エピローグ

 夢を見ていました。

 

 大きな桜の木の下で、私は一人で膝を抱えています。父と母を待っているのですが、いくら待っても来る様子はありません。

 

 それでも、私は待ち続けます。だって、私にはここにいることしかできないから。ここで、うずくまっている事しかできないから。

 

 この場所以外で、私を受け入れてくれるところなんてないのです。

 

 私は思い出にすがり、優しさだけを求め、傷つくことのない日々だけを祈り続けます。

 だから、私がここから歩き出すことなんてあり得ないのでしょう。この素敵な大きな桜を見ながら、ただ平穏に……


       "寂しい"


 ……ああ、またこの余計な感情が私の邪魔をします。こんなものがなければ、私は穏やかに生きていけるのに。


 無視をしましょう。嘘をつきましょう。誤魔化しましょう。希望を捨てましょう。


 しかし、どんな手段を用いても、私の両目から溢れる涙は止まる様子がありません。

 それでも動き出せず、俯きながら泣き続ける私に誰かが声をかけました。


 "ほら、とっとと行くぞ"


 そう言いながら、その声の主は私の手を握りどんどんと進んでいきます。

 

 誰でしょうか。男の人のようですが、父ではないようです。

 記憶をたどりますが、こんなぶっきらぼうな大人の男性なんて私の身の回りにはいません。

 

 その人は戸惑う私の手を引きながら、迷いなく歩き続けます。

 

 あんなにもこの場から離れることを恐れていた私は、なぜかその強引な手を拒むことができませんでした。

 それどころか、私はその手を力強く握り返していたのです。

 

 離したくない、この温もりをずっと感じていたい。胸が高揚し、万能感に満ち、私の全てを伝えたくなるような。

 この感情はきっと……


"なんで……?"

"言っただろうが。俺が前向かせてやる"


 気づくと私は、世界の境界線にいました。

 この一歩を踏み出してしまったら、きっともうここには戻れない。

 

 そして、この先にある世界はまたどうしようもなく私を傷つけるかもしれない。

 恐怖に囚われ、私は前を向けず顔を俯かせました。


"ほらっ、根性みせろ"


 その男の人は、そんな私の頭を荒めにぐしゃぐしゃと撫でて、また私の心を動かします。

 


 私はずっと待っていたのでしょう。

 どうしようもなくダメな私を受け止めてくれる優しさを。

 向き合うことの大切さを教えてくれる厳しさを。

 ここから連れ出してくれる誰かを。



 でも、いつまでも甘えてはいられません。

 私はあなたに認められたい。あなたの横を歩きたい。あなたの手を引きたい。



  あなたに愛されたい。

 


 これは、私の選択。私の決断。

 

 もう、逃げないから。過去にすがることも、未来から目を逸らすことも、いい加減にやめにします。



 だからこの一歩は、

 この一歩だけはあなたと……






 


 

◇◇◇









 四畳ほどの薄暗い部屋で、私は目を覚ましました。

 中々開いてくれない瞼をこすりながら、私は記憶を辿ります。


「……秋人さん?」


 記憶の整理がつくと共に、私は必死に辺りを見回します。しかし、私以外の人の気配がしません。

 

 私はすぐに立ち上がり、出口らしき戸を開き

ました。そこに広がる景色は、見慣れた神社の境内です。

 シンとした静けさも変わらず、木々の狭間から漏れる風の音だけが響いてきました。


 私の頭にあらゆる可能性が巡ります。


 まだあっちの世界から戻っていない? それとも、私を置いてもう行ってしまった?

 ……ただの夢?



 とりあえず言えることは一つ。あなたがいません。

 覚悟を決めた初っ端から、なんとも過酷な試練を与えてくれたものです。

 私の両目から堪えきれずに涙が溢れてきます。


「嘘つき……秋人さんのアホマヌケ……バカ……バカバカバカバカ……!」

「だーれが、バカだ。あんま調子のんな」


 後ろから小突かれると共に、聞き慣れた愛想のない声が私を包みました。

 頭をおさえながらも、私は急いで振り返ります。


「……秋人さん?」

「やっと起きたか。ったく、いつまで寝てんだよ」

「本物……?」


私は秋人さんのほっぺたをつねりますが、同時にまたもや頭を小突かれました。


「偽物がいてたまるか。身体なんともねえなら、さっさと行くぞ」

「……今までどこに?」

「鞄探してたんだよ。あん中にタバコも貴重品も、何より大事な書類が入ってんのに見つかりゃしねえ。あれを失くしたことがどんだけヤバいかわか……」


 ろくに話など聞かず、気がつくと私は秋人さんの胸に抱きついていました。

 

 こんなに幸せでいいのでしょうか。

 

 愛おしい人がただ目の前に存在しているだけでこんなにも世界が変わるのだとしたら、私が今まで抱えてきたものがとんでもなくちっぽけだったのではないかと思えてしまいます。

 

「……なんだよ、いきなり。お前は彼女か」

「彼女じゃないです。でも、その内彼女になります。見てて下さい」

「……まあ、その調子なら大丈夫そうだな。ほら、行く――」

「秋人さん、ストップ!」


 私は秋人さんから離れ、一つ大きく深呼吸します。

 

「なんだよ?」

「この世界では手をひいて欲しくないんです。私が選んだから、私の意志で歩きます」


 私は空を見上げました。


 こんなちっぽけな自分が、この世界でこの先どんな風に転がっていくのでしょうか。

 行きつく先がどこであれ、待ち受けるものが何であれ、私は歩き出すことを決めたのです。


 あなたの隣を歩けるように。


「行きましょう、秋人さん」






◇◇◇


次回、後日談にて最終話となります。

読んでくださった皆様に心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます。

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