第3話②

 石造りの古めかしい外観でありながら観光客向けのレジャーを兼備した宿の一室。宿泊用ではないその部屋は、観光客が使用する部屋よりも豪華な作りをしている。

 宿を経営しているのは観光事業で剛腕を振るう企業で、その部屋は企業関係者用のものだった。

 白髪が目立つ老年の男と濃い隈が浮かぶ男が部屋を利用していた。

 隈の男はクルミを割り、実についた薄皮を丁寧に剥きながら口を開いた。


「ヤニスさん、彼女は火守女の家に行ってくれたでしょうか?」

「はい。宿の者に確認したところ、先日出立したそうです」

「そうですか。それは良かった」


 皮をむき切ったクルミを瓶に入れてから、男はスーツのポケットから発信機の受信装置を取り出した。


「GPSも機能しています。動いていないので、恐らく火守女の家に到着したんでしょうね」

「あの、ジョンソンさん。本当に火守女と交渉なさるおつもりですか?」


 ヤニスの言葉に、ジョンソンは眠たげな眼を向けた。


「はい。観光事業に必要なのは歴史資源です。歴史が古いほど、観光地の価値は上がるもの。歴史が新しいほど、大勢の興味関心を惹けるもの。歴史は太古か最新でなければならない。そういう意味では、火守女というコンテンツは丁度いい塩梅なんです。太古の伝統でありながら、今まで誰も知らなかった最新。A社の経営方針としても、逃す手はありません」


 ジョンソンの言葉にヤニスは渋い顔を浮かべている。


「すみません、私には、小難しい話はわかりません」

「そうですか」

「ですが、伝統であるのはその通りです。メッセンジャーに選ばれるのは常に女だけでした。実物を知りませんが、男連中は火守女という噂を祖母たちから聞かされます。決して、男が踏み入れてはならない地に住む立派な女だと」

「……ヤニスさん、要点はなんでしょうか?」


 ヤニスもバカバカしいと思っている。

 けれど、口ごもりながらも幾度となく聞かされてきた火守女の伝統と忠告について話す。


「火守女の家は、お、男が入ってはならない禁域だと教わります。それを破った男に火守女は襲い掛かるとも。『女でありながら勇猛で、博識で、慈悲の心を持っている。けれど、欲深い男には残虐で、冷酷で、恐ろしいドラゴンのような怒りを向ける』と……」


 最後の方は小声になりながら語っていたヤニス。

 ジョンソンはクルミの剥き実が詰まった瓶を閉めた。


「従軍経験もあるヤニスさんも子供の頃の教訓は恐ろしいものですか。……確かに。エネルギーを宝と見立てれば、火守女はまさに宝の番人たるドラゴンですね」


 最後のクルミの実をジョンソンは握りしめる。


「では、さしずめ我々はドラゴンスレイヤーなのかもしれませんね」


              

               ―――

 


 チドリが火守女マリカの生活に密着取材することになって数日が経った。

 都会暮らしとは異次元の生活で、家事手伝いをするチドリは戸惑うことばかり。薪割りや洗濯がとんでもない力仕事で、グランピングしか経験のないチドリはすぐに役立たずになった。

 それでも、薪割りぐらいはできるようになってもらうとマリカに一から仕込まれて、女の細腕でも出来る割り方を教わって、拙いながらも薪割りをできるようになった。

 

「仕事を覚えな。出来ないことはやらせないけど、出来ることは増やしてもらうよ」


 そうキツく言われたときはチドリも億劫おっくうに想ったものだが、今ではマリカから教わる全てが新鮮で楽しいと感じていた。

 ただ、チドリにもこの共同生活でマリカに対して不満があった。

 それは――


「嬢ちゃん、この皿をテーブルに持って行っておくれ」

「はい。……あの、名前」

「さっさとしな、ノロマ」


 マリカは頑なにチドリの名前を呼ばない。それがチドリの悩みだった。

 取材のためにも共同生活を送る中でそれなりの信頼関係を築きたいチドリは、是非ともマリカに名前で呼んでほしいのだ。

 二つ並んだ小屋の右側――扉が無く、もう一つの小屋に通じる通路からしか入れない――がプライベートな空間になっていて、食事はいつもそこで摂る。小屋には、自作調味料が並ぶ台所と暖炉、ソファと食事テーブル、沢山の本や紙資料が置いてあった。

 マリカがお気に入りの暖炉前の椅子に座る。

 向かい合う位置の椅子にチドリも座る

 食事はいつもマリカが作る。一流料理店のような飾り気はないが、味は負けないレベルだ。しかも、レパートリーが多い。基本は固いパンとスープなのだが、スープもチドリが飽きないように毎日味付けが違う。

 チドリはすっかりマリカの料理の虜になっていた。パンを赤いスープに浸して、柔らかくしてから頬張る。トマトの酸味がマリカ自作の調味料で食べやすいものになって美味しい。


「料理の材料って仕入れどうしてるんですか?」

「村の人間が相談に来るときに、報酬として持ってきてくれるよ」

「相談ってどんな?」

「生活の悩みだとか、天気や自然とどう付き合うかとか。たまに恋愛相談を持ってくるときもあるが、こんなババアに何を聞きたいってんだろうね。若いんだったら、さっさとやることやっちまえばいいんだよ」

「それは極端な気も……。あ、これ。野草ですよね。野草も持ってきてくれるんですね」

「いいや。野草は自分で摘んでる」

「え。だ、大丈夫ですか?」

「バカ。しっかり勉強した上で採取してるよ。こんな場所に一人で暮らすんだ。水質調査、毒草知識、害獣対策。全部勉強しなきゃならないんだよ」

「なるほど」

「歳をとると全部のことが遅くなっちまうけどね。若い頃は、一日で全部やったこともあるんだよ」

「へえ」


 話の途中だが、思い切って名前の件を話してみた。


「ところでマリカ、私のことチドリって呼んでみません?」

「なんだい、藪から棒に」

「やっぱり共同生活をしているなら名前で呼び合うものだと思うんですよ、普通。嬢ちゃんじゃ、私だってわからないじゃないですか」

「ここにはあたしと嬢ちゃんの二人だけ。あたしゃ老婆だ、あんた以外の誰が嬢ちゃんだってんだい。嬢ちゃん」


 ゴツくて老婆に見えないと思ったのを飲み込んで、チドリは食って掛かる。


「前から思ってましたけど、ちょっと馬鹿にしてますよね?」

「まさか! ひょろっちくて薪割りもできなかった役立たずだなんてそんな……、ましてや、子供でも出来ることが出来ない役立たずだからって嬢ちゃんと呼んでると? まさかまさか……」

「……そこまで言ってないんですけどどうも解説頂きありがとうございます」


 マリカが喉を鳴らす。


「くく……まあ、最初はそう思ったよ。実際ね。あたしはずっとここで一人暮らしだ。出来なきゃ生きていけないし、都会の発展や世間の常識とは無縁の生活さ。あんたの言う『普通』とか知ったこっちゃないのさ」

「どうして火守女は一人なんですか? 何か決まりでも?」

「ああ、あるよ。火守女の役目は一時代一人でなければならない、そういう掟さ」


 マリカは火守女のことについて自発的に話しはしない。けれど、チドリが聞いたことには答えてくれる。

 それでも、絶対に答えないことがある。


「なら、マリカはどうして火守女になったんですか?」

「……言ったろ。それは『最後の仕事』のときに話してやるって」


 マリカが火守女になった理由。

 仲良くなれば教えてくれるのでは、とチドリは打算をもって信頼を築こうとしていた。けれど、そのガードは固い。


「けど、火守女って土地の相談役なんですよね? 代々続いてる訳だし世襲制かと思ってたけど……あの、火守女の話で独り身の女でなければならないって聞いたんですけど、本当ですか?」

「ああ、本当だよ。掟で所帯を持てない。処女である必要はないが、子供を作ってはいけない」

「それでどうやって後継者を?」

「運命じゃないかねぇ。少なくとも、あたしの場合は運命的な偶然さ」

「! 是非、聞きたいです!」


 チドリは身を乗り出して食いついた。マリカの自分語りはとても珍しいことで、ここは掘り下げなければと意気込んでいる。

 しまった、と舌打ちをするマリカだが観念した。


「まったく簡単にだよ。あたしは遭難してた所を、先代の火守女に助けれたんだよ。その火守女から役目を引き継いだ。はい、おしまいおしまい!」

「ちょっと、そうはいきませんよ! まずは先代さんの名前を教えてください。その後はどうしてマリカが遭難していたのか――」


 まくし立てて質問をぶつけるチドリ。

 マリカは昔を懐かしむ表情で、呟くように答えた。


「名前なんて無かったよ」

「えっ?」

「先代はね、あたしに名前を教えちゃくれなかったよ。名前なんてものは捨てた、外の世界とつながってしまうからってね」

「つながってしまうって……火守女って土地に相談役なんですよね?」

「……違うよ。火守女の役目はそんなものじゃない。むしろ、外の世界とつながりを持つことは掟で禁じられている」

「ちょ、ちょっと待ってください。なら、どうして土地の相談役なんて。今こうして私の密着取材受けてるのだって……」

「火守女の話はここまでにしようじゃないか」


 戸惑うチドリの疑問には答えず、マリカは話題を切り上げた。

 彼女は意地悪い笑みを浮かべ、肘をテーブルについて頬杖しながらチドリに言葉を発する。


「フェアにいこう。今度はあんたの番だ」

「え? な、何がですか?」

「こっちはつい口を滑らしちまったからね。あんたの話を聞かせな。質問してやるよ、チドリ」

「……ずるい」


 さっきの続きを聞きたい気持ちがあるが、マリカが誠意を見せたこともあり、チドリは提案を飲んだ。


「……どうぞ」

「そうさね……。結婚はしてないね。どうして結婚しないんだい?」

「相手が居ない、じゃダメですか?」

「ダメだ」

「……興味がないんです。両親は結婚したほうがいいって言うけど、そうは思えなくて」

「ふ~ん。好きな男とかは? 居たんだろ?」

「はい。好きになったから色々知りたくて、昔の彼女のこととか趣味とか好みとか聞いてたら……」

「嫌われた?」

「まあ、はい。気持ち悪いって。正直、この経験もあって結婚に期待が持てないってのもありますね。フラれた時も、こういう所を変えたいとは想えなかったんで」

「なら、今は仕事が好きなのかい?」

「好きな方です。けど、仕事一筋って訳でもなくて……」


 チドリは水の入ったグラスを見つめながら、ぽつぽつと語り出す。


「変な話をしますけど。私、周りが言うような幸せとかに執着がなくて。自分の好奇心を満たしたいって気持ちが強くて。確かに仕事の中で競争はありますよ? けど、それに勝ちたいってよりも、自分が調べて用意するものが他の人より劣っていてほしくないって感じなんです」

「それは何か違うのかい?」

「だって、私の方が絶対知りたい気持ちが強いのにそれで負けちゃったら、今までの私ってなんだったんだろうってなるじゃないですか。それ以外興味がないってのも、ただの強がりみたい……」

「もう五十年近く競争とは縁がないあたしには馴染みがない感覚だね。……仕事や環境に不満はあるのかい?」


 マリカの言葉に、チドリは少し考えてから口を開く。


「……わかりません。周りと大事にしてるものが違うって思うことはあっても。それが自分のせいなのか、周りのせいなのか。……ただの勘違いなのかも」


 自分の中で何かに得心がいったチドリ。


「あ。もしかしたら、火守女のことを知りたいって思ったのも、当たり前の幸せから遠い所にいる女性の話が聞いてみたかったのかも」

「……」


 マリカは黙ったままテーブルを立ち、チドリの方に手を伸ばして。

 拳骨をチドリの頭に押し当てた。

 岩のような手が万力のごとき力で圧迫してきて、頭が割れるように痛いチドリが悲鳴を上げる。


「痛い! いたたた!!」

「幸せから遠くて悪かったねッ。これが独り身女の怪力だよ。っと、イタタ……」

「あ。肩、大丈夫ですか?」

「ああ。別になんてことないよ。あんたのマッサージも効いてる。長く座りすぎただけだ」


 二人はそれから後も、なんてことはない話を続けた。

 着替えがなくなったチドリにマリカの若い頃の服を渡すだとか、マリカの腰痛がチドリのマッサージのおかげで改善してるだとか、村人が持ってくるパンが固すぎるだとか。特に目的のないお喋りを楽しんだ。

 夜も更けた頃、マリカが眠るというので、チドリも左側の小屋に用意されている自分のベッドに入った。

 ベッドの中で、チドリは今日聞いたことを思い出しながらメモ帳に書き留めていく。


「……今度はどんな話が聞けるかなぁ」


 次への期待を胸に、チドリも就寝した。






 次の日。

 火守女の家に招かれざる客がやってきた。

 

「どうも。私、A社のジョンソンと申します。今日は、この土地をお売りしていただきたくて伺いました。……ああ。日本人のお嬢さん、無事ご到着されてましたか。それは良かった」


 濃い隈の残る顔に薄い笑みをたたえて、ヤニスを連れたジョンソンがそう言った。

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