第5話 線香花火――わたしじゃないわたし
暗闇のなかで、視界がちかちかと瞬く。まるで線香花火のようだと、蒼は思った。
真夏の縁日の帰り、家族で近くの川原に行って花火をした。
当時は線香花火の良さがわからず、もっと派手に噴き出すカラフルな花火を好んだが、姉と一緒に線香花火に火を灯したことは覚えている。
どちらの線香花火がより長く落ちずに輝き続けられるかを競ったのだ。
そのときの結果がどちらの勝ちだったのか、それはまったく覚えていない。
けれど思えばあれば、無邪気に姉と遊んだ最後の思い出ではないだろうか。姉は中学で陸上部に入って学校からの帰りも遅くなり、家にいるときは母に指図されながら炊事をしたり洗濯をしたり、そうでなければ宿題をすると言って部屋に籠もっていた。
母親は、家族思いで優しい姉をとても可愛がっていて、常に傍に置きたがる。勉強だってよくできたから、子供の成績を気にする父親にも気に入られていただろう。
二親が揃って姉を見ているから、蒼はほとんど彼らの視界に入っていなかったと思う。実際、成績は学年でも真ん中くらいで、陸上をやっている姉と比べて運動面もどんくさく、目立つところは一つもなかった。
中学へ上がるときに、パソコンとPCゲームを親にねだったときにすんなり与えられたのは、それさえ与えておけば蒼にかける無駄な手間を省くことができると考えたからだろう。その時間を、大事な娘のほうへ傾けることができるから。
ゲームに没頭する時間が増えたのは、そうした現実に味気なさを感じていたからに違いない。そうやって考えても無駄なことをぐるぐると悩んでいるうちに、現実での人間関係の築き方もわからなくなってしまった。
ゲームの世界が自分の本当の居場所であれば良いのにと思うようになったのは、そんなかかでのことだ。
けれどそれは、例えば宝くじで一億円が当たればいいのにとか、そういったたぐいの、叶わないことが大前提の他愛のない願いごとだったはず。
そう、これは現実には起こりえないこと。
そのはずだった。
瞼の裏側で、いつかの線香花火がぱちりと弾けて、蒼は目を覚ました。
最初の違和感は、光だった。いつも見ているはずのLEDの眩しい白色照明ではない、少し薄暗く感じるくらいの自然光が目に飛び込んできた。
そして、部屋の白い壁紙ではない、木板で覆われた天井。手を上げて光に慣れない目元を庇おうとして、それが中学生男子の手ではないことに気が付く。もっと大きくてかさついていて、腕は細いながらしっかりと筋肉が付いている。
なんだ、これは。
寝起きで混乱する頭を巡らせながら、上体を起こす。体にかかった薄いかけ布を剥がすと、粗く素朴な生地から成る服を着ていて、当然、こんな服を持っていた記憶はない。それに、小柄な蒼のものではない大きな体。
目覚めた場所を見渡して、頭の片隅に浮かんだ憶測が確信に変わった。
そのとき、部屋の外から「きゃー!」という金切り声が飛んできた。蒼はベッドから飛び降りると、足元に転がっていたスニーカーのような靴に足を突っ込んで部屋を出た。慣れない手足のリーチに戸惑うが、体のほうが優れた運動能力を持っているらしく、蒼のたどたどしい動きを瞬時に補正してくれる。
部屋を出ると、リビングとキッチンが一体になった広い部屋がある。蒼の記憶が正しければ、この家にはもう一室、個室があるので悲鳴の主はそこにいるのだろう。
広間を通り過ぎて個室の扉を開けると、見知らぬ女性が床に尻餅をついたような姿勢で奮えていた。
「ひぃっ! 誰!?」
二十歳前後のように見える西洋人風の姿をした女の人だった。
蒼を見た女の人の顔が、驚愕と恐怖で歪み、目の端からは涙が溢れる。
この驚きようはもしかして自分と同じかもしれないと思い、蒼は彼女に向かって言った。
「僕だよ、蒼だよ、姉さん」
「へ?」
後ずさろうとしていた女性の動きが止まり、目を見開いて蒼の顔を見上げてくる。自分の知る弟とはまったく違う外見をした男の言葉を信じるか信じまいか考えているようにも見える。
「本当に蒼? 木島蒼?」
「そうだよ。あなたは僕の姉さんでしょう? 名前は木島稚葉」
蒼の言葉に、稚葉は全身の力を抜いて地面にぺたりと座り込んだ。
「ねえ、どうなってるの? ここはどこ? それに、わたしも蒼も見た目がまったく知らない人に変わっちゃってる」
蒼は少なくとも、自分の姿がなんなのかを知っていた。しかし、姉の姿に該当する人物には見覚えがない。彼女は恐らく蒼と違って、この世界に新しく「誕生」したのだろう。
「多分だけど……」
蒼には己の身に起こったことにある程度の確信がある。けれど、それを言って良いものか言い淀むほどには、それは荒唐無稽な考えだった。
「信じられないだろうけど……」
こんなことを言って、姉は信じないかもしれない。馬鹿なことを言うなと蒼を責めるかもしれないし、おまえのせいだとなじるかもしれない。だが、言わないことには始まらない。
「ここは、ゲームのなかの世界だ」
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