第3話④
マリカは本棚で目当ての本を探しながら、火守女について語り始める。
「あの男の話を補足するなら。火守女の始まりは銅を作る火を守る女神官だった。それが変化する時代の中で魔女になったり、稀人になったり、時代に合わせて立場が変わった。相談役というのもその一つ。大体、そのときの火守女の在り方によって変わる」
「じゃあ、今相談役という噂があるのは、マリカがそういうことをしているかってことですか」
「そうさ。先代、あたしに火守女のイロハを教えた女なんかは世間との繋がりを断っていた。相談役の仕事もぶっつりさ」
「随分、思い切った女性だったんですね」
「執着がなかっただけだよ。……あったあった」
目的の物を見つけたマリカはそれを取り出して状態を確認する。
「あのいけ好かない男が言っていたのは事実だ。だが、半分だけ。男側から見た世界でしかない。火守女の歴史は女側の方が圧倒的に分厚い」
「何か、恋愛で似たような話聞きますね。男は女の考えが分からないって奴」
「あ~五十年前の色恋でそう思うこともあったねぇ。けど、興味がないって言うあんたがわかったようなのは腹立つね」
「人伝ですよ。実体験じゃ、他人の考えなんて誰にもわからないって言います」
「そうかい。なら、これを見たら火守女たちの考えはわかるかもね」
テーブルに戻ってきたマリカがいくつかの資料を置いた。その種類は豊富で古い装丁の分厚い本、日記のような手帳、羊皮紙を崩れないようにファイルで綴じたものまであった。
「火守女という女たちが残してきた歴史だ。世界から外れたからこそ、記録は各時代の戦火を逃れた。……例えば、こういうのとか」
火守女たちの記録の山から、マリカは色あせた赤い手帳をチドリに渡した。
損傷させないように、慎重にチドリは手帳の中を確認する。
そこには、材料や分量を細かく記録して、調理工程やアレンジのメモが記されたレシピが載っていた。文字のインクの具合から、メモに古いものと新しいものが混在しているのがわかった。
「あ。コレって、いつものスープ?」
「ああ、そうだよ。あのスープや調味料のレシピは、歴代の火守女たちが引き継いだものを各々が適宜改良していったものだったのさ。『火守女の家』ってのは、使命のために掟のために、何より精霊との契約のために世間から乖離しちまった女たちの生きた家なのさ」
そう言ったマリカは残りの火守女たちの記録を指さす。
まるで、これがその生きた証だと言わんとしているみたいに。
「契約のこと。精霊のこと。火守女のこと。全部がここに載っている」
「……ッ。拝見しても?」
「構わないよ。けれど、一つ言っておくことがある」
マリカは真剣な面持ちで、チドリに忠告を伝える。
「それを読むということは、遂に『最後の仕事』のときが来たということだ。あんたには火守女の全てを教える。真実も、秘密も全部だ。だから、今日が取材の最終日だ」
「そんな、急に……」
戸惑うチドリの視線が火守女の記録に向けられる。
この共同生活を通して知りたかった全てがそこにある。
火守女の真実を知ることは、今のマリカとの関係が崩れることを意味している。
選ばなければならない。
友か、好奇心か。
チドリの口元がかすかに歪む。
「……私、読みたいです」
「……」
それを聞いたマリカはただ促した。
放たれた矢のようにチドリは記録に目を通し始める。
火に人生を捧げ続けた女たちの側から見た歴史が、そこにはあった。
資料は歴代の火守女が、次世代の火守女たちに向けて残したメッセージでありマニュアルだった。
詳細な記録が残されていくのは、島がマケドニア帝国のものだった頃から。
歴代の火守女の口伝だと、火守女の始まりは古代よりも前、ヒッタイト帝国によって島が支配されていた頃だった。
銅と火の力を得るために人間は『精霊』と契約を結んだ。
その儀式を行った男の、実の娘が最初の火守女となった。
火守の役目は女しか付けないという火守女の掟は、ここから始まった。
それからの火守女となる女は『精霊が選ぶ』と言われ、当時の権力による指名制であった。指名されれば拒否などできず、強制的に火守女としてキプロス島のこの地に幽閉される。
生活は困難ばかりだ。
聖域だという理由で他人は来ず、女一人で拠点づくりや食料の確保をしなければならない。何よりも役目が優先で、まともな家になったのは何世代も後のことだった。
時代が進むと島は何度も戦地となり、数々の国に占領された。
火守女と精霊がもたらす恩恵を欲した支配者たちは、決して火守女の継承を途絶えさせなかった。
女を贄にしてまで欲した、精霊と交わした契約によってもたらされるもの。
それは、金属を溶かす火の力。熱。エネルギー。
契約した精霊の名は、火の精サラマンダー。
精霊との契約とは、サラマンダーとなる生き物の出産と生育の世話をして、サラマンダーを守ることだった。
サラマンダーになる生き物についての記載がある。
《種火の竜を育み、火より生まれる精が大地に帰還すを助く》
これは火守女の役目についての一文。
『火より生まれる精』がサラマンダーで、『種火の竜』がサラマンダーになる生き物である。
『種火の竜』やサラマンダーについて、生息域と生態も書かれている。
《種火の竜は火の世界でしか生きられず、火の精は大地の下に還り熱を与えて生かす》
《種火の竜は燃やした銅の煌めく空気を食らう。火の精は火を食らい、熱を蓄える》
『種火の竜』が食べるのは銅鉱石を燃焼したときに蒸発する含有物。つまり、『種火の竜』は銅の精錬をすることでしか生かすことができない。
精霊との契約と銅の間には深い関係があった。
そして、火守女の存在を知った権力者の男たちは銅を狙った。
銅を交渉材料にすることが、火守女たちが時代を生き残り続けた理由だった。
《やがてして竜は精霊となり、大地に還ることで土地に熱を与えて浄化する》
火守女は『種火の竜』とサラマンダーのために人の世で生きることを捨てねばならず。人間の営みから外れた地で人生を捧げ、使命に殉じていく。
使命とは、大地を生かし、人を生かす土地を守ること。
女たちは人生を薪として、使命の炎を燃やし続ける。
女の生命と精霊の生命の循環。
炎に捧げられた命が、精霊のもたらす熱になって大地に還元される。
大地に生きる人々のためと想い、幻想の生物が生存可能な火を燃やし続けるために、多くの女たちが己の人生を焼べた。
大昔から使命と掟という形で残り続けた――幻想と人間の互助契約。
夢中になって資料を読み進めるチドリはこのシステムの呼称を知る。
――『ピュラリスの火守女』
『ピュラリス』とは『種火の竜』のこと。四本足で羽虫と同じ翅を持ち、銅を燃やす火の中でしか生きられない子供の手ほどのサイズのドラゴン。
ピュラリスは成長すると金属質の繭になる。炎の中で繭を育てると、やがて羽化して精霊サラマンダーとなる。サラマンダーは全身が冷たく湿っていて、火を食らい、十分な熱を蓄えた後に大地を掘って地中に潜る。サラマンダーの熱がこもった大地で銅を燃やしていると、自然とピュラリスが発生する。
ピュラリスはそういう生態を持つドラゴンだった。
とても信じがたい神秘の世界。
ドラゴン。精霊。それらの生態と人間の関係。
どんな科学も近代の思想も到達することができない、隔絶され生き残った神秘。
それが、火守女の真実。
銅と熱という資源が生む利益が女たちを火守女という贄にすることを許容した。
利益のために堆積された犠牲が、火守女の歴史だ。
だから、火守女は『利を求めるな』を語り継ぐ。
犠牲を強いた者たちと同じにならないように。
――だが、苦しみだけじゃない。火守女たちは、ここで彼女たちの人生を生きていた。
資料の至る所に細か/大雑把に、綺麗な字/汚い字で、淡々と/情感を込めて、色々なことが書かれていた。
女たちの、日々の手記や生活のメモ。
とても実戦的な家庭の知恵の塊であり、慣れない力仕事や孤独の苦痛を嘆き苦しむ言葉であり、人生の後悔や使命の誇りを詠う詩だった。
『私はここで見る星が好きだ。あの人も、同じ空を見ているもの』
『こんな仕事は辛すぎる。けれど、誰かがやらなければならない』
『先代が死んだ。今日から、私が火守女なのだ』
『卵は2個。小麦粉と混ぜて、牛乳を入れて……』
『次を任せられる娘が現れた。精霊はしっかりと見付けてきてくれたのだ。これで、心置きなく託せる』
『あなたの意志を継ぎます』
『元の生活に戻りたい。親は死んでしまったのだろうか。友人は結婚したのだろうか。私のことを、誰か覚えていてくれるだろうか?』
『狼が出る。毒餌の作り方を残す』
『火の輝き 朝日の眩しさ 一仕事終えた後の朝冷えの空気』
『題:〇〇と私が結婚していたら』
『どうか。火守女たちの霊が報われますように』
『あの火の美しさが、火守女になって一番嬉しかったこと』
夢中になっているチドリの前に熱いハーブティーが入ったカップが置かれた。
折を見て休憩させるために、マリカが用意していた。
「飲みな。気分が落ち着く」
「……どうして、彼女たちは火守女になったんですか?」
神秘への否定よりも、まずそこが気になった。
女たちは何故、『ピュラリスの火守女』を苦しみながらも守り続け、マリカへと代が繋がっているのか。
それは同時に、何故マリカが火守女になったのかへの疑問でもあった。
チドリに用意したものと同じもので口を湿らせてから、マリカは語る。
「精霊ってのは罪な奴さ。火守女に選ばれる女ってのはどうしてか、世間っていうものに想う所がある女ばっかなのさ。そんなのが火守女みたいな強い女に出会ったら、魅力に思えるもんさね」
「……マリカも、そうだったんですか?」
「……違うよ。あたしは世間を知らないバカだっただけ。けれど、先代の火守女は最高にカッコいい女だったよ」
火守女ではなく、マリカの半生の話が始まった。
「あたしの先祖はエジプト系で大昔にイギリスに渡った。だから両親はイギリス人だったよ。けれど、仕事の都合でイタリアに住むことになった。私は両親がイタリアにいる頃に生まれた子供で、だからは私は出生地的にはイタリア人になるのかもしれない。火守女になる前のあたしは、生きることに焦っていた小娘だった」
戦争の傷痕から復興に向けて動きだした世界。
少女だったマリカもその動きに遅れまいと焦っていた。
両親が言う女らしい幸福なんかよりも、世界のために出来ることを探したいという気持ちだけが強かった。
少女は一人で誰の手も借りず、目的地もない冒険に出る。それを乗り越えた時、自分はまるで違うものに変身しているはずだ。その自分ならば世界のために戦う準備が出来ているはずだと。
結果、無謀な少女の蛮勇は遭難という形でしっぺ返しを食らうことになった。
「不法に乗り込んだ船が難破してキプロス島に流れ着いた。バカな小娘は当然のように遭難した。そのとき迷い込んだのが、この森だったんだ」
少女マリカを、当時の火守女が助けて介抱した。
「口が悪いし、性格も悪いくせに。弱っていたあたしがまともに動けるようになるまでずっと世話をしてくれた」
「それが先代の火守女。その後は?」
「あたしはここに流れ着いたことを運命だと感じて、恩返しをさせてほしいと頼み込んだ。火守女はあたしに条件を出した。『家事を手伝え。働かぬなら死ね』ってね」
「随分と、キツイ言い方ですね」
「ああ、ホントにね。捻くれた女でね。名を残すことを嫌って、あたしに名前を教えてくれなかったんだ」
「先代さんのこと、好きだったんですね」
「はあ? 口を開けば『ノロマ』『糞袋』『燃やす価値もないゴミ』とか言ってきたあの女を? 無いない。世界一嫌いな女だったよ!」
興奮気味のマリカが腕を組んで椅子にふんぞり返った。
余程、先代に対して鬱憤が溜まっていたらしく、先代の性格が悪いエピソードが山のように出てきて、彼女への恨み節が止まる様子がない。
「ははは……そう聞くと確かにアレですけど……」
――マリカは気付いていないんですね。
チドリにしてみれば、先代火守女とマリカの気難しさや口の悪さは似ている。それだけ二人は長く一緒に居て、マリカは影響を受けたということなんだろう。
当然の疑問がある。
人としては最悪の先代火守女から、何故マリカは火守女の役目を引き継いだのか。
記録にあったが、火守女の継承はとある時期から支配者による強制ではなく、自由意志で後継者に引き継がれていくようになった。その形は現代でも残っている。
マリカも自分の意志で、憎たらしい先代から火守女の役目を引き継いだのだ。
それは何故か?
取材を通して、最大の疑問に立ち戻ってきた。
チドリが疑問を口にする。
「そこまで先代がアレな人だったのに、どうして火守女を継いだんですか?」
「……」
マリカはしばらくの沈黙のあと、重い口を開けて想いを言葉にし始める。
「先代はあたしに大半の家事を押し付けて自分は仕事ばかりやっているような女で、二、三日炉に籠ったままなんてこともよくあった。そんなのを見てたら思うもんさ。炉で何をやっているんだろうってね」
少女マリカの逞しい身体はその頃に下地が出来た。
そして、チドリとよく似た好奇心の持ち主でもあった。
「あたしが火守女について聞いた時、先代は今のあたしと同じように歴代の火守女たちが残した記録を見せてきた。そして、頑固で自分嫌いな先代が火守女になった理由を話してくれたよ」
語られたのは、世間の暗い影の部分で弄ばれた女の生涯。
女は裏社会で人身売買される奴隷だった。
金のために親に売られ、金にするために組織に売られ、金を払った悪趣味なクズに買われた。
女だったことが幸運だったのか、不運だったのか。
女は殺されなかった。だが、人としての尊厳は蹂躙されて、ただ生きているだけの道具同然の生活を送った。それも買い手の気分次第で簡単に死んでしまう環境で。
得るものもなければ、失うものもない。
女は自分の半生を地獄と虚無だと表現した。
飽きたという理由で、また火守女は売られた。今度の買い手はキプロス島の出身者だった。
その人物は当時の火守女に恋をしていて、男の望む素晴らしい見返りを求めて数々の貢ぎ物をしていた。
当然、当時の火守女も掟を守って男の求愛を無視していた。しかし、火守女の役目を知ろうともせず、一方的なアプローチが過激化して、男は遂には過酷な家事を肩代わりさせる奴隷を送ったのだ。
火守女は初めて男からのプレゼントを受け取った。それっきり男は、火守女の家に到達することができなくなった。
火守女は奴隷の女に生活の仕方を教えて、火守女の役目を語った。
女は初めて、自分も人間らしい営みが出来ることを、虚無の人生が大いなる何かのためになることを知った。
地獄を生きた虚無の人生が意味を持つ。
女にとって、世界から乖離する孤独な役目は夢のような素敵な祝福だった。
それが、名を嫌った女が火守女になった理由だった。
「先代はこの孤独が好きだった。けどね、何かの役に立ちたいって気持ちばっかりのガキだったあたしはそれを聞いて、この女を一人にはしておけないと同情しちまった。自分が側に居れば、この女の寂しさが和らいでくれるって思いあがったんだよ」
先代の孤独を癒したい。
それがマリカが人生を捧げて火守女になった理由。
誰かのために。それを貫いた。
なのに。
――どうして、思いあがったなんて?
マリカの表情は憂いがあった。
チドリが不思議に思っていると、
「……来な。炉を見せてやる」
と言ってマリカが席を立った。
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