第3話①

――錬金術師パラケルススは多くの精霊を紹介する書を出した。

  その中に含まれている『精霊サラマンダー』を知っているかな?

――うんうん。流石に知っているか。有名だよね。

――なら、そのサラマンダーに、人間に飼育されるドラゴン『ピュラリス』が関わっ

  ているって知っているかな?


――そうだ。言っておくことがある。この物語が終わった後、少し話そうじゃない 

  か。キミの言葉を聞いてみたいんだ。



 チドリは選択を迫られたとき、自分の直感を信じるタイプだった。

 そして今現在、彼女に突き付けられている選択とは。

 森に遭難した状況。針が溶けた方位磁針。底をついた水。

 目の前に現れ、どこかに誘う火の玉。

 救助を待つか、火の玉に付いていくか。

 二つに一つ。運命の選択。




 チドリは日本の旅行雑誌記者。

 彼女が働く会社はネットの流行と極力競わず、ニッチ路線を攻める内容の雑誌を刊行していた。これが生存戦略として成功して、世界各地の独自の風習や文化を取り上げたコーナーはマニア的な人気で、チドリはそこの担当チームに所属していた。

 そして、今チドリが居るのは、地中海で三番目の大きさを誇る島、キプロス島。

 リゾート地である一方で、アフロディーテ神殿跡などの歴史を感じさせる魅力もある。キプロス島自体の歴史も深く、特に『銅』の語源になった島だというのは有名だった。どこかの遺跡から出土した古代の銅製の斧にキプロス島の銅が使われていた、という発見もあった。

 近代に入って、独立によって北部と南部が分かたれていたりするが、美しい海と自然が広がる穏やかな土地として知られている。

 彼女にとって初の単独取材。しかも、内容は自分で決めていいと来た。

 だから、リゾート地観光も兼ねてキプロス島にやってきたのだ。

 取材対象を探す中で幸運にも、プランナーを名乗る男から興味をそそられる話を聞いた。


 プランナー曰く、それは『火守女ひもりめ』のお話。


『元鉱山だった山の谷間に、とても古い溶鉱炉がある。それは火守女の家と呼ばれた。

 古くから、その溶鉱炉を独り身の女が住み込みで管理していた。

 溶鉱炉を守り維持する女は、火守女と呼ばれて常に独りだけで土地の相談役もやっている』


 その存在はキプロス島の村々で秘かに語り継がれていて、それぞれの村には相談役に唯一会うことのできるメッセンジャーの村人――何故か女性だけが成れる――が居たという。

 そして、プランナーはこう付け加えた。

『今も火守女は居て、ずっと溶鉱炉を守り続けている』と。


 火守女の話を聞いたチドリは直感で「これだっ」と決めた。

 伝統として溶鉱炉を守り続ける女性。その文化の意味と由来、現代の火守女の生の言葉。何故、火守女となったのか。

 全てがチドリの心を躍らせるロマンだった。

 絶対に取材してやると意気込み、万全の準備をして火守女の家に向かったのに。

 彼女は今、森の中で不可思議な現象の連続を体験した果てに、運命の選択を迫られていた


「落ち着いて落ち着いて。焦っちゃダメ。遭難なんかしてないわ。してるもんですか。私は火守女の家を目指してまっすぐ進んでた。だから、同じ場所を通ってるなんて錯覚よ。森だから同じような景色が連続してるせい。方位磁針の針が溶けたのだって、きっとポケットに入れてたせいよ。熱されたんだわ。火の玉だって、そりゃ地中海にもいるでしょうよ。多分」


 チドリは落ち着きたくて、一度座ることにした。

 そして、地面に触れたとき。


「……


 地面が温かい。森の空気は冷たいのに。

 そう思ったとき、ふとチドリの視界の端にまた火の玉が飛んだ。

 チドリがそちらを見ると、例の光球が浮かんでいて、ふわふわと風に飛ばされるように奥へと流れていった。チドリがそれを見送ると、今度は戻ってきて、また奥へと流れた。

 やはり、さっきから火の玉はチドリを呼んでいるようだった。


「……」


 奇妙な出来事にチドリは言葉を失くす。怖気とちょっとした興奮を感じていた。

 二つに一つなら追いかけてしまおうか、と立ち上がりかけたとき。

 光球が消えた奥の方の空に煙が上がっているのを見つけた。


「『溶鉱炉は常に火がついているから煙が絶えない』って……あれ、かな?」


 煙が目的地であってほしいという期待を胸に、チドリはそれを目印にして既視感だらけの森を進む。

 やがてして、チドリは森を抜けて山の谷間に出た。

 そこには、奇妙な形をした家と煙を吐き出し続ける小屋が建っていた。


「ここが『火守女の家』……」


 さっきまで遭難していたことも忘れて、チドリは建物をじっくりと観察し始める。

 家は山小屋を二つ横並べにして、その間を通路で繋げていた。右側の小屋には扉がない。左の小屋から入って通路を通らないと、右の小屋に行けないようになっていた。

 家の横に薪置き場と小さな工房があって、工房と家の間に糸が張られて洗濯物が干されている。全てよれよれの女性ものだ。どれもとても大きい。これを着る女性は、バレー選手ばりに長身だろう。

 周囲に井戸が無い。けれど、水の入った桶が干された洗濯物の下にあるから、恐らく水源が近くにある。

 煙突付きの小屋――恐らく溶鉱炉があると思われる――は家の裏手にあって、そこは土地の形によって家より少し高い位置だった。山肌に隣接するように建っていた。

 小屋の煙突からは今も煙が上がっている。火が熾っているのだろう。

 小屋の中を見たい想いを堪えて、大雑把に火守女の家を観察して満足したチドリは家の正面に戻る。


「はあ~。すっごい。これだけで立派な観光名所になりそう。自然の厳かさの中で、ここだけ人の生活感がある……谷を作る山が岩肌むき出しなのも相まって映えるなあ」


 日本では中々お目にかかれない景色に、チドリは思わずカメラを構えた。すると、谷を吹き抜ける強風にあおられてよろける。

 こけそうになったチドリに向かって、野太くて不機嫌そうな声がかかる。


「許可もなく、人の家を撮るんじゃないよ」


 チドリは声の方に振り向いた。

 180cmはあるかという身長、筋肉で大きくふくらんでみえる全体像は熊にそっくり。服は色あせていて虫食い穴を修繕した痕もある。その服を張り詰めさせるほど筋肉質な体は背筋がピンッと伸びている。たくましい両腕に水が一杯に入った大きな桶がぶら下がっている。

 小さな火傷痕がある赤い顔は、いくつも皺があるが若々しく見える。今は不機嫌そうに眉根が寄せられ、チリチリとした髪質のショートヘアも相まって、憤怒形の仏像にも見えた。

 そんな鬼みたいな人物に睨まれて、有り体に言ってチドリはビビった。


「ひっ。ご、ごめんなさい、ごめんなさい! お願いだから食べないで!」

「あん?」


 何度も頭を下げて必死に懇願するチドリに、声の主は首を傾げた。

 だが、すぐに得心がいった顔になり、意地の悪い笑みを浮かべる。


「……そうはいかないねぇ」


 そう言って、老婆は大股でチドリの傍にやってきた。

 頭を下げた姿勢のチドリを見下しながら、言葉を続ける。


「あんたは勝手にここに来たんだ。あんたをどうしようがあたしの勝手さ。さぁて、……どうしてやろうか? その柔らかそうな腹にかぶりついてやろうか。いや、その控えめな胸の方が美味いかな?」

「ひぃ⁉」

 

 思わずチドリは自分の胸を隠す。

 

「……プッ。アッハハハハ! そんな生娘みたいなっ、ハハハハ!」

「……へ?」

 

 突然大笑いし始めた老婆は、呆然としているチドリに話しかける。


「こんなナリだ、あたしが熊にでも見えたかい? 安心しな、とって喰いやしないよ。あんまりにも怯えるもんだから、ちょっとからかったのさ!」


 そう言うと、チドリのリアクションが余程彼女のツボに入ったらしく、老婆は思い出し笑いを必死にこらえている。


「は、はは。そうですか……。お凄いですね。桶二つも」


 下手くそな愛想笑いを浮かべるチドリの言葉に、マリカが自慢気に桶を持ち上げてみせる。


「これでも鍛えてるからね。とは言っても、歳には勝てないよ。力で桶は持てても、肩が上がらなくなってきたし、近くのものが見えなくてね」


 マリカは辛気臭い話は止めだと言って、チドリの方を見る。


「それで、あんたさんはどちら様だい?」

「あ、はい。あの私、日本から来たチドリという者です。旅行雑誌の記者をやっています」

「で、その記者さんがわざわざ日本からこんな場所に何の用だい?」

「実は取材中に『火守女の家』の噂話を聞きまして。ぜひ、当代の火守女であるマリカさんに取材をさせていただきたいんです」

「ふぅん、よく知ってるね」


 老婆はそっぽを向いた。谷の方――チドリが例の炉があると予測している小屋――を見ている。そのままでチドリに問いかける。


「あんた、ここまで一人で来たのかい?」

「ええ、はい。村の人にガイドを頼んでも、断られてしまって」

「まあ、そうだろうね」

「けど、宿でここの場所を地図に書いてくれた親切な人たちが居て。あ、火守女のことを教えてくれたのも、そのプランナーなんです」

「……そうかい」


 チドリに場所を教えた人物の話を聞いたとき、マリカは何かを探るようなまなざしでチドリの方を見た。


「それよりあんた、ここに来るまでに何か視たかい?」

「はい。火の玉を見ました」


 チドリは自分が森で遭遇した光球や奇妙な現象について語った。

 老婆はそれを黙って聞いていた。チドリの話が終わったとき、再度口を開いた。


「……。いいだろう、受けるよ」

「え?」

「取材を受けるって言ってんだ。ただし、条件がある」

「じょ、条件ですか。それは何でしょうか?」

「密着取材だ、住み込みでね。あたしが『最後の仕事』をあんたに見せるまでが期限だ。この二つが条件さ。どうだい?」

 

 奇妙な条件に、チドリは戸惑う。

 密着取材が出来るならそれに越したことはない。住み込みだって、高校生時代の修学旅行がホームステイだったから問題ない。けれど、あまりにも抽象的なな内容に戸惑いがある。

 仕事としての納期だったりがあるし、会社に連絡も必要だろう。無期限となったら許可は下りないだろう。

 そう思っているが、それとは別に。

 チドリの心は、未知の世界への予感にワクワクしていた。

 そして、チドリは選択を迫られたとき。自分の直感を信じて、多少の問題は後回しにするタイプだった。


「ぜひお願いします! むしろ、お願いします!」


 チドリの返事に老婆はニカッと笑った。


「なら、手伝いな。今から昼飯を作るんだ。働かない奴に飯は出さないよ」

「はい! ……あ。ところでご本人に確認しなくていいんですか?」

「はあ? 本人って、誰だい」

「火守女のマリカさんですけど……」


 老婆とチドリは顔を見合わせる。

 沈黙。

 老婆が噴き出した。


「プッ、ハハッハハハ! ホント面白い嬢ちゃんだねぇ! まさか気付いてないのかい⁉」

「え、え?」

「ヒーヒヒ……あー。確かに自己紹介がまだだった。悪かったね」


 桶を置いた老婆が名乗る。


「あたしがマリカ、当代の火守女さ」

「え、……ええ⁉」



 孤立した場所にある家で炉を守り続ける孤独な火守女と、密着取材をすることになった女記者の共同生活が始まる。

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