第二章 ゴリラと山田と着物の少女

第9話 濡れたゴリラ

 田舎臭い町にしては人通りが多く、賑わいを見せているこの町唯一の繁華街の中、ある大柄の男がビショ濡れのまま歩いていた。

 2メートル近くある身長に、プロレスラー顔負けの屈強な筋肉を纏っている。

 顎には無精髭を生やしており、少し吊り上がった瞳の奥には、他生物を萎縮させてしまう様な眼光を備えていた。 

 一際目を引くその出立ちの男が全身を濡らしたまま街を歩けば、すれ違う人々は一度は振り返り何事かと驚愕するも、"関わってはいけない"と本能で察知し歩みを早める。


 しかし、ある親子がその男とすれ違う。

 母親は目を合わせまいと必死に俯きながら歩くが、幼女はキョトンとした目でその男を見つめている。


「ママ! なんでこのゴリラさんビショビショなの?」


 幼女は大男に指をさしながら無邪気に大声で発言をした。母親は一気に血の気が引き、顔が真っ青になる。


「う、うちの娘が! とんだ失礼を……」


 すぐ様謝罪を述べようとするが、男はギロリとその親子を見下ろしながら睨みつけた。

 その眼光に、母親は身動きがとれなくなる。


 一部始終を見ていた通りすがりの男達は足を震わせながらも身構え、いつでも飛び出せるように準備をし、下校中の女子高生はすぐにでも通報が出来るよう半泣きのまま携帯を手に取った。


 そんな張り詰めた緊張感など知る由もない幼女は、「雨も降ってないのに、おかしなゴリラだねえ!」とケラケラ笑う。


 母親は"終わった……"と、膝から崩れ落ち、男共は命を落とす覚悟を決め歩みを始める。

 女子高生は悲鳴を必死に堪えつつ、手を震わせながら110の番号を打ち込んだ。


 ケラケラと笑い続ける幼女だが、子供など簡単に握り潰してしまえそうな野太い腕が幼女の頭に伸びる。正気を取り戻した母親が、

「ど、どうか命だけは……!」と叫びながら、必死に子供を抱き寄せた。


 しかし、その野太い腕は優しく幼女の頭をポンっと叩く。


「ゴリラさんは身体が汚れたから水浴びをしてたんだよ」


 意外にも優しくおっとりとした声で男は話した。


「変なの。ゴリラさん、水浴びするなら服は脱いだ方がいいよ?」

「今度から気をつけるよ。ご忠告ありがとな、お嬢ちゃん」


 頭に置いたままの手で幼女を軽く撫で、母親に軽く会釈をして男はその場を後にする。

 居合わせた者達はまるで未確認生命体を目にしたが如く目が点になり、その場で声も出せず固まっていた。


 幼女だけが去っていく男の背中に「風邪ひかないようにねー!」と無邪気に呼びかけつつ、手を振るのであった。



◇◇◇◇



 繁華街の中枢に立ち並ぶ立派な建物と比べると、あまりパッとしない少し寂れたビルに男は入っていく。

 入ってすぐにある階段を登り二階にあがると、"ルリアン探偵事務所"と脇に表札を掲げた部屋がある。

 その扉を男は躊躇なく開いた。


「おーい、山田ぁ。戻ったぞー」


 それと同時に、男に向かって容赦のない速さで灰皿が飛んできた。

 その灰皿はみぞおち辺りにクリーンヒットし"ゴフッ"とさすがの大男も声を出すが、それを打ち消すように今度は女性の怒号が襲いかかる。


「こんのクソゴリラ! 本名で呼ぶなって何度言えばわかるのよ! 私の名前は坂崎だって言ってるでしょうが!」


 男は腹部をさすりながら、申し訳なさそうに縮こまる。


「す、すまん……。だが、そんなに気にしなくても山田花代って名前かわいいと思――」


 男が言い終える前に今度はカッターナイフが飛んでくる。

 しかし、かろうじて男の頬をかすめる程度で命中せず後ろの階段へ落ちていった。


 ごく普通のオフィスの窓際にある上長席とも言えるようなデスクに、小さな身体の割に風格を持ち座っている女性が、"チッ"と舌打ちする。

 方杖をつきながら、仕留め損なったと言わんばかりの表情を浮かべていた。


「あんたね、そろそろ人語を理解しないと容赦なく保健所に突き出すわよ」


 自分より遙かに小さい女性に対し更に男は縮こまりながら、「わ、わかった……。気をつける……」と返事をする。


 

 山田花代もとい、坂崎さんはクールビューティーとも言えるような凛とした雰囲気を持っており、艶のあるロングヘアーと、とても整った顔立ちを併せ持っている。

 しかしそんな見た目とは反し、小柄な体格ながらもそれに反比例するかの如く気は大きく、自分に盾突く者は噛み殺すと言わんばかりのオーラを発していた。


「東郷、あんたなんで全身濡れてんのよ。そのまま入ってきたらぶん殴るわよ」


 悪態をつきつつも、坂崎はタオルを取り出し東郷に投げ渡す。

 渡されたタオルで全身を拭きつつ東郷は説明を始めた。


「いや、川での朝日美桜の捜索中にダンボールの中に入った子猫が"ミャーミャー"鳴きながら流されてきてな。これはイカンと急いで服のまま助けに飛び込んだのだ」

「そんなベタなシチュエーションどんな生き方してたら遭遇できんのよ。それで、その子猫は?」

「無事助け出したんだが、抱き抱えると同時に

俺の顔を引っ掻いて逃げ出してしまったよ」

「ゴリラが子猫に負けてんじゃないわよ」

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