第3話③
左側の小屋には来客用の部屋があった。そこに、ジョンソンとヤニスが通された。
落ち着かない様子のヤニスは部屋中を何度も見て、たまにマリカを見ては、すぐに視線をそらして横のチドリを見た。そして、また部屋を見回すを繰り返す。
対して、ジョンソンは落ち着いた様子のまま。鞄からクルミが詰まった瓶を取り出して一粒ずつ食べている。
「……いりますか?」
「……結構だよ」
「そちらは?」
ジョンソンはチドリの方に瓶を向けている。
「い、いえ。私も結構です」
「そうですか。すみませんね、私だけ。朝食を食べてないので、もうお腹がペコペコで」
またクルミを食べ始めるジョンソン。
チドリはこの男を知っている。
彼女に火守女のこと、家の場所を教えたのはこの不健康そうな男だった。その時はプランナーだと名乗って、A社の人間だとは言っていなかった。
それに、目的が土地の買収だということも。
A社は観光業に関連のある人間ならば誰もが知っているレベルの大企業。同時にグレーな噂も有名である。まだ知られていない観光資源の権利を違法ギリギリなことまでやって買い上げる。
そう、まことしやかに噂されていた。
噂の実態が目の前にある。
そのことにチドリは緊張していた。
ちらり、と隣の老人を見る。
――あっちの人はヤニスって呼ばれてた。現地の人間っぽい。どうしてあんなに怯えてるの?
マリカが口火を切った。
「さっさと要件を話したらどうなんだい、ええ?」
今のマリカはチドリも見たことがない凄まじい威圧感を放っている。それこそ熊が人の姿をしているよう。この老婆に凄まれれば誰でも怯え
だと言うのに。ジョンソンはクルミを食べる手を止めて、チラリとマリカの顔を見ただけ。特に何も言おうとしない。
代わりに。ヤニスがおずおずと口を挟んできた。
「っ。火守女マ――」
「ぁん?」
ヤニスが名前を呼ぼうとしたのを、マリカが睨んで止めさせた。
「ひ、火守女。こちらの方は、私共の村や他の村にも仕事を手配してくれている。観光は私らの生活には欠かせないものだ。ジョンソンさんはこの土地をもっと豊かにしたいと。是非、火守女様にもご協力してほしいと思っているんだ」
「お断りだ。さあ、話は終わった。さっさと帰りな」
食い下がろうとするヤニスを無視して、マリカは席を立とうとした。
そのとき、ジョンソンが口を開いた。
「銅の精錬は順調ですか?」
チドリにはまったく意味のわからないジョンソンの言葉に、マリカは動きを止めた。
ジョンソンの方を見るマリカは警戒している様子だった。
「この土地が健在で火守女が居るのだから、きっと精錬も順調なのでしょうね。聞くまでもないことでした」
「……ヤニスとか言ったね」
「あ、ああ」
「あんたの母メラニアは立派な女性だったよ。火守女への尊重と誠意を忘れなかった。息子にそれは引き継がれなかったようだね」
「っ」
その釘刺しは効いたようで、ヤニスはそれっきり黙ってしまった。
マリカが座り直して、ジョンソンと向かいあう。
ジョンソンもクルミの瓶を置いて対峙した。
「ヤニスから火守女の話を聞いたんだろ。だが、おかしいね。今の男連中がそんな所まで知っている訳が無い。どうして、銅のことを知ってるんだい?」
「今の時代、
ジョンソンは前屈みになって話を続ける。
「ええ、探すのに苦労しましたよ。超過労働の社員が一体何人出たか。その甲斐があって見つけました。キプロス島の銅貿易の歴史に、火守女が登場するのをね」
「あの、いいですか?」
話に置いていかれているチドリが声を上げた。
「さっきから、銅がどうしたって。一体、火守女と銅にどんな関係があるんですか?」
「おや。聞いていないのですか? 酷いお人だ、火守女。折角取材に来た彼女に、まだ火守女の犠牲の歴史を教えていないのですか?」
「……
「ど、どういうこと?」
「よろしい。折角の機会ですから講義して差し上げよう。資料として残っている火守女の歴史、男に利用された女たちの歴史について」
――――
「キプロス島の銅にまつわるあらゆる資料を調べました。そして、マケドニア帝国の資料に『銅の島は火守女によって契約が維持されるだろう』と書かれているのを発見しました」
マリカは何も言わない。
ただ、ジョンソンの話すままにさせていた。聞き役はチドリ。
「火守女は銅生産に欠かせない要素として重宝されていた。なんと神官として土地の宗教的支柱でもあったようですね。実に素晴らしいことです」
「そんな古い歴史があったなんて……。でも、さっきなんで犠牲の歴史だって言ったんですか?」
「鋭い着眼点です。答えから言うと、契約の犠牲ですよ」
「何の契約なんです?」
「男たちが交わした、精霊との契約」
「精霊?」
「精霊との契約は、精霊を生み育む見返りに利を得るという契約でした。そして、産みと育みは女性の仕事だという価値観に基づいて、この契約は女性の役目となりました。何か、例えば要人の子供だとかを精霊というものに見立てた、一種の儀式ですよ」
ジョンソンが一度言葉を切り、一拍置いて解説を再開する。
「見返りは銅。銅を必要とした軍部の指揮で、火守女になる女性は強制的に集められました」
「強制的って……そんな……」
「一体それがどれだけの数だったのか。記録にないので不明ですが、結局は火守女は一人に落ち着きました。そして、この土地にたった一人の女性が強制的に移住させられた。契約によって、ここは聖地となってしまったために、特別な時期以外での人間の侵入は禁忌とされたのです。そして、火守女は孤独に、この土地で契約のために溶鉱炉を守って銅を精錬しなければならなくなった」
「それって……」
彼女が語ったよりも更に厳しい掟が過去にあった。
古い時代の火守女にそんな歴史があったのか、とチドリは驚いてマリカの方を見た。
「とても痛ましい歴史です。国が変わり、時代が進んでも。精霊との契約だけは残り続けて、伝統に殉ずる女性は生まれ続けた。火守女が一人であるというのは変わらなかったのですね?」
「……それが掟さ」
「そう、掟。それが孤独な女性たちを土地に縛り続けた。男の勝手で始めた利益のために。男たちは、女を犠牲とするを良しとした。まさに火守女とは、女性の犠牲が積み上がった歴史です」
火守女についてジョンソンの講義は終わった。
彼は彼らしい落ち着きを取り戻して、一つ深呼吸をした。
次に提案を切り出した。
「けれど、その伝統と歴史が、価値と意味を持つ道があります。それが観光です」
「あたしを見世物にしようってかい?」
「はい。そうです」
ジョンソンは言い切った。
「そうすることで、貴女たち火守女が歴史の表舞台に浮かび上がり、人々はそれを知って同情するでしょう。そして、ここを痛ましい歴史の舞台だと思って訪れるようになる。貴女という生き証人が火守女の伝統と掟を事実として語ることで、人々はそれに憐みを抱き、人の強欲さと恐ろしさを学ぶ。かくして、広く喧伝して語り継いでいく」
ジョンソンは掌を上に向けて、手を差し出した。
「私は貴女がたのこれまでの犠牲に敬意を表します。支払った犠牲以上の、当然の報いを受け取るべきです。そして、後世に悲劇を伝えるべきです。どうか、私に火守女たちの孤独を意義あるものにするお手伝いをさせてください」
チドリは思わず立ち上がり、それを阻止しようと叫んだ。
「待ってください! ここを観光地になんて、マリカを見世物にするなんてダメです!」
「おかしなことを仰いますね、記者さん。貴女だって彼女を記事にして、見世物にしようとしたじゃありませんか」
「それは事実を伝えるため。あなたみたいに利益を目当てにしてる訳じゃ」
「事実を伝えるにしても、A社というビッグな支援がある方がいいに決まっているじゃないですか。私は会社のために仕事をしています。利益を上げて会社を潤すことは、巡れば自分や部下やその家族が潤うこと。私はそのためならば例え、悪辣だろうとも構わないと思っています。それを悪だと仰るのですか? 利益を、幸福を求めることが悪だと?」
ジョンソンの言葉に、チドリは今の本心を語る。
「……そうは思いません。けれど、私はそういうのが好きじゃない。今は火守女のこと、マリカのことを知りたいと思っています。だから、あなたの知った気になっているだけ言い分は気に入らない」
「好きじゃない、知った気ですか。わがままな子供のようだ」
「くくく……」
マリカが笑う。
その場に居る全員が火守女に注目した。
「歴史ってのは、どの目線に立つかで変わるもんさ。それに、この土地じゃ女のわがままの方が通るんだ」
そう言うと、マリカはジョンソンの手に唾を吐き捨てた。
「……」
「それが答えだよ。教えておいてやろう。あんたは火守女たちを犠牲になった女だと表現したがね、それは犠牲にした男側の意見なのさ。引き継いできた女たちには、女たちなりの覚悟と理由があった。それを男にわかったように語られるのは、
「……なるほど」
ジョンソンはヤニスの方に汚れた手を差し出した。何も言われずともヤニスがハンカチで唾を拭く。
「間違いは認めましょう、こちらのリサーチ不足だった。けれど、これが美味しい話であるのは間違いない。そこを考慮されましたか?」
「考えるまでもない。火守女に伝わる言葉がある。それは『利を求めるな』だ。あんたは悪かどうか聞いたがね、火守女に言わせれば強欲さは悪だ」
マリカの言葉に、ジョンソンは顔色一つ変えず明確な嫌悪感を覗かせた。
それはマリカの言うことが理解できない否定のまなざし。
ジョンソンがバッと手を上げた。
すると、ヤニスが老人とは思えない機敏さで動く。立ち上がり、忍ばせていたナイフを抜いてチドリを人質にしようと襲い掛かる。
悪辣極まりない最終手段。
火守女が女を見捨てないこともリサーチ済み。これは有効な手段である。
火守女は男を毛嫌いしていて女を重視する傾向がある。脅すなら女を使うべきだ。しかし、孤独な火守女に脅す材料はない。ならば、その材料を用意すればいい。
初めから、ジョンソンはこの展開のためにチドリを送り込んでいた。発信機を仕込んだのはもののついででしかない。
「え?」
突然の展開にチドリは声を漏らすばかりで全く反応できない。
ヤニスの手がチドリに迫る。
それより速く。
マリカの大きな手がヤニスの顔を掴んだ。
もう一方の手でナイフを奪い、万力のような力でヤニスの頭を締め上げる。
「が、がああっ!?」
「……男がこの地を踏むのも禁じられてるってのに。まさか、この地で男が女に手を上げる訳ないよねえ?!」
「――⁉」
余りの痛みにヤニスは声にならない悲鳴を上げる。ジタバタと苦しむ様はヒキガエルのようだった。
マリカの能力を目の当たりにして、ジョンソンは諸手を上げて降参した。
「……止めました。今日の所は交渉の余地なしと諦めます」
「…………そうかい」
ジョンソンのその言葉に、マリカがヤニスを解放した。
涙目のヤニスはすぐにジョンソンの傍に戻った。
「帰りな。見逃してやる」
「それは有り難いですね。ヤニスさん、お疲れさまでした。今日はもう帰りましょう。労災申請は後日にお願いします」
立ち上がったジョンソンはクルミの瓶を回収して出口に向かう。ヤニスもそれに従った。
すると、出口手前でジョンソンが振り返った。
「後学のために教えてください。どうして、この地は男禁制なのですか?」
「あん? そんなの男嫌いの火守女が勝手に掟に加えたのさ。別に
「……なるほど。こちらの知らない資料があるようだ。確かに、これは一方の視点からではリサーチ不足だったようです。用いる論理が違う相手に価値の交渉は悪手でした」
「そうだね。二度とくんじゃないよ」
「まさか。今度は火守女側のリサーチをしっかりとして、建設的な話し合いができるようにしておきますよ」
土地の観光地化を目論んでいたジョンソンとヤニスは火守女の家から去った。
残されたチドリは初めて襲われる事態に直面して、未だに放心状態だった。
「ほら、チドリ。しっかりおし」
マリカに揺すられて、チドリは正気を取り戻す。
「あ。マリカ。その、ありがとうございます」
「いいさ。あんたは……」
何か言おうとして、止まったまま首を傾げるマリカ。
「あんたをどう言えばいいんだろうね……? 同居人? 居候? 客?」
「……あのぅ、普通に友人じゃダメなんですか」
「……ああ。そういう関係もあったねぇ。うん、たまには普通も悪くない。あんたは友人だからね」
そう言うマリカはいつもと違うニカッとした笑顔を見せた。
そして、チドリの腕を引っ張って立たせ、わかっているとばかりに問いかける。。
「知りたいんだろう?」
「……はい。マリカのいう、火守女側から見た歴史が知りたいです」
「わかった。火守女の記録、そして秘密を教えてあげるよ」
二人は、マリカの提案で右側の小屋に移動した。
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