第4話 学級委員は檸檬(ばくだん)を止められるか?
得体の知れない不吉な塊が港青人の心を終始押さえつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか――それとも、
「あの反抗期め」
苛立ちか。
「何が"委員長らしく学校で勉強してれば?" だ。部屋に閉じこもって音声チャットしてるだけのくせに、休日の朝っぱらから俺を追い出す事ないだろ」
青人にとって実の妹は実に面倒な存在だった。別段嫌いとかではないのだが、何かにつけて遠ざけるような態度が増え、時に理不尽な扱いを受けるのが、どうしようもなく不満で――不愉快で――どことなく不安で、彼を悩ませている。
だから一過性の苛立ちをきっかけに外に出たものの、妹の言うような行為は到底出来る気がしない。
となると。
「……本屋でも行くか」
腐っても学級委員。ここで「ゲーセンにでも行くか」とならないのが港青人の性分であった。
彼自身大して読書好きではないが、適当に色々な本を眺めるのはストレスのはけ口になる気がして、今日のような休日にはやる事も多い。
行きつけの書店は自宅から少しばかり離れた駅ビルにある。青人は朝の苛立ちを自転車のペダルに乗せ、細々とした車道を縫って休日を開始させた。
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到着した駅ビルには既に賑わいの色合いがあったが、3Fの書店の方は開店時間を数時間超えても閑散としている。
(この時期はクーラーが心地良いな)
近頃余計にこの時期の気温は高くなり、湿気と同居して人々を苦しめる。数週間後の真夏は実に恐ろしい。額の汗を拭う。
なるほど、これは南京玉を口に入れて爽やかを感ずる大正男児の気分も分からなくもない。どうだ近場の果物屋でレモンイエロウの果実でも買って、色褪せた丸善(駅ビル)に芸術的な宣戦布告を……などと授業で習った昔の文学を思い浮かべながら、目に着いた本を手に取っては戻し、手に取っては戻しを繰り返す青人。
(あんまり変わりばえしないな……こっちの新設のコーナーも、ファッションやらアニメやらスポーツやら……あとはvTuber系とか)
自分はじじ臭く大正文学に想い馳せてるのに、結局はこういうのが殆ど消費されるのが事実で、何となく寂しくなる。書店は世間を色濃く出すもの。あまり流行りものに興味のない自分は明らかにマイノリティ。置いてきぼり……まあ、毛嫌いしてる訳でもないので、手に取りたくないとかではない。
ひとまずV世界の雑誌を見てみた。
(プロダクション別、登録者数比較……配信者の日常を映画化……スマホ一台で手軽に配信。あなたも憧れのVの世界へ……はぁ、わからん)
が、そこに掲載されている諸々に全く興味が持てずにすぐに戻した。
(うちの学校にも、これ系の活動をする部活があるが、正直理解できないんだよな。中には有名配信者になった生徒もいるみたいだが……引きこもりとかにならないよな?)
お父さん的な心配をしつつ、数十分あれこれ見た青人は、どうせ昼食も家で安心して取らせもらえないしと、駅ビル内のファミレスに向かう事にする。
休日というのもあって、やれ友達やらカップルやらが歩き回ってるのに辟易しながら、上階用のエスカレータに乗る。ファミレスは6F。7Fはクリニックで、その上が屋上となる。
(昔はあんな妹でも、ここの屋上にある遊び場と一緒に来てたのにな。改装したのを皮切りに全然行かなくなったのが懐かしい)
感慨に耽り、ふと、年甲斐もなく、反抗的な妹に、一つ思う青人。
それは本音でもなく、建前でもなく、誰にも聞かれる筈のない、ただの独り言だ。
『今後来てみるか、2人で、ここに』
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(今日は、ついに居住区の境界を責める……ようやくだ)
一方、土曜の朝から、とあるビルの屋上にて街を見渡しその薄い色の髪を揺らす姿は、磯子瀬谷子のものであった。
(この一手が今後の神奈川制圧の計画にかなり関わる。失敗はしたくない)
(手下も私の一撃を合図に一斉に飛び出せる配置にした……学校からはまだ少し離れてる位置だけど、居住区である事は変わらない。やるなら、今日)
作り物めいた幼げな美貌は、段々と濃い色の色彩を纏い始め、体の周辺には黒々とした膜(オーラ)が宿る。
人間から悪鬼へ、瀬谷子はその姿を"本物"に変え、晴天に巨悪の霹靂をもたらさんと、息を吸う。
今、ここから先は絶望――
『主様、少しよろしいですか』
と、ここで手下から通信(テレパス)。
(タイミング悪……)
せっかく気分が盛り上がってきたところなのに、無駄な力を使わせるな、と内心毒づく瀬谷子。
「なに?」
『一つ、異能者の膜を確認しました。こちらへ向かってあるようです』
「異能者? この地区には居なかった筈だけど」
街を見下ろし、瀬谷子はその異分子を探す。しかし、こちらが気付く程の違和感は見当たらない。
『かなり弱い膜のようです。力としては攻撃性は低いと思われますが、そちらの方角に向かっておりましたので』
「ふうん、三下の異能者なんて相手じゃないけど、一応念写(スクリーン)だけしとけば。仲間呼ぶための捨て駒かも知れないし」
『御意』
手下からの通信を切って、再び悪鬼の力を強くする瀬谷子。漲る悪の血潮が、彼女の本能を血生臭いものに豹変させる。
さあ、今度こそ絶望を――
と、
『今後来てみるか、2人で、ここに』
「え!?」
やたら情の篭った"声"が飛んで来て、思わず人間の姿に戻ってしまう瀬谷子。
どうやら、受信したのは、彼の声。
つまるところ、手下の言ってた弱い異能の膜とは――
『主様、異能者の距離が近づいています。至急こちらで取り押さえ』
「ス、ストップ。とりあえずストップ」
『え? あ、はい、承知しました』
(な、なんでー……タイミング悪い……本当に悪い……)
日差しの強さとは別に汗が吹き出る瀬谷子。予想外のパターンに弱いタイプではないが、相手が顔見知りとなれば別である。
(どうしよう、私が悪鬼である事がバレる以前に、知ってる顔がいるの、めっちゃやりにくい……)
(確かにこのビルには人が沢山来るけど、今日に限っては来なくていいのに……)
さっきまでの威勢はどこへやら、もにょもにょしながら屋上を歩き回る瀬谷子に、手下たちも困惑の様子。
彼が自分の思惑に勘付いてここに来たとは思えない。仮にそうだったとしても、独り身で来るなんておかし過ぎる。彼は元異能者。戦える力は無いのだ。
なら、なんでここに来た――それを紐解く答えは、先の彼の"声"ある。
――今後来てみるか、2人で、ここに
(はあー! 分かった! 今日はデートの下調べなんだ!)
(色々なデートコースの候補から、重すぎずかつ軽すぎないところを自分の足で見てたのね……! そっかそっか!)
核心()に辿り着いたおめでたい頭の瀬谷子は、見事なまでに事実を捻じ曲げつつも、彼がここに来た理由を探し始めた。
(いや、まって。まだデートとは限らない。それに今の時点でじゃその相手だって分からない……)
(でも同性の友達にここまでの事は考えないから、相手は異性。うん)
(で、彼と少なくとも面識のある女子……クラスメイト……他クラスの学級委員……過去の顔見知り……)
(結構いる……!)
当たり前の事実をさも推理した感じで呟いてみたが、別に青人に会えるのかも、とかそんな乙女脳になってテンションが上がってる訳でないのを理解してほしい。
(え、え、誰。誰とここにデートしに来るつもり……)
(はっ、まさかと思うけど、彼、私のほうれん草アタックに気付いたんじゃ)
(そ、そうだよ……! だってあれは昨日で、これは今日――実は脈ありだったんだ!)
何も「実は」でないし、「脈あり」の事実もこじつけ甚だしいが、この結論はなかやかに瀬谷子に影響を及ぼした。
何故なら、今ここで襲撃したら、デートコースである駅ビルが立ち入れなくなってしまう訳で、デートに行けなくなる。
それは困る。よく分からないけど、デート行けないのはすっごく困る。
(安心感とか)
だから、彼女の出した答えは、これだ。
「今日はやめ。解散」
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人知れず駅ビルを守った当の本人は、屋上の攻防なんてつゆ知らず、カップルに囲まれながら1人エスカレータで6Fに到着していた。
昼前の時間帯、残念ながら列が出来ていて直ぐに入れ無さそうな雰囲気。
内心舌打ちをして、仕方なく列の後ろの方で待機する青人。こうなるんだったら、誰か誘えば良かったなんて思いつつ、途中で列から抜けるのも億劫なので、何となく吹き抜けになっている屋上の方を見ながら、順番を待った。
その時、最上階の踊り場に見知った顔が見えた。
(磯子、か?)
(いや、なんでそこに)
近くの張り紙を見る。「改装工事のため、屋上への侵入禁止」。ふむ、もしや気付かずに昇ったのか?
そう思った矢先、彼の元に"声"が飛んで来た。
『やば、見られた……』
(見られた……? なんかやばい事でもしてたのか……?)
(まさかあいつ、こんなところで――!)
テレパスのせいで事実に気付いてしまった青人。これはまずい。いくら観察対象とは言え、いざ襲撃をここでおっ始められては意味が無い。
なんとか、なんとか阻止するんだ!
走り出した青人。その様子に驚く瀬谷子。
「させるかよ……!」
人混みを掻き分け昇りのエスカレータを青人は駆け出した。
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(え、え、え、ええ!)
一方、こっちは既に襲撃断念した本人。
なんかもう、一瞬だけ青人の姿を確認しただけなのに、こっちに走って来ている。
(なんでちょっと見たかっただけなのに、目が合った瞬間こっちへ……!)
(ど、どうしよう……! 脈ありにしては行動が熱烈過ぎ……! ま、まだ心の準備が!)
途端に煩悩が混じったのは置いといて、反射的に身体が逃げてしまう瀬谷子。さっき青人を三下呼ばわりしといて、完全に負け腰である。
(とにかく、今はダメー……!)
焦りから転びそうになりながら、踊り場を降りて、男性トイレの壁看板にぶつかりながら、瀬谷子は最寄りの施設に逃げ込んだ。
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そこで青人は気付いた。
彼女は駅ビル襲撃を行おうとなんてしてなかった事に。単にこのビルには、用事があって来ていた事に。
何故なら今彼女が逃げ込んだその施設は――とあるクリニックだったから。
(な、なんだ、そういうオチか……)
(そりゃそうだよな、こんなとこに通ってるの、顔見知りに見られたら焦るよな……)
(そもそも屋上侵入禁止なんだし、この階に来る理由なんて、"これ"だけだよな)
昇り切ったエスカレータの前で青人は肩で息をしながら、バツが悪いのを誤魔化すために、男性トイレへと入っていった。
――肛門科クリニックを尻目にして
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(な、なんだ、彼ったら、トイレ急いでただけか)
尻だけに。
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