしても気になってしまって……」

「まったく、仕方がないなぁ」


 環はやれやれとため息をつくと、不安そう眉を下げる七森の表情を見てプッと吹き出し、ケラケラと笑った。


「そんな顔するなよ。なに、呪いといってもちょっと驚かすだけだから……」

「そ、そうですよね? 呪いで人を殺すなんて、そんなことできるわけないですよね」

「さぁ、それは時と場合によるけど」

「……え?」

「だから、その顔やめなって。本当に面白いねぇ、七森くんは」


 ケラケラと笑う環の表情からは、どこまでが冗談で、何が本当で、何が嘘なのか七森はわからない。

 ただ、この約三ヶ月経っても環は掴み所のない人だった。

 何がそんなにおかしいのかよくわらないところで笑ったり、突拍子も無いことを言い出したりと、七森はいつもわけがわからず首をかしげるしかない。

 それに、いまだ環の性別は不明で、七森も聞くのは失礼なのではないかと勇気が出ずにいた。


「ところで、さっそく今のご依頼いただいた高松たかまつ様の家に運ぶ呪具じゅぐを手配するから、七森くん、運ぶの手伝ってくれ」

「は、はい。わかりました」


 何もわからないままその呪いで殺すことを希望している高松由香里ゆかりの家に、その呪具とやらが入っているであろう黒いアタッシュケースを運び入れたのは、それから二日後のこと。

 本当に中身が入っているのか不安になる程軽く、七森はこの重さであれば環一人で十分だったのではと思う。

 自分がついていきた意味はあるのだろうかと……


「では、高松様、呪いたい相手の写真を置いてください。できれば、高松様以外誰も触らない場所の方がいいです」


 このアタッシュケースは呪いたい相手の写真の上に置くものらしく、環は由香里に適当な場所に写真を置くよう言った。

 そうして床に置かれた一枚の写真には、金髪でツーブロックの若い男が写っているのだが————


「……進藤しんどう?」


 その写真に写っている相手が、見覚えのある人物だったため驚いてその上にアタッシュケースを置こうとしていた手を七森は止める。


「あれ、どうして知ってるの七森くん、まさか勝手に相手の資料見た?」

「いえ、そうじゃなくて……こいつ、同級生です。高校の時の————」


 それは、進藤龍之介りゅうのすけという、七森が大嫌いな男だった。


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