第7話 天の川――ゲーム画面の開き方
「とにかくもっといろいろ調べたいし、街とかさ、人が集まる場所に行ってみない?」
若葉の提案に、蒼はすぐさま頷くことができなかった。
ここがゲームの世界なのだとしたら、自分たちはどんな存在なのだろう。
この世界を闊歩するのはプレイヤーの分身となるアバターだが、今の蒼と若葉はアバターとプレイヤーが一体となっている。他のプレイヤーがゲーム画面で蒼たちを見たときにどうなるかわからないし、そもそもこんな存在でゲーム内を自在に行き来できるのかも謎だ。
そしてなにより、もしもこの状態で敵と戦って傷を負ったときに、現実の蒼と稚葉が無事だという保証もない。もしかしたら、一生ゲームから出られず、ここで命尽きる可能性さえある。
それならば、時間がこの謎の現象を解決するまでじっとしているほうが得策のように思えた。
「不用意に動くと危険だよ。この家のなかで、なにか現象の鍵になっているようなものをまず探すべきじゃ……」
「金魚」
蒼の言葉を遮って、稚葉がふと思い立ったように言った。
「こうなる直前に、あんたの部屋で金魚が“飛んで”たの。あれ、あんたが飼ってたデメキンだったと思う。あの金魚って空中飛ぶの?」
「はぁ?」
冗談を言わなさそうな姉が真面目な顔でそんなことを言う。ゲームの世界に来たことで頭が混乱しているのだろうか。
「あの金魚は気が付いたらいなくなってた。水槽がからっぽになってたんだ。姉さんこそ、母さんや父さんが金魚捨てたとか、なにか聞いてない?」
「ううん。わたしが知る限り、二人とも蒼の部屋には行ってないよ。まあ、わたしが寝てる真夜中で、蒼がシャワー浴びてるあいだにこっそり……とかだったらあり得るかもしれないけど、そうまでしてあの金魚捨てる? それにあの金魚、逃げたんじゃなくて蒼の部屋にいたもん。わたし見たし」
「それ、ほんとのこと?」
「さあ、直後に起きたら今のこの状況だから、夢だったのか現実だったのかわかんない。でも、よく覚えてるよ。蒼の後ろで、パソコン画面の光を浴びて金魚がふわふわ飛んでたの。それで、急に周りが眩しくなって気絶した」
稚葉が嘘を言っているようには見えなかった。今はどんなおかしな現象が起こっても不思議ではない。
蒼は顎に手を当て、稚葉が自分の部屋に入ってくる直前までの記憶を思い返す。なにか、おかしなことが起こっていなかったか。
「そうだ、リナリア!」
「リナリア?」
「そう。あのとき、初めて会った初心者プレイヤーとダンジョンに行ったんだ。普通に別れたんだけど、あのとき変なチャットを貰ったような気がする。あれは確か……」
メッセージを見返えそうと思って、腕を伸ばし、フリーズする。
ゲーム画面上で見るチャットを、今この体で見るにはどうすれば良いのだろう。それとも、現実のように過ぎたことを遡って見ることはできないのか。
「……いや、できそうな気がする」
「なにを?」
根拠のない謎の確信を持って、蒼は中途半端に持ち上げた腕を体の前にかざす。
「『チャット履歴』」
頭にゲームの画面を思い描き、メッセージ履歴のアイコンを押すイメージをしながら唱える。
すると、手の平の向こうに見知った画面が半透明で表示された。
「なにそれ!」
横で稚葉が大げさに驚いて一歩飛び退く。構わず、蒼は続けた。
「あった、リナリアからのチャット」
〈それがあなたの願いなら、叶えてあげようか?〉
このとき蒼は、ゲームが現実になれば良いと口にしたのだ。そして、その独り言をまるで傍で聞いていたように、瞬時にリナリアからチャットが来た。
彼女の不審な行動はそれだけではない。普通、見知らぬ相手に直接チャットを送ってダンジョン攻略をしようとは持ちかけないが、彼女は蒼に声をかけてきた。それがもし偶然ではないのだとしたら。もし、彼女がただの通りすがりのプレイヤーではなく、初めから蒼を狙っていたのだとしたら、どうだろうか。
開いた半透明のゲーム画面にメッセージを打ち込む。頭のなかで文言を考えるだけで、ゲームのチャット入力画面は勝手に相手を指定し、蒼が思う通りのメッセージを入力していく。
〈リナリア、聞きたいことがあるんだけど、今から会える?〉
送信して、待つこと十秒。そのたったの十秒がじれったく思えたが、チャットの返信の待ち時間にしては恐ろしく早い時間だった。
〈『天の川』の下で待っています〉
「このリナリアって誰なの?」
「多分、僕たちになにが起こったのかを知ってる人。姉さん、この人に会いに行こう」
「え、いいの? 動くと危ないんじゃ……」
「彼女が天の川の下へ来いと言うなら、きっとそこは大丈夫なんだと思う」
「天の川の下って随分抽象的な表現だけど、どこ?」
「七月の月間イベントで、七夕っぽいのをやってる場所があるんだ。そこで間違いないと思う」
ゲーム画面でダンジョンや街など他のマップへ移動するときは、それぞれのマップにあるモニュメントへ行き、そこからワープする必要がある。家の前にあるのですぐに移動可能だ。
出かけるための持ち物などもわからないので、この世界へ来たままの姿で外へ出る。
「待って」
前庭を突っ切り門の外へ出ればモニュメントがあってすぐにワープできる。巨大な三日月が地面に突き立ったような謎のオブジェに、天辺から転送石と呼ばれる輝く石がが吊り下がっているのが、モニュメントだ。
モニュメントに手を翳そうとした蒼に、稚葉が直前でストップをかけた。
「この格好で行くの、恥ずかしいんだけど」
蒼は、稚葉のアバター姿を眺める。簡素なタンクトップのような胴着はへそが見える丈で、下は太股の見えるごく短いショートパンツだ(ホットパンツと言うらしい)。露出は高めだが、ゲーム内ならそれくらい露出のある衣装のアバターは珍しくもない。
「チャットを開いた要領で装備変更画面も開けるんじゃないかな。やってみて?」
「やってみてって……こう?」
稚葉が自分の前に手を翳すと、すぐさま半透明のゲーム画面が表示される。「うわっ」と小さく声を上げる稚葉の隣から画面を覗き、蒼はこれとこれとこれ、と装備を画面を指差す。
本来なら頭で思うだけで反映されるはずだが、稚葉は律儀に蒼の指し示す場所に指先で触れていった。
すると、稚葉のアバターの体が燐光のような光に包まれ、一瞬にして衣装が替わる。
シンプルなシャツと革製の暗い赤色をしたベスト、ベストと色味を揃えたスキニーパンツという出で立ちだ。ついでに帽子もお揃いで指定したのは、防御力を考えてのことだった。
自分の姿を見下ろして、稚葉は「かっこいい」と小声で呟いた。
蒼も稚葉と同じように装備変更画面を開く。今まで集めてきた装備品がそのままリストに表示されて、少しテンションが上がった。本当に自分は、現実の冴えない蒼から、ゲームの世界の格好良いアオになったのだ。憧れ続けた、理想の姿に。
蒼がここで目覚めたとき、装備は部屋着のようなシンプルなものになっていたので、ゲームで遊んでいたときと同じ、手持ちのなかでもっとも強い装備を選んだ。
「すごーい! 騎士っぽい!」
細身の鎧姿になった蒼に、稚葉が手を叩きながら言う。
「これで大丈夫?」
「うん、ばっちり!」
ゲームをよく知らない稚葉も、見栄えのする姿になって俄然張り切っているようだった。
「それじゃあ、行こう」
蒼はモニュメントに手を翳す。中空に吊り下がった転送石が輝きを増して周囲を光で包み込み、蒼と稚葉の姿を呑み込んでいった。
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