第4話①

 ――ドラゴンは怪物だ。

 ――けれど、何者かと接点を持たないドラゴンは居ない。

 ――この物語も、そういうドラゴンのお話さ。



 父テュポーンの強大さ、兄弟姉妹たちの活躍、よく似た兄弟ヒュドラが「英雄殺し」と呼ばれていること。

 それら全てが、ラドンに兄弟姉妹への嫉妬と憎しみをもたらしていた。

 怪物の子ラドンが持つ機能は多言語が扱える頭脳。それは兄弟姉妹だけでなく、両親たちでさえも持たない能力だった。けれど、当のラドンは恐ろしい怪物になりたいと思っていた。

 ラドンの願望とは裏腹に。その多言語機能は頼りにされていた。

 ポルキュースとケートの娘たち。ゴルゴン三姉妹と呼ばれる彼女たちは、貢ぎ物に来る人間たちの言葉の翻訳仕事をラドンに頼んでいた。蛇の身体を持つラドンをステンノとエウリュアレがいたく気に入っていたのだ。

 ある時、ステンノとエウリュアレが貢ぎ物の果物を食べながら語る。まずステンノが喋り、その後にエウリュアレが喋る。それがこの女神たちの特徴だった。


「私たちはこの神殿を離れるの。怪物にされてしまった妹の所に行くのよ。だけれど、私たちには今の妹の言葉がわからないの。あなたの声を聞き分ける機能ならわかるのではなくて?」

「私たちは今の妹に言葉を伝えられないの。あなたの七色の声なら伝えられるのではなくて?」


 妖艶で自信に満ちたステンノ、美しい所作のエウリュアレ。異なる個性と瓜二つの顔を持つ二女神は元々三女神の姉妹だった。妹にあたる女神メデューサは海神に見初められてしまい、禁忌を犯してゴルゴンという蛇の怪物になってしまった。

 ステンノがぶどうの房から一粒千切り口に運ぶ。エウリュアレがリンゴの葉っぱを吹いて飛ばす。

 神殿の天井に隠れていたラドンが二女神の話を聞こうと降りてきた。


「「どうか、一緒に来てくれないかしら?」」

「……断る。我は怪物になりたいのだ。女神のお付きになりたいのではない」


 ラドンの拒絶に、ステンノもエウリュアレも対して反応を返さない。むしろ、思いおもいに次に食べる果物を選んでいる。

 ラドンの方を見向きもせずに女神が言葉を発する。


「そう。残念だわ。本当に残念。二度とラドンと会うことはないのでしょうから」

「ラドン、あなたも馬鹿よ。怪物になりたがるなんて。なってしまったら、戻ることはできないのに」

「ええ。後戻りなどない。『次』に進むことしかできない。あの子は違うわ、今や真性の怪物だもの。いつか死の安寧が訪れる時まで『次』はない」

「私たちはそれまで傍に居るの。ポセイドンみたいなギリシャ指折りの女好きに目を付けられた不運なあの子の傍に」


 くすくす、とステンノとエウリュアレが笑い出す。


「ふふ、ホントに不運よね。あの子、美しいもの。美容に気をつかう私とは違って野暮ったいから。私は選ばれなかったわ」

「あの子は花のように静かでお淑やかだもの。活発で遠くまで行ける私も選ばれなかった」

「やっぱり純朴な幸薄系の美女ってモテるタイプよね。エウリュアレみたいに元気ではつらつさが売りとか、永遠に二番手から抜け出せないわよ」

「あら。ステンノみたいな笑顔の裏にしたたかさを潜ませる悪女系も一番にはなれないわ」


「「だから、どうあっても私たちがはできなかった」」


 ステンノとエウリュアレは果物を手離した。

 神殿の床に色とりどりの果物が転がる。一つの林檎が女神の椅子から転げ落ちて、ラドンの下にまで転がってきた。

 初めて女神たちがラドンを見た。


「兄弟姉妹とは皆、全てが違うものよ。ラドン」

「そうよ。。ラドン」

「……代わるつもりも同じになりたくもない。テュポーンとエキドナの息子ではない、ラドンという名の怪物にならねばならん。そうでなくては、我が身を許せない」


 ぽん、とステンノが手を合わせた。


「ああ、そうだ。これまでの仕事のお礼をラドンにあげなければいけないわ。尽くす者には相応しい愛をあげなければ」

「なら、新しい仕事を紹介してあげる。あなたにピッタリの仕事よ」

「仕事だと?」


 そのままエウリュアレが続きを話す。


「ヘスペリデスの園に行って、あそこの姉妹喧嘩を仲裁してきなさい」

「彼女たちはニンフ。とても博識で、彼女たちだけの言葉で会話するの。だから、誰も彼女たちが何を話しているのか理解できない。」

「私たちは別よ。まるで家族のように仲がいいから。けれど、止めないわ。行くところがあるもの」

「女同士の口喧嘩は面白いしね。とは言っても、大事おおごとよ。あそこはヘラの大事にしているアレがあるものね」

「ええ。あの果実があるわ。ヘラにとって唯一無二の宝物。もしヘスペリデスの管理が杜撰ずさんで果実に何かあったら、きっとそれはとても大変なことよ。力のある果実、食べようものなら誰も見たことのない力を得られる果実」


 女神たちの助言に、ラドンは思い当たるものがあった。


「黄金果実……!」


 ステンノとエウリュアレが立ち上がり、女神の椅子を降りた。


「……そろそろね。エウリュアレ」

「ええ。行きましょう、ステンノ」


 二人が旅立つ前に、ラドンは問う。

 兄弟姉妹をひがんで憎む己には、この女神たちの心情が理解できない。もはや元には戻らない妹との絆に献身するなど意味がない行為だ。


「行ってどうする? 言葉も通じない怪物ゴルゴンに会ってどうする?」

「あら。意思疎通の解決はとても簡単なことよ。同じになればいいの」

「ええ。そうすれば言葉はなくとも同じでいられる。形として傍に居られるわ」


「「あの子が死の安寧を得られるその時まで。」」


 怪物と神は等価ではない。

 例え、同化したとしても神性は消えず、怪物の中で永劫に溶け合うことなく命運だけを共有することになる。

 それは死なない女神にとって、永遠の苦痛の海で揺蕩たゆたい続けることを意味する。

 怪物ゴルゴンはいずれ英雄に殺されるだろう。そのとき、かの二女神も終わる。

 終点に向かうとわかっていて、二人の姉は妹の下へ旅立った。

 妹が終わる運命の時まで、ただ一緒にいるために――。



 残されたラドンは、託された仕事を果たすためヘスペリデスの園に向かう。

 女神の居なくなった石造りの神殿を振り返る。


「……愚図な女たちだ。言葉もわからぬ癖に、真の理解者であるつもりか」



              ――――――



 ヘスペリデスとは女神ニュクスより生まれ、アトラスの加護の下で育った娘たち。一人ひとりが力持つ女で、とある経緯を経て『黄金果実の園』を管理する仕事を課せられている。

 そのような由来で、ヘスペリデスの園と呼ばれるようになった。

 浜にラドンは辿り着いた。


「ここがヘスペリデスの園……思ったよりも、しっかりと管理されている」


 ラドンが鎌首をもたげて周囲の様子を確認していると、一人の女が近付いてきた。

 首の辺りまで伸びた髪を丁寧にまとめている女で、身だしなみもきっちりしていた。

 声が届く距離まで来ると、女がラドンに向かって声を掛ける。


「ようこそ、ヘスペリデスの園へ。私はエリュテイア、次女みたいなものよ。女神ステンノと女神エウリュアレから紹介されたラドンで合ってる?」

「ああ、そうだ。我がラドンだ」

「名乗りはそれだけ? 珍しいわね、誰の子か言わないの?」

「必要としているのは『百を聞き分ける』ラドンの力の筈だ。違うか?」

「まあ、そうね。いいわ、なら早速で悪いけれどテストさせて」

「何? 貴様、我を疑うのか」


 ラドンが牙を覗かせて敵意を露わにする。

 エリュテイアはそれを前に臆することなく、必要な説明を開始する。


「聞いてると思うけど、ヘスペリデス姉妹は独自の言語を使うわ。それを聞き分けないと意味がないの。今までそれが出来た者は居ない。確認して、保証が欲しいの」

「……いいだろう」

「じゃあ、早速……『にあとうっとれき、んきれ?』」


 エリュテイアの使った言語はおよそラドンたちが生きる土地で使われる言語の発音ではなく、またラドンには複数の言語形態が混ざっているように聞こえていた。

 ラドンは多言語を解する己の機能を発揮する。

 発音や単語を分析し、言語としての研究を高速で進行する。


「海向こうの言葉も混じっている……それに似ているが限定された土地のも混じっている……。手間が加えられている……ああ、暗号ですらない一字ズレか。ククク、子供の遊びだ」

「……」

「『何言ってるか、わかる?』 答えは『馬鹿にするな』」

「……何だ、やるじゃない。子供だましだけど、吟遊詩人や賢者には結構気付かれなかったのに。皆もっと難しく考えちゃうからさ」

「我は機能を駆使して解析しただけだ。人間のように思考した訳ではないのだから、勘違いも起こらない」

「なるほどね。『にり、しっしなうさえ。ひゆけきうこてますあぢわ』」


 エリュテイアはラドンを先導して歩く。

 浜を後にして、林の中に作られたヘスペリデスの屋敷を目指す。

 案内されてる間に、ラドンは自身の機能にヘスペリデスの言語情報を登録し、その言葉を自動翻訳する設定にした。

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