第3話④
辺りはすっかり夜になって深い闇が広がっている。
しかし、周囲の景色はほのかな明かりに照らされていた。家の光ではない。炉から漏れている炎の明かりだった。
黙ったままのマリカは大股に先を進む。チドリが早足でその背を追う。
炉が設置してある小屋の前で立ち止まったマリカが振り返った。
「ここから先、絶対にあたしの言う通りにするんだ。いいね?」
「は、はい」
マリカの厳かな態度もそうだが、何より外に居ても感じる凄まじい熱気がチドリを圧倒していた。神社などで感じることがある、ここから先が神聖な場所だと言う雰囲気。それを熱が伝えていた。
チドリの様子を一瞥してから、マリカはドアを開けた。
ブワッ。
小屋に溜まっていた熱気が溢れた。
思わず顔を腕で庇うチドリ。肌が焼けるような錯覚を覚える。
やがてして熱気に慣れてきて、少しずつ目を開ける。
視界に、赤々とした光が飛び込んできて眩しい。
それに慣れたとき、古めかしい継ぎはぎだらけの溶鉱炉とその中で勢いよく燃えている炎を見た。
小屋の中は炎で真っ赤に照らされて、同じように真っ赤になったマリカが防火用の手袋と服を用意していた。
「ほら、さっさと入ってきてこれに着替えな! 素人は慎重すぎるほどに慎重な方がいいんだ!」
火勢のために大声で喋るマリカ。
当のマリカは防火手袋だけ。暑いからと腕まくりまでする始末だった。チドリは手こずりながらも装備に着替えた。
基本的にマリカがチドリの前に立つ。火とチドリの間に居て壁になる構図だった。
「いいかい、これから炉の前に行く。絶対にあたしの前に来るんじゃないよ?」
慣れない装備の着心地の悪さと灼熱を味わっているチドリは頷き返すので精いっぱい。
マリカに手を引かれて、チドリは炉の前まで移動する。
先にマリカが側においてあった精錬前の銅鉱石をシャベルで掬いとって、炉の中に放り込んだ。
しばらく中の様子を伺っていたマリカが振り返り、チドリを手招きする。
ジェスチャーに従って、チドリはマリカの後ろから炉の中を覗き込む。
「わぁ……」
「これが、火守女たちが守り続けるピュラリスさ」
銅が燃える炎の中で、炎に負けない煌めきが飛び回っている。
それはホタルが飛び回る様に似ている。目が慣れてくると、それが大人の手の平ほどもない、とても小さなドラゴン――ピュラリスだとわかる。
ピュラリスたちは燃える銅の上空を飛び回り、時に喧嘩するみたいにぶつかって、時に一体となって隊列を作ったりしていた。全てのピュラリスが口をパクパクと動かしていた。
「気化した不純物を食べてるんだ。あの子たちが炉の温度を保ったり、調節したりして銅の精錬が進む。この子たちが居るからこんな古臭い炉でも純度の高い銅が作れる」
「ホントに。ホントに、居たんだ」
「ああ。そうだ。ここにはピュラリスが実在しているのさ」
正直な所、チドリにマリカの言葉は届いていなかった。ただ目の前の光景――ピュラリスたちの光の軌跡――を目に焼き付けるのに夢中だった。
ふと、チドリは炎の奥に丸い石みたいなのを見つけた。
「あれ、あの石みたいなの。アレは何ですか?」
「あれがピュラリスの繭――羽化前の精霊サラマンダーさ」
「あれが……」
「よっと――」
マリカがシャベルで繭を取り出した。
「い、いいんですか⁉」
「ああ。ここ数日、こいつに付きっ切りだったのさ。この子はもう羽化する時期に入ってる」
シャベルに乗っかっている繭は燃えていた。
金属質な黒光りをした繭で一見すると鉄の塊に見える。しかし、その表面には波紋が浮かんで常に動いている。
マリカは繭を炉の隣にあるスペース――大量の水が入った設備と金床が置いてある鍛冶場――の地面に置いた。
繭は燃え続けていた。
「あ、あの。これ、大丈夫なんですか。燃えてますけど」
「黙って見てな。これを見守るのも仕事だ」
マリカの言葉を信じて、チドリも黙して繭の羽化を待った。
やがてして繭の炎が弱まってきた。
徐々に、徐々に火が小さくなって、完全に消火されて繭だけが残った。
繭は輝きを増して波紋が収まった。
すると、繭がぶるぶると蠢き始めた。
「う、動いてる。動いてますよ!」
「黙ってな」
興奮するチドリはじっと繭の行く末を見つめる。
震えは強くなって、――ピタリと止まった。
「あっ」
「シッ」
もぞり。
繭だと思っていたものは、唐突に巻きつけていた尻尾を伸ばした。
今度は後ろ足、もう一方の後ろ足、前足、もう一方の前足が順に伸びて、元の形に戻るみたいに開かれていく。
それを見ていて、チドリはあることに気付いた。
ずっと繭が黒光りしていると思っていたが違った。照り返していたのは繭の表面に分泌されていた粘液だったのだ。その粘液が繭の展開に合わせて、地面を濡らしていく。
やがてして完全に羽化を終えた繭――精霊サラマンダーはまるでオオサンショウウオのよう。
「う、ウーパールーパー……」
「サラマンダーだよ。いや、あれもメキシコサラマンダーだけど」
サラマンダーはのっそりと動いて、チドリの方を見上げた。
「あ。えっと、こ、こんばんは。よく頑張ったね」
自然とチドリはそう口にしていた。
サラマンダーは黒々とした目をしていて、横に広い顔で表情のようなものはない。だから、チドリを何故見ていたのかは不明だ。
しかし、チドリの言葉に反応するかのように、
「クァ~~」
と啼いた。
「え、え」
「あんたを気に入ったみたいだね。今の内に触ってみな」
「い、いんですか?」
「ああ。だけど、噛まれないように気を付けなよ」
「か、噛むんですか⁉」
「冗談だよ冗談」
「もう……」
手袋を外していいと言われて、チドリは渋々と手袋を外した。
恐るおそる手を伸ばすチドリ。サラマンダーはじっとしている。
あと少しで触れる直前でチドリは手を止め、少し待ってからそっと触れた。
「あ、冷たい」
「そう。サラマンダーは体表の粘液で体内の火と熱が漏れるのを防ぐんだ。けれど、中はさっきの炎の数千倍の温度だ。だから、噛まれたら手が溶けるよ」
「やっぱり噛むんじゃないですかぁ⁉」
思わずチドリが手を離すと、サラマンダーが地面に頭を突き刺した。
すると、さっきの緩慢な動きが嘘のように、水を泳ぐように流麗に地面へと潜っていった。
「あ、行っちゃった……」
「サラマンダーはああやって大地に帰還し、大地の穢れを熱で浄化し、土地を豊かにするんだ。そして、サラマンダーが眠る大地で銅を燃やすとピュラリスが発生する」
「……それが、火守女の仕事なんですね」
「ああ、そうさ。人を生かすために土地を守る。土地を守るためにサラマンダーを守る、サラマンダーを守るためにピュラリスを守る、ピュラリスを守るために炉の火を守る。炉の火を守るために土地を守る。この循環に、あたしら火守女は人としての人生を薪にしたんだよ」
マリカの顔は誇らしそうで、炎の明かりで影になっている部分が寂しそうに見えた。
だから、チドリは聞かずにはいられなかった。
「どうして、そんなに悲しそうなんですか?」
「……精霊が実在するんだ。なら、精霊が選ぶってのも真実だ。遭難して凍えていたあたしの命を救ってくれたのはサラマンダーだったんだ。精霊があたしをここに導いた。全ては運命だった」
言葉を区切り、マリカは息を吐いてから言葉を続けた。
「あたしが、自分を燃やすように炉に執着するあの捻くれた女を独りにしておきたくないと思ったのも。同情したのも。あたしの前に、チドリがやって来たのもね」
それが、火守女たちの覚悟と心を馬鹿にしているようで複雑な気持ちなんだ、とマリカは言った。
ピュラリスの世話と火の管理を終えて、マリカとチドリは炉を後にした。
二人は精錬された銅の入った桶を持って家に帰る。
「これを村の人間を通して売れば生活費になる。結構評判いいんだよ」
「え、いいんですか? 火守女は……」
「『利を求めるな』だろ。火守女はずっと利益に翻弄され続けていたからね。その戒めは怒りと抵抗さ。……けどね、それじゃ誰もここにやって来ないんだよ」
その声は寂しげだった。
その言葉を聞いて、チドリはやっと確信を得た。
「やっぱり寂しいんですね。火守女の孤独が」
「……そりゃね。あんたも記録を見ただろ。歴代の火守女が書き残した、独りの苦しみを。だから、相談役として在り続けたし、わざと銅を人里に流し続けたんだ。外と、人と繋がりを失くしたくなくて。……寂しいなんて気持ちが最後に残る人間らしさなんだよ」
「当然ですよ。寂しいのは嫌ですもの」
チドリの慰めに、マリカが納得いかないと言うように首を捻る。
「本当にそう思うかい? たまに思うのさ。あたしや他の火守女に覚悟が足りなかっただけじゃないのか。名前を捨てて、世間を捨てた先代だけが本物の火守女だったんじゃないかって」
「どうして、そう思うんですか?」
「……あたしを助けた火守女は相談役をやってなかったんだ。誇りを持って、あの女は世間に自分の居場所を持たなかった。だから、先代を憐れんで、一緒に居てあげているなんて思いあがった小娘は、先代にとって汚点だったんじゃないか」
歳で感傷や後悔が多いんだ、と付け加えたマリカ。
『思い上がり』。
先代火守女は地獄を生き延び、孤独と炎を守る役目を愛した。そんな先代にとって、外の世界から来た自分は邪魔だったのではないか。
マリカが火守女になった理由その人だからこそ。
この気掛かりが、マリカの心に残り続けていた。
それが『思い上がり』の正体。
これも彼女が火守女を続ける理由なのかもしれない。人は誰だって、過去にやってしまったことが正しかったのか、その答えを求めてしまう生き物だ。たった独りが長ければ、尚のこと悶々とするだろう。
「……フフフ」
マリカの殊勝で普通の人らしい態度が珍しくて、チドリは思わず笑ってしまった。
怪訝そうな顔でマリカが詰問する。
「何がおかしんだい? ったく、腹立つ小娘だよ」
「だって、気付いてないんですもん」
「はぁ? 何がだい」
「きっと、先代さんはマリカを迷惑に思ってませんよ。仕事に誇りを持っていて、マリカが自分と似たような孤独と苦痛を持っているんだと感じて。マリカみたいに寂しさもあって。マリカとの出会いを運命だと思ったんですよ。じゃなかったら、先代さんは最初の時点でマリカを見捨ててたと思います。違いますか?」
「……。ああ、あの女なら見捨ててる。きっとね」
マリカは炉の方を振り返った。そこに居た火守女を思い起こす。
記憶の中の先代は世の中に目もくれず、ただ愚直に炉の世話をしていた。
「寂しかった。あの女がねぇ……」
「きっとそうですよ。似た者同士ですから」
「はぁ? 一体、誰と誰がだい。え~?」
「ちょ、止めて。マリカのパワーで頭ぐりぐりしないで⁉」
老婆と女記者は最後のじゃれあいをする。
ふと、マリカが足を止めた。
つられて立ち止まったチドリに、マリカは口を開く。
「さあ、遂に『最後の仕事』だ」
「え、どういうこと?」
「あたしが火守女になった話には続きがある。これが本当に終わり、運命の選択だ」
真剣なマリカの表情に、チドリも重い話題なのだと認識する。
「……はい」
「いい返事だ。――あんたも同じだ。ピュラリスがここにチドリを導いた」
「やっぱりあの火の玉。炉で見たとき、あれを思い出したんです」
「そうさ。この森は精霊の加護によって、招かれた者以外は森を彷徨うようになっている。あの男どもは近代科学の力でやってきたみたいだけどね。とにかく、チドリがここに来たのは、精霊に選ばれたからだ」
「……」
「あたしマリカは、ここでの生活の仕方を教えた。火守女の歴史と記録を伝えた。ピュラリスとサラマンダー、炉の秘密を明かした。あんたは『ピュラリスの火守女』を継ぐ資格を得た。記録、覚えてるね?」
「火守女になるかは、自由意志で選べる」
その言葉に頷いて、一拍置いてからマリカは口にするべき言葉を口にする。
「選びな。火守女になって人生を火に捧げるか、ここから去るか」
厳格で力強く、重々しい意味を持つ問。
先代から当代に迫る選択。
決定的な分かれ道。
二つに一つ。
選んだ道にしか進めない。
チドリが出した答えは――
――――
今日の相談が終わって村人が報酬を置いていった。
それらを整理していると、一枚の手紙が挟まっていた。
間違いかとも思ったが、宛先に『火守女』と書かれている。
おかしなこともあるもんだ。
そう思って、手紙の封を切る。
冒頭に『友人へ』と書かれていた。
火守女の顔には、優しげな笑顔が浮かんでいた。
――認知している限り、ピュラリスは最小のドラゴンだ。
――とても非力で脆弱で儚い。ドラゴンらしくないドラゴン。
――ドラゴンの癖に、人間よりも儚い生命として循環する。人間の美徳を奪う生態
だと思うね。
――……ああ、そうさ。正直、好みじゃない。でも、気に入ってもらえる話題かも
しれないと思ったんだ。
――……約束通り話そうか。ちょっと待ってて。
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