第28話 桜の約束

「ほら、いつまでも甘えてんな」



 自分の中の全てを涙と共に流し終え、落ち着きを取り戻した様子の美桜をみて、秋人はもたれかかっていた美桜を突き放すように自分の足で立たせた。


 そんな秋人に対して顔をあげ、ぐしゃぐしゃに泣き潰れた後の子供のような顔で、美桜はあまりにも無防備に笑った。


 その顔を見て、秋人は調子が狂った様子で、無愛想に話す。



「ったく、こんな面倒に巻き込んでくれたことに対してこれから責め立ててやろうと思ってたのに、シラけちまったじゃねえか」

「でも、秋人さんも私に対して大分ひどいことしようとしてましたよね! もし、そのまま事が進んでたら私と母は路頭に迷う事になっていたかもしれません。ある意味おあいこですね、悪党の秋人さん?」



 そう笑いかける美桜に対し、秋人は気まずそうに軽く目を逸らした。



「あはは、そこで負い目を感じちゃうあたり秋人さんはもう悪人に向いてないんですよ」

「うるせえな、急に図太く開き直ってんじゃねえよ」



 ニマニマと自分に笑い続ける美桜に対しやりづらさを感じ、秋人は目をそらしながら話を変える。



「元の世界に帰れるってんなら俺はさっさと帰るぞ。美桜はどうすんだ? このままここにいんのか?」

「あら、だいぶ意地悪な質問をするんですね。こんな風に私をたぶらかしておいて……私が秋人さんのいない世界を望むと思うのですか?」

「別にたぶらかしてねえだろうが」



 完全にペースを握られた秋人は明らかに顔に出して不貞腐れるが、そんな顔も愛おしいと言わんばかりに美桜は秋人を見つめる。



「秋人さん、告白してもよいですか?」



 少し頬を染めながらも、美桜は目をキラキラと輝かせていた。完璧に乙女モードに入っていることを察した秋人は、顔をしかめる。



「別にいいけど、失恋するだけだぞ」

「そんなバッサリ切らなくてもいいじゃないですか……」



 むくれ顔を作りながらも若干ショックを受けている美桜に対して、秋人は無愛想に諭していく。


「俺を選ぶっていうなら全人類の中から選べ。こんな世界で受けとった好意なんか、薄っぺらくて考えるまでもねえ」

「……じゃあ、あっちの世界に戻ってから気持ちを伝えたら、応えてくれるんですか?」

「俺だって選ぶ権利があんだよ。選んで欲しいなら、いい女になれ。嘘つき陰湿メンヘラ女を脱却したら、俺も全人類の中から美桜のこと特別にしてやんよ」



 秋人の言葉に"プッ"と、美桜は吹き出す。



「本当に秋人さんは、人をのせるのが上手ですよね。……いいんですか? 女子高生に好意を向けられることなんかこの先ないかもしれませんよ? 私が心変わりしてから、泣いても遅いですからね?」

「調子のんな。そもそも、ロリコン趣味なんかねえんだよ」



 そう言い放つ秋人に対し、少しムッとした顔を向けたものの、いまだに目を合わせようとしない様子をみて軽く息を吐きながら美桜は表情を緩めた。



「すいませーん、秋人さんお帰りのようです。ついでに、私も帰りますー」



 美桜が空へ向かって大きく呼びかける。


 その言葉と同時に、白く包まれていた世界の壁が異音と共に少しずつ少しずつ剥がれ始め、塵のようになりながら消えていく。


 この世界の崩壊が始まったことは、美桜の言葉を受けいれたことを示していた。



「なんだ。やっぱり、ちゃんと聞こえてたんですね」



 表情を変えず自分達のいる空間が段々と壊れていくのを見つめる美桜に対し、秋人は明らかに狼狽える。


「おい……。これ大丈夫か?」

「んー、大丈夫だとは思いますよ。私、あの娘のことは割と信用していますし」

「世界壊す前に、先に帰してくれねえかな……。順番逆だろうが……」



 秋人はブツブツと文句を言いつつ、周辺を歩き始める。そんな秋人をじっと見つめた後、チョコチョコとそばに駆け寄り美桜は秋人の手をとった。



「……なにしてんだよ?」

「不安なら手を握ってあげようかと思いまして。あと、一つお願いがあるんです」

「頼み事をついでみたいに言うんじゃねえよ」

「本命はこっちの方ですよ? かくいう私も、怖くて仕方がないので」



 そう言いつつ美桜が見つめた視線の先には、がっちりと繋がった手があった。秋人は繋がった手から温もりと同時に、僅かな震えを感じた。


 平常心を装っていた顔をもう一度よく見つめてみると、若干冷や汗のようなものも浮かんでいる。その様子を見て、美桜が抱えている元の世界への根深い感情を秋人は察した。



「……じゃあ、その"ついで"の方の頼み事はなんだよ?」

「あっちに戻ったら、一緒に桜を見に行って欲しいんです」

「桜? お花見シーズンはとっくに過ぎてんぞ」



 すでに五月を迎え、とうに花びら等散り果てた時期には似合わない発言に秋人は難色を示す。しかし、美桜は首を横にふりながら答える。



「花は見れなくてもいいんです。ただ、なんというか……すごい大切な場所なんですけど、ずっと行けてなくて。でも、そこに行かないと私ちゃんと踏み出せない気がするんです。一つの区切りというか。だから……」

「わかったよ」

「……あれ? いいんですか?」



 思っていたよりもすんなりと承諾されたことに、美桜は戸惑いつつ確認する。


「なんでだよ。桜見に行くだけだろ?」

「いや、そうなんですけど。秋人さんひねくれてるから、またあーだこーだ言われるかと思ってました」

「……行かねえぞ?」

「ダメです、男に二言はありませんよ。一度した約束は守って下さい」



 そう笑いながら、美桜は握っていた手をゆっくりと離した。大きな一仕事を終えた後かのように、大きく背を伸ばしほっと息を吐いた。


 そのまま秋人に背を向け、少しずつ崩壊していくこの世界を透き通った目で見渡す。剥がれ、塵となっていくものを美桜は優しく撫で、「じゃあね……」と小さく呟いた。



「あ、そういえば秋人さん。もう一つだけ、ついでにいいですか?」



 美桜はふと思い出したかのように振り返り、秋人に尋ねる。


「あ? どんだけついでがあるん――」

「大好きですよ」



 満面の笑みを浮かべながらそう言い放ち、煙のように美桜はフッと姿を消した。



「……あの野郎、言い逃げしやがって」




 目の前で姿を消したことに一瞬戸惑ったものの、先に元の世界に戻ったのだと秋人は理解する。


 最後まで美桜のペースで話を進められたことは気に食わなかったものの、一つの区切りに晴れやかな表情を浮かべつつ、秋人も大きく背を伸ばした。


 あとは自分も元の世界に送られる時を待ち、地べたに座りこみ考える。

 美桜との関係性も含め坂崎達になんと説明しようか。そもそも自分が失踪していた間どのように捉えられていたのか。信じられないようなこの出来事をどう伝えるか。



 小難しく考え始めたところで、秋人は思考を止める。


「まあ、いいや……。タバコ吸いながらゆっくり考えるか。とりあえず早く帰って――」



 そう言い終える前に、秋人はあることに気づく。美桜が消えた後、すぐにでも自分にも訪れると思っていた現象が待てども待てども起きやしない。


 額から嫌な汗が流れ落ち始めた。


「……あれ?」


 崩壊する世界に1人、秋人は取り残された。





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