第8話 さらさら――彼女の願い
「さ~さ~の~は~さ~らさら~」
歌を口ずさみながら、リナリアは人で溢れるファルタの街を泳ぐように歩く。
「の~き~ば~に~ゆ~れ~る~」
夏が訪れると、この街は夜になると幻想的なイルミネーションと満点の星空がコラボレーションして、一大人気スポットになる。
「お~ほしさ~ま~き~らきら~」
この街を築いたファルタ=テルタという原初の人の一人が、死して天に召し上げられたのが七月。彼は戦いで荒れ果てた人の世で数多の善行を行い、慈しみを教えた。夏の夜空に現れる天の川は、彼が天空で行った数多の善行であり、天空でも多くの人の胸に慈しみと希望の光を灯している証なのだという。
そんなファルタ=テルタを称え、地上の子孫たちが彼に続く善き人とならんと誓いを書き記してテルタの木の枝葉に吊るすのが、『ファルタの夕べ』というお祭りだ。
「き~んぎ~ん~す~な~ご~」
だが、多くの人はこのお祭りを「七夕」と呼ぶ。
お祭りが行われているあいだ、ファルタの街では至る所で出し物が出る。すべての出し物を巡って近いの短冊をテルタに吊るせば、貴重な景品を得ることができる。それを目的に、多くの冒険者がここを訪れるのだ。
様々な見た目の人々が行き交う道はさながら渦巻く坩堝のようで、しかしリナリアは誰ともぶつかることなく悠々と道を進む。
やがて、この街にたくさんあるテルタの木のなかでも、街外れにあって目立たないものの傍に行き着く。
誰もいない木の下に進み、リナリアは手にした短冊を紐で枝に結う。丸みのある幼い文字で書き記した自分の誓いを、今一度目に映す。
『あおくんのねがいをかなえます』
リナリアは彼の顔を思い出してうっすら笑みを浮かべる。
「連絡をくれてありがとう」
振り返ると、一組の男女の背後に立っていた。
片や、細身の鎧に身を包んだ東洋風の獣人種の男性。片や、長い金髪を靡かせる西洋風のエルフの女性。
「お姉さんを巻き込んでしまったこと、お詫びします。ごめんなさい」
二人に向かって、リナリアはまず謝罪して頭を下げた。
本当はあおくんだけを「連れて行く」つもりだった。けれど、折悪しくお姉さんがやって来てしまって、リナリアには一度渦巻きだした流れを止めることができなかった。
頭を下げるリナリアの頭上から、あおくんの声が降ってくる。
「リナリア、一体どういうことなの? あなたは何者?」
「わたしは、あなたの願いを叶えたいと思っていました。ファルタ=テルタが力をくれたんです。きっと悪いようにはなりません」
「全然説明になってないんだけど?」
頭を上げたリナリアの顔を、エルフの女性が鋭い目つきで睨む。
「あなたは、自発的にわたしたちをゲームの世界に連れて来たってこと? でも、そんな不可能なことをどうやってやったの?」
エルフの女性は、腕組みをして威圧するような態度で言う。
エルフの女性はあおくんのお姉さん。完全に巻き込まれた立場で、右も左もわからない彼女は、リナリアを問い詰めてなにがなんでも帰るつもりだろう。
あおくんと違って現実に居場所のある彼女には、この世界はきっと不要なのだ。
「確かに、これはわたしが願って始めたことです。わたしはきっかけとなる現象を起こしました。ファルタ=テルタはわたしの願いを叶えてくれたんです。けれど、それは一度だけ」
お姉さんが眉間の皺を深くする。すぐさま言い返してこないのは、リナリアの拙い言葉を咀嚼してくれようとしているからかもしれない。
今度は、あおくんが口を開いた。
「ファルタ=テルタが願いを叶えてくれるのは一度だけ……つまり、あなたはこの世界に僕たちを連れてきたけど、帰りをどうにかすることはできない、ということ?」
リナリアは頷いた。途端、お姉さんが「なにそれ」と怒った顔をする。
「お姉さん、本当にごめんなさい。……ファルタ=テルタが近くにいるあいだは、もしかしたら力を授けてもらえるかもしれません。探し出すことができれば、きっと……」
「蒼、そのファルなんとかっていうのはなに?」
「この世界の設定に書かれている賢者みたいな人。七夕のイベントにまつわる人で、こういう自分になりたい、もっと成長したいっていう人の願望を後押ししてくれる人ってことになってる。でも、設定上そう書いてるだけで、ゲーム本編に出てきたことはないし、ストーリーとの関連も薄いから、正直よくわからない」
「うーん、わかんないけど、じゃあその人に会って『元の世界に帰してください』ってお願いすれば、叶えてくれるかも……ってこと?」
「リナリアが言ってるのは、そういうことだと思う。合ってる?」
首を傾げた蒼に、リナリアは小さく頷いて返した。
蒼の横で、お姉さんが安堵したように溜め息をつく。
「じゃあ、わからないけど帰るための糸口はありそうなのね。で、もう一つ」
お姉さんは再度リナリアを睨み付ける。
「あなたは蒼を連れて来て、この子が帰れないかもしれないのに、どうしようとしたの? 連れて来ておいて、こっちから連絡するまで、説明に来るわけでもなく静観してたのも気に食わないんだけど」
「あおくんはこの世界のことをよく知ってますし、わたしがいなくても大丈夫だと思ったんです。あおくんに、この世界で自由に生きて欲しかったから、きっかけになったわたしが近くにいれば、きっと気になってしまって、好きなように生活することもできないと思って……」
喋りながら、リナリアは段々と目を泳がせる。責めるようなお姉さんの視線に、自分の判断が間違っていたかもしれないと気持ちが揺らぎ出す。
そんなリナリアに、お姉さんは「えーっと……」と戸惑いの声を上げた。
「あなたが蒼のこと大好きなのはなんかわかった。つまり、あなたは蒼にゲームのなかの世界を満喫して欲しくて、ゲームに呼んだのね? 蒼がそう願ったから?」
こくんと頷く。
お姉さんは眉根をきつく寄せて口を引き結び、呆れたとでも言わんばかりに肩を竦めた。そしてその顔をそのまま、あおくんに向ける。
「……悪い話じゃないんじゃない?」
あっけらかんと言ったお姉さんに、あおくんは口をあんぐりと開けて、しばらく言葉も出ない様子だった。
「……なんで?」
「なんでって、あんたどうせ部屋から出ないんだし、しばらくこっちの世界にいてもいいんじゃない? 部屋に閉じ籠もってるよりはよっぽど健康的な気がするし。気が済んだら、ファルタって人を見つけて、元の世界に帰ればいいだけでしょ?」
「そんな簡単なことじゃないよ。そもそもゲーム内にファルタがいるかどうかもわからないし、それに、僕たちがこうなっているあいだに、現実がどういうふうになってるか、まったくわからないんだよ。幽体離脱みたいになってて、意識が戻らなきゃ死んじゃうってこともあり得るかもしれないのに、そんな悠長なこと……」
慌ててた様子のあおくんの反論を、お姉さんは「ふん」と鼻先で笑って突っぱねる。
そのとき、リナリアは思った。お姉さんは、偶然巻き込まれてしまったのではなく、願いの力が彼女を引き付け、「巻き込んだ」のかもしれない、と。どうしてか、お姉さんの態度からは、あおくん以上に現実に固執する気持ちが感じられなかった。
「そうなったら、一生ここで暮らせばいいんじゃない? どうせ、今すぐ帰ろうったって無理なんだし。帰る手段探すついでに、あんたが好きなゲームの世界を存分に楽しんだらいいじゃん。あんたの望みが叶ったんだよ、よかったね」
「よくない!!」
あおくんが俯きながら叫んだ。怒っているのか怖いのか、それとも悲しいのか、肩が小刻みに震えている。
「……姉さんは、僕がここから出られなくなってもいいって言いたいんでしょう!? どうせ引き籠もりで、存在するだけで家族のお荷物になるような僕なんか、帰って来なければいいって! だったらそう言えばいいじゃんか!」
「そんなこと……なんでそういうふうに受け取るかな!」
すっかり取り乱したあおくんに、お姉さんは「もう」と溜め息をつく。
あおくんはいつもそう。現実を直視しようとするあまり、自ら不要な傷を作ってしまう。
現実はもっとぼんやり漠然としたもので、くっきりとフォーカスして見えるものではない。それを真っ直ぐに見ようとすれば、そこに見えるのは真実ではなく己のなかの妄想だ。
「君だってそうだ!」
あおくんは攻撃の矛先を、リナリアにも向ける。
「どこの誰だか知らないけど、僕をこんな場所に連れて来て、現実のどこかで嘲笑ってるんだろう!?」
リナリアはなにも言うことができない。適当な慰めの言葉を放ったところで、あおくんはその言葉を曲解して自分を傷つけようとするだろう。リナリアは、自分の言葉であおくんが心を痛めるのは嫌だった。
「蒼、あんたなんてこと……」
「二人とも金輪際、僕に構うなっ!」
最後にひときわ大きな声で言い放って、あおくんは素早く踵を返し、街の賑わいのほうへと駆けて行く。
「ちょっと、蒼!!」
「お姉さん」
すぐさま追おうとするお姉さんの服の裾を、リナリアはぎゅっと掴んで引き留める。怒りの形相で振り向いたお姉さんに、首をふるふると横に振った。
「大丈夫……だと思います。わたし、彼の居場所はなんとなくわかるんです。あおくんに、少し時間を作ってあげましょう」
「あんた……」
お姉さんはそのときなぜか、とても泣き出しそうな表情をした。けれど、歪んだ目元から涙はこぼれなくて、すぐに冷静な顔に戻ってしまう。
ああ、この人はやっぱり、あおくんのお姉さんなんだな、と、リナリアは思う。感情の隠し方が、そっくりだ。
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