第3話 謎――初心者の魔法使い

 アオがシュウと共にやって来たのは、初心者向けのダンジョンだった。レベル的にはアオたちには物足りない場所なのだが、周回してアイテムを集めるのに最適なので中級、上級者も頻繁に見かける。

 しかし、やはり圧倒的に初心者が多い。ダンジョンの入り口では「一緒にダンジョン攻略しませんか?」とコメントを浮かべて佇んでいる初心者もよく見かける。

 時間があればメンバー募集に応じたりもするが、今日は一時間の時間制限付きなので、アオとシュウ二人だけで先へ進むことにする。

 ところが、ダンジョンへ入ろうかというところで、アオに対して直接チャットが送られてきた。

〈すみません、ご一緒しても良いですか?〉

 表示された文言の横に、見知らぬ名前が表示される。

〈わたし、リナリアといいます。始めたばかりなんですが、ご迷惑でなければ……〉

 このゲームで、募集もしていないまったくの他人をいきなりチャットを送って冒険に誘うことはほとんどない。誘われても応じないことがほとんどだ。しかし、そうした暗黙の了解を知らない初心者が稀に見知らぬ相手にチャットを直接送ってくる。

「シュウ、なんか初心者が俺に直接声かけてきてるんだけど」

 音声のやり取りは、ゲーム上ではなく別なアプリを使っているので誰かに聞かれたりすることはない。ゲーム上ではあくまでも文字だけのやり取りだ。

『今のアオのアバターかっこいいからなぁ、ナンパか? どうする、アオ?』

「うーん」

 このリナリアという人物を無視をしてもまったく問題はない。というより、無視をしたほうが相手のためだとも思う。チャットを送っても反応がないのだと知れば、よそへ行くだろう。メンバー募集をかけている初心者はたくさんいるのだし、彼らの募集に応じて、初心者同士で親睦を深めるのがゲームに馴染むのに一番良い。

『せっかくだし、今回だけ一緒に回ってやろうか?』

 しかし、シュウはアオにそう持ちかけてきた。

「なんで? めんどくさくない?」

『別に初心者一人連れてたって一時間あれば回れるし、確かパーティーメンバー多いほうがレアアイテム出やすかったはずだし、別にいいんじゃね?』

「……わかった」

 本当は知らない人物を招くのは嫌だったが、シュウの言い分に反論している時間も惜しい。アオはチャットに返信すべくキーボードを叩いた。

〈初めまして、リナリア。一緒に行きましょう。僕らのパーティーに招待します〉

 チャットを送り、リアリアをパーティーに招くためコントローラーを操作する。こちらかの招待にリナリアが応じて、メンバーの一覧に名前とステータスが表示された。

 クラスは魔法使い。本当に始めたばかりらしく、レベル1でステータスも初期値だ。

〈ありがとうございます! よろしくお願いします!〉

 人混みのなかから、メンバーの位置を示す矢印アイコンが表示され、それを頭にくっつけた魔法使い姿の女性アバターが駆け足で近づいていた。

 黒のとんがり帽子に黒のローブという魔法使いの初期装備で、アバターの見た目は少女。赤に近いオレンジ色の髪を三つ編みお下げにしていて、頭の横には耳の代わりに牛の角のような曲がりくねった短い角を一対生やしている。唯一、初期装備でないのは丸眼鏡で、三つ編みお下げと合わせて優等生を演出しているようだった。

〈初めまして。俺はシュウ。タンク役だ。よろしく〉

 シュウも交えて改めて挨拶し、今度こそダンジョンへ向かう。

 初心者でもチュートリアルは一通り終えているはずなので、初心者ダンジョンくらいならいちいちアドバイスをしなくても攻略できる。

 本当なら音声通話を繋いで逐一意思疎通をしたほうがやりやすいのだが、初対面で音声のやり取りはしないようにしている。音声はテキストでのやり取りよりも個人情報が漏れやすい。ある程度、お互いのことを信用できるまではテキストだけのほうが気が楽だ。

 リナリアがゲームの操作に慣れやすいように、アオとシュウが援護して、リナリアが敵を倒す作戦で三人はダンジョンを進んでいく。

 初めはどんな動きをするのにも戸惑うようなタイムラグのあったリナリアだが、最奥のボスがいるエリアに辿り着く頃には、一連の操作にすっかり慣れたようだった。

 ボスも、初期レベルでのクリアが困難な程度なので、アオとシュウがいればまず負けることはない。防御力に優れたタンク役のシュウが敵の攻撃を受け、その後ろからリナリアが初級の炎の魔法を連打する。攻撃役のアオが不用意に攻撃してしまうと、いかなボスといえど一撃で倒してしまう可能性があったので、アオは時折回復アイテムを投げるくらいで、ほとんど静観していた。

〈ありがとうございました! アオさん、シュウさん〉

 ボスを倒してドロップアイテムを手に入れ、リナリアのアバターは笑顔を浮かべ丁寧にお辞儀をした。

〈わたし、この世界が好きになれそうです〉

 「このゲーム」ではなく「この世界」か。アオの口元が思わずにやける。もしかしたら、彼女も現実を倦んでいて、現実ではないどこかへ没入したい人種なのかもしれない。

 リナリアは最後に手を振って、パーティーから離脱していった。

『ちょうど一時間か。そんじゃ、俺も行くわ』

 ダンジョンから出たところで、シュウもそう言ってアオの前から姿を消す。同時に通話も切られた。

 さて、一時間の期限を決めたが、アオにはこの後の予定があるわけではない。恐らく現実では、階下で夕食の時間が始まっているだろうが、そこに参加する気もなかった。どうせあとで誰かが部屋の前まで残り物を届けてくれる。

 現実のことを考えても、気が重くなるばかりでなにも楽しくない。ゲームのなかのほうが、戦士なり魔法使いなり、パーティーのなかで役割が明確に決まっていて、自分の存在意義が感じられる気がする。

 どうして現実は、蒼に役割を与えてくれないのだろうか。

「……いっそ、ゲームが現実になっちゃえばいいのにな」

 そう呟いたとき、二つのことが同時に起こった。

 まずは、耳元で短いアラートが鳴って、チャットの画面に新たなメッセージが表示された。発言主は、先ほど別れたばかりのリナリア。

〈それがあなたの願いなら、叶えてあげようか?〉

「え?」

 そして二つ目は、現実の蒼の背後から。

「蒼、たまには顔出しなさいってお母さんが……。蒼?」

 普段は絶対誰も開かない部屋の扉を開けて、姉の稚葉が踏み込んで来た。咄嗟に振り返って見たその顔が、驚愕の色を浮かべる。

 久しぶりに相見える姉。彼女の目がなにを見て見開かれたのか、蒼にはわからなかった。

 立ち竦む稚葉の顔を見上げたまま、蒼は動けなかった。体がまるで言うことを聞かなかったからだ。耳を突如として耳鳴りが襲い、体が浮くような感覚が続く。三半規管が狂わされて視界がぐるぐると回り、ちかちかと光が飛ぶ錯覚の果てに、すべての感覚が暗転した。

 その暗闇のなかで、オレンジ色の髪の少女が、淡い青色をした瞳を瞬かせるのが見えた気がした。

 闇に同化する黒色のローブと帽子、それらと対比するように白い肌。

 その謎の少女は、口元だけでうっすらと笑う。

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