Day2 金魚
昼間でも薄暗い店内は、まるで水の中に迷い込んだような錯覚を与えた。けれど水の中と違って息ができる。壁面と部屋の中央に置かれた棚の中にずらりと並ぶ水槽には、色とりどりの魚が泳いでいた。ミツキは同じ水槽の中を飽きもせずゆらゆら泳ぎ続ける魚を見るのが好きで、ちょくちょくこの店を訪れていた。
自動ドアの音は聞こえただろうに、店の奥にいる店主は返事もせず、小さな音で流れているラジオの声に耳を傾けたままだった。気難しげな老人で、禿げあがった頭に辛うじて残った産毛のような白髪を撫で付けながら、新聞か雑誌のようなものに赤鉛筆で時折何か書き込んでいる。ミツキはそんな店主にお構いなしに、お気に入りの出目金の水槽の前にしゃがみ込んだ。
低い位置に置かれた大きな水槽の中には、黒い大きな出目金が一匹だけ泳いでいた。数日前には別のやや小さな出目金も何匹か泳いでいたが、今日はもうそれらはいない。一番大きな個体はどうやら売れ残ったらしい。確かに尾びれや背びれにはいくつか傷のような切れ込みがあったし、なんとなくそれなりに歳を食っていそうなふてぶてしい顔をしている。出目金にしおらしさを求めるのかと聞かれると謎ではあるが。
黒い出目金は、ミツキが近寄ったのを認めるとぱくぱくと口を開閉させた。エサを寄越せということか。ミツキは一旦立ち上がり、店主のいる奥へ向かう。会計をするカウンターには、エサの入ったボトルが置かれている。ミツキが金魚のエサとラベルに書かれたボトルを手に取り、ジャラジャラと音を立てて振って見せると、店主はちらと紙面から目を離し無言で頷いた。エサをやって良いということだ。
ミツキが黒い出目金の水槽の上に手を差し入れて、小さなペレット状のエサをぱらぱらとまくと、黒い出目金は口をぱかりと大きく開けて、一気にふたつもみっつも飲み込んだ。水面が一瞬へこむ勢いの、いい食べっぷりだ。水面に広がったエサを一粒残さずあっという間に食べてしまうと、満足したかのように水中にゆらゆらと戻っていく。ミツキも満足した。餌の入ったボトルをカウンターの上に戻す。店主はもはやこちらを一瞥すらしない。通りしなに黒い出目金に手を振って、ミツキは店を出た。次に来る時、あの出目金はまだ売れ残っているだろうか。
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