第2話 契約

「よいですか! そもそも私達は生きる上で様々な罪を背負っているのです。その魂を汚したまま生きたとしても、肉体が滅びた後にその魂は不浄の世へと落ちていきます。しかし、テリア様へ信仰を重ねることによって加護が刻みこまれ、浄化された魂はテリア様が拾って下さります。そしてテリア様の元で存在し続けるのです! それが私達の目指す永遠の幸せであり――」


 じめっとした空気が絡む走り梅雨の頃、これまたじめっとした家屋の中で熱気を飛ばし話しをするご婦人の名は朝日翔子。今回のお客様である。

 格好自体は薄汚いが、身体の上から下まで胡散臭いネックレスや数珠、指輪、ミサンガ等あらゆる装飾品を身につけている。

 

 通されたこの部屋にはさぞご利益がありそうな壺や彫刻が並び、怪しげなお水には☆テリアの聖水☆とふざけたパッケージが施されていた。

 こんな小学生が編んだようなミサンガやただの水道水を、いったいいくらで買わされているのだろうと呆れつつ、秋人は心の中で呟く。



(ああ、間違いなくバカだ。良質なお客様だ)



「……それで、ご依頼内容の確認ですが娘様の捜索ということでよろしいでしょうか?」


 秋人がやや強引に尋ねると、朝日はまだ話したりないと少し不満そうな表情を残しつつ答えた。


「はい、3日程前から家に帰っていないもので。警察にも届けたのですが顔写真を受け取っただけで、その後動いている様子はなく……。

血の繋がりは魂の繋がり。私がいくら加護を培おうと娘次第でいくらでも汚れていってしまう。一族の幸せを担っているというのにその自覚も全く感じられず、布教活動も怠っていたようですし。あのような不敬の態度ではせっかくの加護も汚れていき……」


 また話が脱線する。

 大方警察でもこんな調子だったのであろう。情報を聞き出す前に狂信論を喚き散らかされたら、事件性よりもイカれ親からの家出の方向で警察も認識する。


 終わりの見えない話に一つ一つ頷きながら、どうにか話を進められないものかと思案し、秋人は手を打つ。

 雄弁に語る朝日の目をじっと見つめ、秋人は自分の瞳に涙をにじませた。

 何事かと朝日もさすがに話を止めたと同時に、嗚咽まじりに秋人は語り出す。


「なんとも高尚な信仰心……とても感動致しました。まるで、人生の教科書に出会ったかのような輝かしい思想、幸せへの決意。言葉一つ一つが私の胸に突き刺さりました!」


 秋人の言葉に、朝日はうんうんと満足そうに頷く。


「そこまでわかって頂けるとは! ちなみに幸せという部分で補足をしますと――」

「朝日様! 私は朝日様の幸せ、娘様の幸せの為にも早くにもお力添えになりたいと考えています。そのためにもご契約の説明をさせて頂きたいのですが……」


 また話を始めそうになるところを遮り、朝日の手をがっちりと握りしめ顔を近づけた。

 秋人の行動に驚きの表情を浮かべたものの、がっちり繋がった手を見て少し気恥ずかしそうに頬を染めながら「では、お願いします……」と朝日は潮らしくなった。


 やっとスタートラインに立てた秋人は、心の中でため息をつきつつも、机に何枚か書類を置きながら話を始める。

 

「調査期間は一週間とし、もし望まれる情報や結果が得られなかった場合はその後の契約を続行し調査を続けるかのご判断はお任せします。

調査費用となりますが、着手金で10万。調査料としては時間計算型とし一週間で100万円ほどとなります」

「あら、100万。思ったよりもかかりますね」


 そう反応するものも、朝日の表情は澄んでいる。


「私どもはより効率的に、より効果的な調査の為に多人数で動きます。その為の人件費用がどうしてもかかってきます。そのかわりといってはなんですが成功報酬金というものは頂かない仕様になっている中、他の探偵社と比べても確実な成果を残しております。それを考慮してもだいぶ良心的なお値段設定となっているのですが。ご信頼頂けないでしょうか……?」


 慌てたように、朝日は否定する。


「とんでもない! なんといってもあの"坂崎さん"の探偵社ですもの! どこよりも信頼できる探偵社だと存じています。是非ともご依頼させて頂けたらと思います」

「それはよかった! 先ほども申し上げた通り朝日様のお話を聞くうちに是非ともお力になれたらと……。いや、今日という日に私達が巡りえたこと自体、テリア様のご加護の導きによるものかもしれません!」


 自分でも何を言っているのかよくわからないまま、やや大袈裟にアクションをしつつ秋人は弁を振るう。

 さすがにやりすぎたかと横目に様子を確認するも、朝日は子供のように目を輝かせ、その通りだと言わんばかりにふん、ふんと首をふっていた。


「……では、書類の方にいくつかサインと押印を」


 手際よく説明し契約を進めていく。

 表情は真剣そのものだが、秋人はなんともまあチョロいものだと内心呆れていた。



 バカというのは自分で考えることをやめた人間だ。直面する問題や日々やってくる小さな決断の連続を、自分に都合のよいものにすがってうやむやにしたり、他人に委ねたりする。

 そして頭のいい悪者達に騙され、不幸な選択を繰り返し続ける。


 だが、秋人に彼等への嫌悪感はない。

 むしろそんな馬鹿者がいなければ仕事が成り立たない。だからこそ敬意を払って"お客様"なのだ。

 

 契約を終えると秋人は「ありがとうございました」と心の底から感謝を述べた。




◇◇◇◇




「それではお邪魔しました。再度ご報告に来させて頂きます」

 秋人は深々とお辞儀をする。


「あの、よろしければ今度教団の方へお越し下さい。秋人さんはすでにテリア様のご加護を受け始めています。教団にて信仰心を高め、汚れを落とすだけで視界が晴れ渡るはずです」


 間違いなく晴れ渡るどころか濁っていくだろうと思いつつ「落ち着いたら是非とも」と一言笑顔で返し秋人は家を出ようとする。


 しかし朝日が「あ、あと……!」と、呼び止めた。

 もうこれ以上くだらない勧誘話を聞いてはいられないと思いつつ、顔に出さないように気をつけながら振り返る。


「あの、娘をよろしくお願いします……」


 朝日は深々と頭を下げ、長いお辞儀をした後に顔をあげる。そこには、今までの狂信者とは違う顔をした朝日がいた。


 その顔をみた秋人は少し顔を俯かせ、「全力を尽くさせて頂きます」とだけ答え家を出た。






 朝日の家を出てほどほどに歩いたところで人気のない寂れた小さな公園を見つけた。

 

 秋人は公園に入り端の方にひっそりと置いてあったベンチに腰を降ろすと、どこぞの大手営業マンかと思えるような隙のないビジネススーツの前ボタンを外し、中のネクタイを緩める。

 その着崩した姿はさっきまでの印象とは打って変わりだらしなさと胡散臭さが湧き出ているが、そんなことはお構いなしと言わんばかりに秋人はタバコを鞄から取り出した。


 一本口に咥えると、そのまま上着ポケットの中から携帯を出し電話をかける。

 咥えたタバコに火をつける間もなく電話は繋がり、秋人は含み笑いをもたせつつ呼びかけた。


「よう、安心と信頼の坂崎さん」

「何よ、その呼び方。無駄話するつもりはないないからさっさと報告だけしなさい」

 

 電話越しから、ツンとした声が返ってきた。

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