第8話 白の世界④
「……ちょっと歩くか」
秋人は美桜を背にしてツカツカと歩き始める。
「え……? あ、はい」
美桜も秋人の後ろをチョコチョコとついていく。
暫く歩いていたが、振り返りもせず無言で歩き続ける秋人に美桜が口を開く。
「あ、あの秋人さんの気持ちも考えずに随分変な事言っちゃいましたよね……。ごめんなさい……」
しかし、そんな美桜の言葉を受けても秋人は変わらず無言で歩みを進める。しかも、少しずつ歩くペースも上がっている。
美桜は必死に歩みを早めながらついていくが、そんな秋人の姿に対して目には涙を貯めていた。
「あ、あの……。秋人さんごめんなさ……」
「なあ、美桜」
秋人が歩みを止めて呼びかけながら振り返る。それと同時に、美桜の姿を見て固まる。
美桜は"ひっ……ひっく"と嗚咽を漏らしながら流れる大粒の涙を必死にぬぐっていた。
「え、なにこれ? 何が起きてんの?」
「な、なにこれじゃ……ないですよ。話しかけても無視するから怒っちゃったのかと思って……」
目の前でひんひんと泣き続ける美桜を見て、脳裏でまたも坂崎が"うわ……女子高生泣かしてる……"とドン引きながら囁いてくる。
そんな余計なイメージを頭を振って必死に払い、秋人は言葉をかける。
「いや、待て待て! 怒ってない! ちょっと考え事してただけだ! 悪かったから、とりあえず泣きやめって」
「考え事って……。何考えてたんですか……?」
嗚咽もおさまり少し落ち着きを取り戻した美桜は、まだ涙で滲んだままの瞳で秋人をジトッと見つめた。
「いや、まあ色々なことだが。とりあえず、起きてからだいぶ経ってこんな風に歩き回っても確かに腹は減らないし喉も渇かない。美桜の言ってた通りだな」
「なんですか……。まだ疑ってたんですか」
「若干な。確かにすごい世界だよ、何もしなくても生きていける。でもな美桜、一つだけ言っておく。それでもここは楽園なんかじゃない。こんな場所に幸せなんかありゃしない」
「……なんでですか? 私と二人きりなんて嫌だからですか?」
美桜はまた瞳に涙を滲ませる。
「んなこと一言も言ってねえだろ。ちょっと落ち着いて俺の話を聞け。メンヘラ女」
「メ、メンヘ……!?」
一瞬ショックを受けるも、目に溜まった涙を再度ぬぐい、小さく美桜は頷く。
「なあ、人間の生きる意味ってなんだと思う?」
「……なんでしょう。子孫繁栄の為とかですか?」
「さあな、わからん」
そう言い捨てる秋人に、美桜は首を傾げる。
「えっと……何が言いたいのでしょう?」
「じゃあ、聞き方を変える。美桜は何の為に生きるんだ? 子孫繁栄の為か?」
「そう言われると……なにか違う気もします。
ただ記憶がない分、これと言ってあげるのは難しい気が」
質問に対して眉間にシワを寄せつつ考え混む美桜を見つめながら、秋人は語りかける。
「記憶がなくとも知識はあんだろ。それに聞いているのは過去の事じゃない。未来の事だ」
「未来……。この先何の為に生きていきたいかってことですか?」
「別に生きる意味なんて難しく考えなくてもいい。純粋に自分が何をしたいか、何を望むか考えてみろ」
少し時間をとり更に考え込むが、物憂げな表情を浮かべたまま美桜は答える。
「……わかりません。ただ、なんとなくですが、私は穏やかに生きていたいです。だから別にこの世界でも――」
「そんなの、妥協だな」
「でも、元の世界で私を待ち受けてるものがこの世界で生きていくことより絶望的なものだったら。……私はそっちの方が怖いです」
「そん時はそん時だ。過去なんか捨てちまえ。記憶がねえなら丁度いいじゃねえか」
「過去を……捨てちゃうんですか?」
意想外の返答に、目をパチクリさせながら秋人を見つめる。
「美桜にとって、幸せへの足枷となるものだったら片っ端から容赦なく切り捨てろ」
「……あはは。そんな発想ありませんでしたね。でも、私には全部切り捨てて生きていく強さなんてないかもしれませんよ」
「一人で生きられるガキんちょなんかいるか。そん時は俺が説教して、尻叩いて前向かせてやるよ」
秋人の言葉に、またも目に涙を溜める。
それを悟られぬように美桜は俯き、必死に顔を隠した。
「なんで。なんでそんなに本気で考えてくれるんですか? さっき出会ったばかりの小娘の戯言なんて適当に流せばいいじゃないですか……」
俯く美桜に対して、秋人は表情を緩め、少し小馬鹿にしたような調子で語りかける。
「これは持論だが、人ってのはな、幸せを感じる為に生きてんだよ。あっちの世界にはガキんちょには知らない頭がぶっ飛ぶような楽しいことが転がってんだ。それに気づかせて、教えてやるのが大人の役目なんだよ」
「……本当にただの優男じゃないですか」
「美桜にはなんとなくそれを教えてやりたくなっただけだよ」
美桜は涙をぬぐい、顔をあげ"へへへ"と少しはにかみながら笑う。
「私この世界で会えたのが、秋人さんでよかったです」
「それ、さっきも言ってただろ」
「なんというか……。今のは心の底からの本音です」
秋人は"何言ってんだこいつは"と言わんばかりの表情を美桜に向けるが、美桜は一歩秋人に近付き、顔を見つめ笑いかける。
「秋人さんの幸せは何ですか?」
「あ? 俺はな、こういう風に一日中歩きまわって仕事して、疲れ果てた身体に冷えたビール流し込む為に生きてんだよ。こんな喉も乾かねえ世界で生きてられるか」
「あはは、随分安っぽい幸せですね!」
「俺にとっちゃそれが頭ぶっ飛ぶくらいの幸せなんだよ」
ケラケラと笑う美桜を見て、秋人は初めてこの少女の笑顔を見た気がして自然と顔が緩んだ。
「あ、そうだ。秋人さん! 私一つやりたいこと見つかりました!」
「なんだ?」
「でっかい温泉にゆっくり浸かりたいです! そしてお風呂あがりにフルーツ牛乳を流し込みます!」
「随分安っぽいな」と笑いかける秋人に対し、
「それが私にとっては頭ぶっ飛ぶくらいの幸せなんです!」と美桜は小生意気に返す。
「じゃあとりあえず温泉目指して、情報収集といくか」
「情報収集と言う名の、お散歩ですか?」
「ただのお散歩じゃねえぞ。捜索も兼ねたお散歩だ」
秋人は早々と歩き出す。
美桜はチョコチョコと小走りで秋人の横に並び、顔を覗き込みながら問いかけた。
「捜索? 誰か人探しでもするのですか?」
問いかけに対し、"ニヤリ"と悪い笑みを浮かべながら秋人は答える。
「人じゃねえ、神様だ」
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