第4話⑥
人間は語り継ぐ。
ヘスペリデスの園に棲む怪物、百頭竜ラドンのことを。
ヘスペリデスの園で黄金果実の番人を務めるドラゴン。百の頭を持ち、あらゆる言葉を理解する恐ろしい不死身の怪物。
哀れな侵入者たちは、自分たちが百の眼に監視されているとも知らず、森に入り込んで全滅した。
やがてして、軍隊が送り込まれることもなくなった。
――――
こうして、ラドンの唄は締めくくられた。
ラドンの本体は黄金果実の丘に鎮座している。そこでヘスペリデスがラドンの唄を歌っていたのだ。
用意していたはちみつ水を飲んだアレトゥーサが、怪物に成り果てたラドンを見上げる。
「……ホント、気色悪い姿になっちゃったよね。眼がないし」
「眼は森に居るラドンの分身みたいな奴になったんだろ。たくっ、いつも見られてる気がして鬱陶しいよ」
クリュソテミスが嫌味を言った。
それを聞いてアイグレーが微笑する。
「とか言って、いつも話しかけてるよね。もう返事は来ないのに」
「うるせっ」
リパラーとアステロペーが遅れてやってきた。手に花束を持っている。
「沢山取って来たよー! 何だったらもうひとっ走り行ってくるよ!?」
「あらあら。もういいわよ、アステロペー。もし行ったら縛り上げて引っ張るわよ」
「ホントにコイツの横で良いのかね、アイリカーの墓は。あの娘が好きだった蛇じゃないんだよ、もう」
クリュソテミスの言葉に、ヘスペラが答える。
「いいと思うよ。アイリカーは確かに蛇好きだったけどさ。ラドンを好きだったのは、きっと別の理由だから。ラドンもアイリカーの歌、好きだったし」
「あっ。お菓子持ってくるの忘れた~、ラドンにあげようと思ったのに~」
ヘスペレトゥーサがお菓子を食べながら嘆いている。
ヒュギエイアはそれを見て、微妙な顔をしている。
「……今食べているそれじゃないんですか? え、何考えてるんですか、バカなの?」
エリュテイアがラドンに触れて、語り掛ける。
「……バカなラドン。怪物になんかならなくても、あなたは強くて素晴らしかったのに。ワタシたちの言葉を理解してくれたのはあなただけだった」
ヘスペリデスが一人ずつラドンに触れていく。
「じっと歌を聞いてくれるキミが好きだった」
「口が悪いが、よく見てくれてる所とか好きだったよ」
「えっとね~、皆と仲直りさせてくれてありがとう~」
「いつか話したよね、アタシの運命。聞いてくれて嬉しかった。結構悩んでたんだ」
「アイリカーと仲良くしてくれてありがとう。あと、守ってくれてありがとう。何だかんだいい奴な所、結構好きだよ」
「皆に優しくしてくれありがとう。もっと話たかった」
「もっと一緒に運動出来たらよかったのに。けど、あの小っちゃなラドンたちと遊ぶのも好きだよ!」
「アナタ、あんなに分割していて正気なのかしら。ご飯とかしっかり食べてますか。健康は大事ですよ、長生きしてくださいね」
「声が届いているかもわからないけど、言うね。あなたが自分から繋がりを拒んでるんだとしても、ワタシたちヘスペリデスはラドンと一緒に居る。あなたに死の安寧が訪れるまで共に、それがヘスペリデス姉妹の全会一致だから」
ヘスペリデスはラドンの横にある小さな墓石に、たくさんの花束を供えた。頭だけとなったラドンは寝息をたてているのか、奇妙な音を出しているだけで動かない。
「アイリカー、ラドンのために歌ってあげてね」
ヘスペリデスはラドンを愛していた。
ラドンは繋がりを弱さと判断した。けれど、ヘスペリデスにとってラドンとの出会いはかけがえのない理解者との出会いだった。
この出会いは、ヘスペリデスに理解者を得る大きな喜びと別れの深い悲しみを経験させ、彼女たちの運命が絶えるその瞬間まで、誰一人にも忘れられることはなかった。
そして、ヘスペリデスはラドンの唄を歌い続けた。
彼女たちが知るラドンの雄姿を謳った唄を。
――――
ラドンは知らなかったのだ。
一生涯に深く繋がりを持つ機会は少なく、一度繋がった絆は形を変えることはあっても消えはしないということを。繋がることで得る悲しみや痛みは、いつまでもそのままの形ではないということを。
ラドンは言葉を失くしたが、言葉を受け取ることは出来た。
伝えられた言葉の数々に、伝えられない心の独白が募るばかり。
ある日、兄弟姉妹の繋がりでヒュドラが死んだことを知った。
《空白の思索:独白の記録》
「ヒュドラが死んだ」
「何故、兄弟姉妹なのか。やっとわかったぞ。全ては運命だったのだ」
「怪物の役目は英雄の障害になること。単純なことだった、障害になる怪物が必要だったから生まれるように設計されただけ」
「あ」
「同じタイミングで必要とされたから、便宜上で兄弟姉妹という枠に押し込めただけ」
「ああああ」
「似てもいない。代わりにもなれない。こうなる運命は生まれる前から決まっていた」
「ラドンが兄弟姉妹を嫉妬し憎むのは知能があったからだ。人間のように運命に抵抗しないように、予め思考が歪められていたのだ。『羨ましい』は『嫉妬』、『憧れ』は『憎しみ』に」
「あああああああ」
「兄弟姉妹を想う気持ちはあったのだ。歪められる前の、ラドンには」
「運命の玩具、それが怪物の兄弟姉妹の役目」
「そして今、まさに己の運命を感じた。天秤が傾いて、遂にこのラドンにも死の静寂が訪れる。ヒュドラを殺した英雄がやってくる」
「あああああああああああああああああああ」
「女神たちよ。お前たちの忠告よりも、運命の知らせの方がよほど我が心を躍らせる。このラドンが遂に怪物として完成することが決まったのだ。運命が望む通りに!!」
「そう思うように設計されていた」
「黄金果実でもない、ヘスペリデスでもない。この醜い執心こそが我がラドンである所以、我が宝とは執心の果てのこの肉体! 英雄であっても百頭の体を奪えない! 我が宝を奪えない! 我は不滅の怪物だ!」
「死んで我が宿願が果たされる! ハハハハ!!」
「醜いのは身体ではない。歪めて設計されたこの思考だった。ならば、我が宝とはなんだ……? ドラゴンになったならばある筈だ、我だけの宝が。ラドンをラドンたらしめる運命の宝が」
「……静かな歌だ。よく眠れる歌だ」
「やかましい連中だった。どいつもこいつも身勝手で、しつこく話しかけてくる。今もか」
「何故、弱い我を気に入った。怪物ではない我を。完成していなかった我を」
「残酷な関係……ああ、その通りだったよ。殺し合うための兄弟姉妹じゃない。ただの死にゆくことが運命づけられた仲間だった」
「……我と、ずっと繋がってくれている」
「繋がりの強さとは『次』、あの人間が言っていたな」
「そうか。ああ、そうなのだ。今が我の『次』なのか」
「もはや言葉も交わせぬのに、繋がってくれるのか……」
「……心地よい歌が聞こえる」
《個体識別:オリジン》
「ああ……ヘスペリデスよ、我も悲しむことができるらしい。もし『次』があるのなら、『次』のお前たちと語らってみたい……」
――別のお話――
ヘラによって、ラドンは星座となった。
りゅう座――空を飛ぶ一つ頭の竜を象った星座。
怪物になりたかったラドンの宿願は女神の慈悲によって、呆気なく潰えた。
報われない物語として、そう語られる。
しかし、詳細は違うのかもしれない。
英雄によってラドンが死んだ後、女神ヘラはそのまま姿でラドンを星座にしようとした。けれど、ヘスペリデスが猛反対して怪物になる前のラドンを星にせよ、と要求したのだ。
それで神の不興を買うことになっても、彼女達は一歩も譲らなかったという。
――ドラゴンには必ず、独占したい宝物がある。
――逆に言えば、宝物さえあればドラゴンになる。
――だから、ラドンは宝物の番人たるドラゴンなんだよ。
――一体、何を守っていたのかはラドンのみぞ知るって感じだろうね。
――ちなみに、沢山の物語とこの時間が自分の宝物さ。
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