第2話 旨い話


 七森は所長室に連れて行かれ、そこでやっとルームシェアについて話すことができた。


「なるほど……ルームシェアの方か。それは怖い思いをさせてしまったね」

「いえ、あの……すみません。俺の方こそ、最初からはっきりと言えばよかったんですが」

「なに、うちの受付嬢が勘違いをしたのがいけなかったんだ。こちらの責任だ。気にする必要はないよ」


 先ほどの男性とも女性にも見える人は、所長のたまきと名乗った。

 二十代後半から三十代前半くらいの若さで所長というのも驚きだが、渡された名刺には環しか書かれておらず、それが苗字なのか下の名前なのかわからない。

 近くで見ると、男装している女性説が濃厚だと七森は思うが、そのせいでいまいち決定打に欠ける。


「ごめんね、タマちゃん……私ったらとんでもないミスを……」

「オトメさん、こういうときは僕じゃなくてお客様に謝らないと」

「だって……ややこしかったんだもの。し」


 七森を面接希望者と間違えた受付嬢のオトメは、テーブルの上にお茶を置いてその環の隣に座る。

 オトメは謝る気がないのか、七森の方は一切見ない。

 美男美女が目の前でいちゃついてるようで、なんだか七森は少々イラッとしつつ話を元に戻した。


「それで、さっきの人? いや、化け物? 妖怪? 幽霊? みたいなのはなんだったんですか? 特殊メイクみたいなのもしてたし、ホラー映画か何かのオーディションとか?」


 一斉に振り向かれた時は、驚いて腰が抜けそうになったが、冷静に考えればそうに違いないと七森は思った。

 お茶を口に運び、環からの肯定の一言を待つ。


「いや、あれは全部本物の幽霊と妖怪だよ。ウチではまとめてと呼んでるけれど」

「ブッ……」


 まさかの否定に、七森はお茶を吹き出してしまった。


「あやかし……!? 何言ってるんですか、そんなものいるわけないでしょ」

「いるよ。君が入って来たドア、あれ普通生きてる人間には見えないんだ……————っていうか、君、もしかして見えてる自覚ないの?」

「え……?」


 むせて涙目になった目をこすり、改めて環を見ると、やはり男か女かわからないが、とにかく綺麗な顔をぐっと七森に近づけてきた。

 大きな目で見つめられ、七森は身構える。

 相手が男にせよ女にせよ、これほどまでに他人の瞳を間近で見たことは生まれて初めてだ。

 それに近くで見ると環の顔は日本人だが虹彩の緑がかっていて、宝石のように美しい珍しい色をしてる。

 中心の真っ黒な瞳孔に吸い込まれそうで、そのあまりの美しさに、七森は目が離せなかった。


「面白いね。君、ウチで働かない?」

「え? いや、俺はこんなところでは————」

「だって、家も、仕事もないんだろう?」

「それは、そうですけど……」


 これ以上近づいたら、鼻先が触れそうなほど二人の距離は近かった。

 テーブルを挟んでいるのに、身を乗り出した環の片膝が行儀悪くもその上に乗っている。


「ちょっと、タマちゃん、いくらなんでも近すぎよ」

「————おっと、失礼」


 オトメに声をかけられ、環は椅子に座り直した。

 このまま声をかけられなかったら、危ないところだったと気がついて七森は恥ずかしそうに目を伏せる。


「えーと、七森くんと言ったね。君にはウチの仕事が向いていると思うんだ」

「いえ、だから、俺はここで働く気は……それに、ルームシェアだって」


 とにかく、やはり最初の印象通り怪しいところだと七森は判断し、大家には申し訳ないが、この話はなかったことにしようと断ろうとした。

 しかし……


「ああ、ルームシェアね。ここで働いてくれるなら、半額でもいいよ」

「え?」

「最終判断は任せるけど、部屋も仕事も、三ヶ月お試し期間————試用期間ってことで、どう? やってみて無理だったら、その時断ってくれればいいから。それに継続してくれるなら、ずっと半額のままでいいよ」


 普通、試用期間とは会社側が採用を判断する期間のはずだが、環は最終的な判断はすべて七森に任せると言った。

 家賃も大家からは、一ヶ月二万円と聞いていたが半額ということは一月一万円になる。

 それも部屋を内見させてもらったが、同じ一ヶ月一万円なのに壁も天井に穴が空いていることもなく、真っ白で綺麗な壁紙の洋室だった。

 日焼けしたボロボロの畳に、エアコンのついていないあのアパートと比べたら桁違いに素晴らしい物件だ。

 共同のリビングや風呂、キッチンも綺麗で、七森は目を輝かせる。

 そのタイミングで、環はにこやかに微笑みながら、もう一度七森に尋ねる。


「……どう? やってみない?」


 七森は、大きく頷いた。


「はい……やってみます!」


 旨い話すぎて何かあるかもと思ったが、ここに住みたいという思いが七森の中で勝ってしまったのだ。


「それじゃぁ、さっそく明日からね。これが部屋の鍵。今日から使ってくれて構わなよ。で、こっちが契約書ね」


 七森は鍵を受け取り、契約書にサインした。

 そして、改めて尋ねる。


「————それで、結局、なんの仕事をする会社なんですか?」

「事務所の名前の通りだよ。あやかし派遣事務所。つまり、妖怪や幽霊の派遣会社だ。彼らを必要としているところに、最適なあやかしを派遣するんだ。まぁ、それ以外にも色々あるけどね」





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