第16話 錆び――美しくないもの
ヘイロンはこの世界の闇そのものだ。美しいものを次々と生み出した創世の神が、「美しくないもの」を寄せ集めて最後に落とした、言わば創世神の身から零れでた錆び。それがヘイロンだった。
そんなヘイロンも、ファルタ=テルタのように設定があるだけで、実際にキャラクターとして登場するわけではない。ヘイロンが人々の心のなかにある闇――他者への怒りや嫉妬、憎悪などを掻き立てて戦乱の世を開き、その暗黒時代に人々の心に希望の光を灯して回ったのが、ファルタ=テルタを初めとする原初の人だった。
ゲームのストーリー上で、そんなヘイロンの存在を取り挙げたエピソードがある。その舞台となったのが、地下深くに築かれたダンジョン「ヘイロン神殿」だ。
アオがリナリアから「ワカバさんがヘイロンのところへ行ってしまったみたいです」と連絡を受けたとき、その所在として真っ先に思い浮かんだのはヘイロン神殿だった。だが、エピソードが完結すると同時に、あのダンジョンは閉鎖されたはずだ。
「今はそこまで行く道がなくても、ダンジョン自体はあるわけだから、バグかなんかが起これば行くことはできそうだよな」
アオの横に立ったシュウが言う。
リナリアから緑陰同盟のメンバー宛てに送られたメッセージを見て、アオの隠れ家に四人が集まっていた。
「でも~、なんでリナリアちゃんはあねさんがヘイロン神殿に行ったみたいだってわかったの~?」
ミラが首を傾げる。
「えっと……ワカバさんから、連絡を貰って……それで……」
「どうしたらいいかわからなくて、皆に来て貰ったってわけ」
リナリアの言葉尻を引き取って、アオが努めて冷静に説明する。
「でも、バグってんだったら運営に言うほうがよくないか?」
「通報はしたけど、対応に時間がかかるみたいなんだ。だから、どうせなら僕たちもそのバグについて調べてみたらいいかと思って」
勿論、真っ赤な嘘だ。アオとワカバの現状から、ゲームのシステム上のバグではないだろうし、運営に報告してワカバが通常のプレイヤーではないとバレたときが恐ろしい。彼女のほうこそバグだと言って排除され亡いとも限らないのだ。
むしろ、今は閉鎖されているヘイロン神殿に、本来はいないはずのアバターが紛れていると運営に察知される前に解決する必要がある。
「面白そうじゃん。それで、どうやって調べるんだ?」
それはアオにも説明できない。アオは、この場に皆を集めた当人であるリナリアに視線を送る。
三人の視線を集めたリナリアは気後れしたようにたじろいだが、眉尻を下げた不安げな表情をきりりと引き締め、話し出した。
「実は、ワカバさんの救出自体は、運営の方以外にもゲームに詳しそうな人にお願いをしています。それで、その人のサポートをするよう頼まれているんです」
リナリア曰く、ワカバをこの隠れ家のマップまで連れて来るが、その過程でワカバ以外の、例えばヘイロン神殿のモンスターまで連れ込んでしまう可能性があるらしい。本来はそのマップにいないはずのモンスターが拡散してしまえば、バグが表沙汰になるどころか、さらなるトラブルを招くことになる。
「ここの地面に、これからワカバさんを救出するための穴が開きます。それで、ワカバさん以外のモンスターやおかしなものが出てきたら、それを倒して欲しいんです」
「なんかわかんないけど~、それであねさんが帰って来るならまかせて!」
ミラがその場でくるりとターンする。この状況を楽しんでいるのが声色からもわかった。
「よーし! あねさん救出作戦だ!」
シュウもかなりの乗り気で、アオはそんな二人の横で渋い顔をする。
「……アオさん?」
リナリアが心配げな顔でアオの様子を窺う。アオは首を横に振った。
「なんでもない。面倒をかけてごめんな、リナリア」
「いいえ! 元とは言えばわたしが……」
謝罪しようと頭を俯けるリナリアを、アオは「ストップ!」と制止する。
「その話はもういいんだ。それより、穴はもう開くの?」
「え、ええ、たぶん……」
そう言って、リナリアは目を閉じた。耳を澄ませたり魔法を唱えたりするときのように、目に見えないものに意識を向けるときの動作だ。
リナリアの言う「ゲームに詳しそうな人」が誰なのか、或いは人ではないのか、それはアオにもわからない。そもそもワカバがヘイロン神殿にいるというのも彼女が言っているだけのことで、今この状況には謎が多すぎる。
それでも、アオは彼女を信じている。
リナリアが目を開けた。自分の足元を見下ろし、告げる。
「開きます」
すると、彼女の足先数センチのところから黒っぽい靄が漂い、それが檻のように地面に溜まり、やがて丸い穴になった。
アオは思わず息を呑む。穴から吹いてくるひやりとした空気が頬を撫でて、全身に鳥肌が立った。穴から吹き上げてくる気配は、あまりに禍々しい。
「お~、本当に穴ができた~」
「ヘイロン神殿のモンスターってどんなんだったっけな。確か……」
戦慄するアオとは対照的に、ミラとシュウは気楽そうな態度を崩さない。しかもここに来て二人して装備品をああでもないこうでもないと取っ替え引っ替えし始めて、互いに変わる姿を見て笑っている。恐らく、ゲーム画面越しにはこの禍々しさは伝わらないのだろう。
「来ます!」
リナリアが短く告げる。その声に我に返されたアオは、得物の日本刀に手をかけた。
下から吹き上げてくる風が圧力を増し、ひゅうひゅうと唸りを上げて最初のモンスターが飛び出してきた。
「ナベリウスだ!」
シュウが叫んだ。
地上の穴から空へと一気に飛び上がったのは、犬の頭を三つ持った怪鳥だった。しわがれ声でぎゃあぎゃあと喚き立てながらアオたちの上空を円を描くように飛んでいる。
「いきなり強敵が来たね~」
ミラが素早く魔法防御アップの魔法を全員にかけていく。
「ヘイロン神殿の中ボスだね~。あのダンジョンは確か聖属性が弱点のボスが多かったはず。ここはあたしの出番かな~」
「飛ばれてると俺とアオは不利だな。俺とアオで攻撃を防ぐから、リナリアは攻撃魔法を頼む!」
「はい!」
リナリアが杖を構えて詠唱を始める。その後方で、ミラも杖の先を地面に突き立てて目を閉じている。杖の先を中心にして、地面に大きな魔方陣が白く輝いていた。
ナベリウスはミラの魔法を警戒して、彼女に狙いを定めたようだ。敵を地上に寄せ付けないよう、リナリアがファイアアローを連発する。幾つかは命中するが、ナベリウスには効果が薄い。
空中を旋回して様子を窺っていたナベリウスが反撃に出る。三つの犬の頭が咆哮し、虚空に現われた魔方陣から火球が放たれた。初級魔法のファイアアローとは比べものにならない威力の炎だ。リナリアが咄嗟に反属性の氷の魔法を打つが、氷を呑み込んでも炎の威力は落ちた様子がない。
「まかせとけ!」
降り注ぐ炎の進路上に、巨大な盾を構えたシュウが立ちはだかった。人一人を包んで焼き尽くすほどの大きな火球がシュウを直撃する。
「シュウさん!」
リナリアが悲鳴を上げる。
「大丈夫だって!」
しかし、そのまま燃え盛るかと思えた炎は、急速にしぼんで消えてしまった。シュウの鎧姿にも、多少の焼け焦げは見えるが大した外傷はなさそうだ。
「魔封じの盾だ。魔法攻撃を半減する。しかも、ミラの魔防アップも効いてるから、ほぼノーダメだ」
リナリアがほっと胸を撫でおろす。その傍で、アオはアイテム選択画面を開いて投擲用の小刀を選んだ。瞬時に手の平に小刀が握られる。
「お返しだ」
魔法を放ったあとのナベリウスには隙ができている。しかも、ミラやシュウの方向に目が向いているせいで、彼らから離れた位置に立つアオはノーマークだ。全力で投げ放った小刀は、勢いを殺さずナベリウスの大腿部に突き刺さった。上空を、苦しげな咆哮が埋め尽くす。
直後、フォン、と空気を振わす不思議な音が鳴る。ミラの詠唱が完了し魔方陣に魔力が満ちた合図だ。
「聖なる槍よ、悪しき者を打ち砕き給え!」
地表の魔方陣から無数に飛び出した光の槍が、目にも留まらぬ速さで上空の怪鳥を次々と射貫いていく。聖属性の上級魔法、しかも練度も高いその攻撃を受けて、ナベリウスは中空に浮いたまま形も残さず霧散した。
「ナイス!」
シュウが快哉を叫び、ミラは両手でガッツポーズする。
「二人とも、判断が的確だな」
ミラが魔法防御アップをすぐさまかけたのも、シュウが魔封じの盾を装備したのも、敵の特性を把握していたからだろう。
「ヘイロン神殿と言えば、闇属性の悪魔の巣窟。大体の敵は物理よりも魔法型だし、状態異常与えてくるとか厄介な敵が多い。でも、聖属性には滅法弱いから、ホーリーランス当てられれば一撃か二撃で仕留められるよ~」
ミラが胸を張って言う。確かに悪魔族は厄介だ。高位のヒーラーだけが覚える聖魔法を習得したミラがいるのといないのとで、この戦局は大きく変わっていただろう。
「助かる、ミラ」
「お~う! 次もまかせて!」
一同は、ぽっかりと開いた穴へ再び注目する。地下深くのヘイロン神殿から通じる、まるで奈落への入り口。
本当にここから、ワカバを助け出せるのだろうか。
ひゅうひゅうと穴から漏れる虚ろな風音と冷気にわずかに身を震わせながら、アオは日本刀を強く握り締める。
絶対に、助け出す。
金魚の夢 ~異世界姉弟生活記~ とや @toya
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