第4話②
ヘスペリデスの屋敷から大声が漏れ聞こえた。
「あなたが犯人じゃないの~?!」
「はあ? どうして私が」
「落ち着いて、ねえ」
届いてくる声色は複数人のもので、犯人という不穏な単語が含まれている辺り、そこそこに切羽詰まった状況らしい。
ラドンは状況を確認する。
「それで、どういう状況なのだ?」
「説明させてもらうわ。まずヘスペリデスが何姉妹か知ってる?」
「知らん。ギリシャ連中で兄弟姉妹の数を気にする奴はいない」
「基本多いからね、血縁なんて。軽く説明すると、六姉妹と四姉妹ね」
「は? それは十姉妹だろう。計算できないのか」
「違うわ。六姉妹と四姉妹。女神ニュクスから生まれたのが六姉妹、女神ニュクスの力で作られたのが四姉妹。ただそれだけの違いよ。けれど、明確な違い。六姉妹がプロトタイプで、四姉妹が派生型って感じよ」
「何故、そのように面倒なことに。六姉妹がいる時点で派生型など不要だろう」
「そうでもないわ。ヘスペリデスは時間によって変化する光を由来にする。ほら、日によって朝日も眩しいときと眩しくないときがあるでしょ。六姉妹だけじゃ細かい変化を表しきれないのよ」
「待て、それなら今度は派生が四姉妹しかないことになる。少なすぎる」
「今度は逆の理由よ。状況の変化に由来したヘスペリデスを生み出したはいいけど、四人目が出来た時点で母様は思ったらしいわ。『数多くて無理』って」
「まさか、手間だからという理由で、新しく生み出すのではなく力から派生させたのか」
「そうよ。だから、六姉妹と四姉妹なの。とりあえず、ヘスペリデスの事情は理解した?」
神連中の気まぐれはいつものことだと割り切れるが、神本体の規格が大きすぎて、やることが全てラドンの想像を越えてくる。今回の場合、やり遂げなかったことだが。
微妙な表情のラドンに、エリュテイアが同情したように苦笑する。
「理解してくれたみたいね。まあ出自は違えど、ただの姉妹と思い合ってるわ。ただ、だから問題があるのよ」
「神に見捨てられた以上の問題があると?」
「ええ、大問題。より現実的な、ね」
ヘスペリデスの屋敷に到着した。
傍まで来ると、一層漏れ聞こえる喧噪がやかましい。近隣住民がいたら訴えられるレベルだ。
「実際に目にすると分かりやすいわ」
そう言って、エリュテイアは屋敷のドアを開けた。
この屋敷で体験したことを、ラドンは生涯で一番耳鳴りが続いた日だったと記憶している。
――――――――
目の細い乙女が口をへの字に曲げている。
「誰が食べたの~? 私の果物~! ねえ、クリュソテミス~」
怒っている女が、長身で腕を組んでいる女に詰め寄る。
「チッ。いちいち私に聞くな。食い意地の張ったお前のことだ、自分で食べてしまったことさえ忘れてるんじゃないか? ヘスペレトゥーサ」
「あ~! 今大喰らいって私を馬鹿にしたでしょ~!」
「あたしは事実を言っただけだ。今までにだって何度もそうだった。今回が違うという根拠がない」
「もう。そう虐めないで」
イライラしている長身の女をなだめるのは、胸が大きい柔和そうな顔の女。
柔和な女の後ろから、ベリーショートの女が現れて目の細い女の肩に手を置く。
「ほら、落ち着いてヘスペレトゥーサ。今は果物の方が大事でしょ。僕も一緒に探すから」
「ほんとう? ありがとう、アイグレー」
「無駄骨になるだけだ。よしんば食べてないとして、果物が無事だとは思えない」
「そこまでよ。探すぐらい大した手間じゃないんだし、いいじゃない」
「はぁ。いつもいつもお前は姉妹を甘やかしてばかりだリパラー。憎まれ役は余程嫌なんだな?」
「そういうクリュソテミスはいつも小言ばっかり。好き好んでもないのに憎まれ役を率先してやるなんて律儀だよね」
椅子に座って姉妹たちのやり取りを傍観していた女が口を挟む。
「うるさいぞ、アレトゥーサ。お前は何か知らないのか?」
「知らないわよ。アタシはヘスペレトゥーサのお菓子スペースには近付いてない。汚くて掃除したくなっちゃうもの」
「ちょっと~、アレトゥーサの言う通り掃除はしてるわよ~」
「あれじゃまだまだね。今度教えてあげるわ」
「えぇ~……」
「ぁ……ぇう……ぁたし……」
「ん? アイリカー、何か言ったか?」
クリュソテミスは部屋の隅で立っていた長身で長髪の女が何かつぶやいたと思って声を掛けた。しかし、アイリカーは「ぅぇ」と呻いて、身体を壁に押し付けて小さく首を横に振る。
「たく、あいつも相変わらずだな」
「クリュソテミスが怖い顔してるからじゃない」
「うるさいぞ、アレトゥーサ。というか、あとの四人はどこに行った?」
「ねえ、私の果物~!」
「ヘスペレトゥーサ、落ち着いて。僕のお菓子をあげるから、ね」
「あらら、困ったわねぇ」
六人のヘスペリデスがかしましく、やいのやいのと言い合っている。
それぞれが思いおもいに勝手なことを喋るせいで、そこは不協和音の劇場のようだった。
やり取りを入り口から眺めていたラドンは、己の機能で必死に声を聞き分けてへスペリデスを分類しようと解析していた。そうでなくても、ヘスペリデスの言葉遊びを自動翻訳しているし、解析にエネルギーを使うしで既にちょっと疲れていた。
隣で同じように中の様子を眺めていたエリュテイアが肩を竦める。
「御覧の通り。ワタシたち姉妹は個体毎に力と性質が確立されてるせいで、どの子も我が強いの。だから、一度揉めると中々まとまらなくてうるさいのよね」
「……我にこれを聞き分けてまとめろと?」
「そう。ワタシたちヘスペリデスの仲裁が仕事。疲れてるみたいだけど、早速お願いね」
「……数日前の自分を絞め殺したい気分だ。さぞ気が晴れるだろう」
「それは今度にして。今は仕事よ。――皆、お客様よ!!」
エリュテイアの掛け声に、ヘスペリデスがラドンの方を見た。
「エリュテイア。誰、ソイツ?」
「うっわぁ……おっきい」
「ぁ、へ、蛇だぁ……ふへぇ、へっ……」
ヘスペリデスは思いおもいにラドンへ注目している。
エリュテイアが率先して号令をかけて、テキパキと全員が動いてその場に居る姉妹たちが一列に並んだ。
エリュテイアが音頭をとって自己紹介が始まった。
「はい。じゃあ、お客様に名乗るよー」
「僕からだね。髪の短い僕がアイグレー。元気が取り柄さ、よろしくっ」
「改めて。ワタシがエリュテイア。姉妹の中じゃ静かな方だから、お客の応対とかは基本ワタシ。以上」
「は~い。私、ヘスペレトゥーサです。お菓子が好きで、作るのも食べるのも得意なんです~。仲良くなりたいから、ぜひ一緒にお茶しましょう~」
「アタシはアレトゥーサ。他の姉妹みたいに特徴とか趣味とかナシ。よろしく」
「……ぅ……ぁ。……ぅぇ……おごっ、おえっ……ぁ、アイリカー」
「よしよし、よく言えたわね。わたしはリパラー、仲よくしてね」
「クリュソテミス。ラドンは仲裁役なんだろ、しっかりしてくれよ。頼りにしてるからさ」
それぞれが名乗り終わった。
だが、数が足りない。事前にエリュテイアが言っていた数だと、合計で十姉妹の筈だ。
「おい、他三人はどこだ?」
「ワタシは知らない。皆は?」
「あたしも知らないんだ。ずっと屋敷に居たのは……アイリカー、は使いものにならないな。後はリパラーとアレトゥーサだったな」
「わたしが知ってるのはヒュギエイアだけよ。あの子、日光浴に行くって言ってたわ」
「ああ、アステロペーなら知ってるよ。ヘスペレトゥーサが騒ぎ出したときに、『レースで決めよう』って言って出ていったわ」
「あの美容バカと運動バカは相変わらずだな。……ヘスペラの行方を知ってる奴は居ないのか?」
クリュソテミスの問に姉妹たちは黙り込む。
おずおずと、ずっとラドンに人見知りしてえずいていたアイリカーが手を上げた。大きな身体を縮こまらせているが、まるで黒い毛玉だ。
「ぁ……そ、その……」
「言いたいことがあるならさっさと言え、アイリカー」
「ぅぅ……」
「クリュソテミス、そう詰めないであげて。大丈夫よ、アイリカー。ゆっくり話して」
「ぁ、ぁの。ヘスペラは、歌、歌いに行った……」
アイリカーの証言に、他のヘスペリデスは「ああ」と納得した。
「じゃあ、あの場所か」
「当分は戻ってこないね」
本人たちだけでわかる会話にラドンが口を挟む。
「おい。結局、他の三人はどうしたのだ?」
「バカが二人いてそっちは呼んでくるよ。けど、もう一人――ヘスペラは歌を歌いに行ってるから邪魔できない。悪いけど、今は九姉妹で我慢して」
「何故、歌が重要なのだ。仲裁をするなら全員の話を聞かねばならん」
「わかってる、ラドン。けど、歌はワタシらの仕事の一環なの。だから、手を抜けない。ヘスペラだったら夕方には帰ってくるよ、かならずね」
エリュテイアがそう言うので、ラドンは渋々ヘスペラが来ないことを飲み込んだ。
「いいだろう。だが、他二人をすぐ集めろ。さっさと聞き取りをする」
「いいよ。クリュソテミス、アイグレー。お願い」
「任せて。走ってハイになってるアステロペーに追いつけるのは僕ぐらいだしね」
「ヒュギエイアはあたし一人じゃ手に負えない。アレトゥーサ、ついてきてくれ」
「いいよ」
三人が他二名のへスペリデスを呼びに屋敷を出た。
残った中でリパラーが率先して、ラドンをもてなす準備を始めた。
残ったヘスペリデス相手に聞き取り調査をしたかったラドンだが、なし崩しにリパラーのやり方に流されて、もてなしのテーブルについてしまった。
エリュテイアが戸惑うラドンを笑っている。ヘスペレトゥーサはさっきの喧噪が嘘のように、リパラーがラドンのために用意したお菓子を勝手に食べて幸せそうな顔をしている。部屋の隅に戻ったアイリカーが前髪で隠れた目から熱っぽい視線をラドンに送っていた。
――何だ、コイツらは。こんなものは兄弟姉妹ではない。知らないぞ、こんなもの。
ラドンの兄弟姉妹とはキマイラ、ケルベロス、オルトロス、ヒュドラ。名立たる怪物たちである。
己が怪物らしい姿と力を持たないため兄弟姉妹に劣等感を抱くラドンには、ヘスペリデスの仲睦まじい姉妹関係が物珍しかった。
兄弟姉妹とは競う相手、越えねばならない敵。
理想であってはならない。目標ではない。
旅立った女神たちの言う通り。兄弟姉妹とは同じでも代わりでもない。
打ち破る相手。
ラドンはそう思っていた。
怪物の兄弟と真逆の、固い絆がある姉妹。それを二例も目の当たりにして、ラドンの中で解明できない誤作動(エラー)が生まれた。
――これが真の兄弟姉妹なら。
――何のために、我らは兄弟姉妹でなければならないのだ?
しばらくして、残るヘスペリデス二人が連行されてきた。
息を切らして汗だくの女が水を飲んでいい笑顔を浮かべる。
「ぷはぁ~! 最高に美味しい! 運動は最高の味付けだね!」
「……はぁはぁ。リパラー、僕にも頂戴。アステロペーに追いつくのは大変で……」
リパラーが水を入れたコップを受け取ったアイグレーは一気に飲み干す。
疲れ切ったクリュソテミスとアレトゥーサが同じように、水を求めてリパラーの所にやってきた。
「頼む、あたしらにもくれ」
「はあぁ~、疲れた……」
「お疲れ様。クリュソテミス、アレトゥーサ。ヒュギエイアも要る?」
リパラーが二人の後ろでオイルを肌に塗っている女に聞いた。
「お願いします。氷は無し、塩を少々、コップの半分で。日光浴で汗をかきましたから水分を補給しないと」
「あと何分だって駄々こねて……。おかげでこっちも汗をかいた」
「あら。日光を浴びるのは大事ですわ。特にアタシたち四姉妹は太陽光から力を得ますから」
「ずっとこれ。ただ、日光浴を止めたくなかっただけでしょ」
「ルーティンですから」
「ねえ、折角疲れてるなひとっ走りしに行こう! もっと苦しいのを越えたら気持ちいいよ!」
「「お断り!」」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます